The Beginning of ...
はじまり

 

 親愛表現の口付けじゃない。だって時間長いし。さっきもちょっと口にしようか迷ってたみたいだし。唇をただ押し付けるだけじゃなくて、ちょっと吸われたし。

 ……待て待て。

「まっ、何して……るの?」
 やっと絞り出した声はかすれてしまった。というか、シェーンはなぜ顔を真っ赤にしているんだろう。しかも今のセイリアの発言に怒っているようだ。
「これでも分からないなら、セイリアは正真正銘の大バカだ。一生嫁には行けないだろうね」
「……」
 どっかで聞いた台詞。そうだ、メアリーだ。分からなければ王太子妃は諦めろと言っていた。
 そのことを思い出した瞬間に、理解がおりてきた。突然分かった。

 つまりあれだ、両想いってやつ。

「……うそ……」
 何て変なタイミングで、この瞬間は訪れてしまったのだろう。セイリアは信じられなくて、慎重に確認を取った。
「あとで、頭を打ったから一時の気の迷いだったんだとか言ったら、一生口きかないわよ?」
「言わないよ! たった今、初めて感じた気持ちじゃないし」
 待ってーっ!! これも心の準備ができてない! 嬉しいはずなのに、なぜか混乱ばかりが押し寄せてくる。全身がしびれたように動かなくて、顔がものすごく熱い。
 しかし一方で、息をつめて何かを待っているシェーンの緊張した表情に気づいて、セイリアは、準備ができていようといまいと、時は勝手にやってくるのだと思い知った。ええい、言ってしまえ!
「う、嬉しい! 大好き!」
 こんなんでいかがでしょう。
 シェーンは目を見開いて、それから安心して嬉しくて、力が抜けたように笑った。セイリアが見てきた中で一番幸せそうな表情だった。自分が「好き」と言っただけで、こんなに幸せそうに。

 やっと分かった気がした。
 恋ってこういうことなんだ。

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 奇妙な告白タイムのあと、シェーンはカーター医師を拝み倒してセイリアとのおしゃべりの時間を確保してくれた。それは嬉しいのだが、互いの気持ちが通じるというのは、幸せでありながら気恥ずかしくて気まずいもののようで。
「あの……」
「何……?」
「いい天気ね?」
「そうだね」
 何だこのぎこちなさは。
「一応、明日とあさっては予定通り空けておくから」
 シェーンがもごもごと言った。
「その……また来てよ。仕事がないから、一日中一緒に過ごせるはずだ」
「え!? あ、うん、そうだね……」
 誰か助けてくれ。セイリアはもう、会話の内容のせいで全身がむず痒かった。いつものテンポを取り戻したい。いつものテンポ……口ごたえすればいいのか?
「っと……その前にあんた、ちゃんと元気になるかしらね。あんたってひょろいから、残りの2日も寝込んで終わりじゃない?」
「別に外に出る用事はないし。しゃべるだけでいいだろう」
「あらあら、せっかくあたしが男装なのに、利用しないつもり?普通のカップルじゃ外に一緒に行けないだろうけど、あたしたちはできるのよ」
 自分で言ってセイリアは赤くなった。……カップル。うあああああ、なんて痒い響きだ。シェーンも黙って、片手で顔を覆った。同じく限界らしい。
「……セイリア、やっぱ僕ダメだ。耐えられない」
「あ、あたしも……」
 本当に初心者二人だ。
「いつもの通りでいいか」
「うん。いきなりは無理だわ」
 セイリアはため息をついた。シェーンもついた。同時だったのがおかしくて、二人は顔を見合わせて笑った。
「まあ、とにかくおいで。話し相手がカーター先生だけじゃ、退屈すぎてダメだ」
「いいよ。でも絶対1日は外に行くからね。あんたは絶対に、もっと日に当たった方がいいもの」
「……冬のこの時期に?」
「湖が凍ってて、滑れて楽しいのよ?あ、そうだ。乗馬も特訓してあげるわ」
「げ……」
「何よその反応はっ」
「この先生じゃ絶対また落馬することになりそうだなと思って」
「失礼ね、これでも見習いもついている騎士なのよ」」
「その見習いをつけたのは君の実力と言うより僕の計らいだよ」
「むむっ……でも隊長だって、あたしのこと優秀だって認めてくれたわ」
「教師としての質はだいぶ疑わしいような」
「それならもう教えてあげない!」
「うん、馬丁に教わった方がまだ安全そうだ」
「むーっ、この生意気王子っ」
「どうも。チェックメイトだね」
 久々の口喧嘩もシェーンの勝利。腹が立ったのは確かだが、ああ、いつもの感覚だ、とセイリアは胸をなでおろした。やっと調子が戻ってきた。

「あ、そうだ、シェーン。実は大切な報告があって……セレスなんだけど」
 シェーンは身じろぎした。
「ああ……行方不明中の」
「今、うちにいるのよ」
「え?」
 シェーンは驚いた顔をした。
「やられた……盲点だったな。セイリアの家だったなんて」
「え? シェーンもセレスの事を探してたの?」
 セイリアが聞くと、シェーンは額を押さえてうなずいた。
「貴族の動向は一応把握しておいているんだ。公爵家ともなると、子女でも放っておけない立場だからね」
「あの、そのぅ……シェーン。あたし、セレスにあたしが女だってことをバラしたの」
 シェーンは目を見開いてセイリアを凝視した。
「本当に?」
「アースと二人で話してるところを見られちゃって、それで……あ、でも大丈夫よ。絶対に口外しないと思うから」
 はあ、とシェーンは大きなため息をついた。
「次から次へと、本当に良くやってくれるね、君は」
「しょうがないでしょ、状況が状況だったんだから」
 セイリアは膨れた。シェーンはそんなセイリアを見て微笑む。
「本当に退屈しないな、セイリアといると」
 ちょっと頬が熱くなった。以前なら、普通のほめ言葉としかとっていなかったであろう言葉が、口説き文句のように聞こえて恥ずかしい。

「まあ、起きたことはしょうがないよ。これからの話をしよう」
 シェーンはセイリアの心の内に気付いたのかいないのか、話を変えた。
「もう年も暮れだ。新年祝賀会があるのは知っているね?」
 セイリアは頷いた。父が毎年、気がすすまなそうに参加しているあれだ。どんなに人付き合いが悪くても、これに参加しないのはあまりに非常識とされているらしい。
「あたしはどっちで行けばいいの? セイリア? それともアース?」
「セイリアで来てくれ。今度ばかりはアースも逃げるわけにはいかないよ。だから君はセイリアとして来て欲しい」
 言いながらも、シェーンの瞳が少し揺れていた。
「……先に言っておくけど、カモフラージュのために他の女の子とも踊るけど、怒らないでね」
 どういう意味か理解するのに少し時間がかかったが、つまりは自分と踊りたいといっていること、そしてそのために他の子とも踊るということを呑み込んだ。
「じゃあ、あたしも」
「ダメだ」
「何でよー、あたしだって噂になりたくないもの」
「太子が一人としか踊らないのが問題なんだよ。君は噂にはならない」
「不公平っ!」
「分かったよ、正直に言うよ。僕が嫌なだけだ」
 あうっ。反抗するんじゃなかった。今日、何度目か分からない、二人そろって真っ赤という場面がまた到来した。……両想いって辛い。同時にすごく嬉しい。けれど返事はどうすればいいんだ。
「わかった……わかったわ。自分からは誰も誘わない。でも、断るのは失礼だから、誘われたら行くわよ」
 シェーンはなお、不満そうな顔をしていたが、しぶしぶという感じで頷いた。

「セレスティア嬢はどうするんだい?」
「レンに迎えに来てもらうことになってるの」
「レン……レナードってことは、大尉の従者か」
 シェーンがまた不快そうな顔をしたので、セイリアはムキになった。
「あのねぇ、あたしはそんなに浮気っぽくないわよ!」
 少なくとも、自分は自分なりにシェーンが大好きなのだと分かって欲しい。他の人は目に入れていないことも、本気であることも、想いが通じたからこそ分かって欲しい。
 両想いはゴールじゃない。セイリアは実感した。これからはきっと、シェーンの一挙一動にやきもきする。どきどきもする。複雑で困難で、今は想像できないような問題にも当たるだろう。けれど踏み出した以上は、そんなもの全部なぎ倒して進んでいきたい。それがセイリアの性分で、セイリアの恋だ。
 シェーンは驚いたようだったが、喜びを海色の瞳にたたえてセイリアを引き寄せた。
「僕だってそうだよ」
 囁いて、シェーンは今度は額にキスをした。……やっぱりセイリアは真っ赤になった。こればっかりは、ゆっくり慣れていくしかなさそうだ。



 ルウェリンはセイリアが出てくるのを待っていた。勤務時間はとっくに過ぎていたのでセイリアは驚いた。
「ルー……待ってたの?」
 ルウェリンはびしっと気を付けをして答えた。
「はいっ。主人より先に帰るわけにはまいりませんからっ」
 そして、ひとつくしゃみした。廊下は冷えるのだ。……ういやつ。
「生真面目だね、ルーは」
 くしゃくしゃと頭をなでてやると、ルウェリンはセイリアを見上げて、期待を込めるように言った。
「王子様と何か良いことがあったんですか?」
「そう」
 セイリアは笑った。
「とっても良いことがね」

 あたしの恋は、始まったばかり。




2007.02.08