The Lessons
レッスン

 

 アリアンロードの到着で、やっと事が動き始めた。セレスはセイリアをフロアの中央まで引っ張っていって、ダンスのレッスンを始めた。初めて女として出席した収穫祭のパーティーの時はシェーンに教えてもらったことを思い出した。
 セレスはごく丁寧に、セイリアの手を取って、男役になった。普通逆だよねぇと思いながらセイリアは必死にステップを踏んだ。
「123、123、はい、良い感じですよ」
 アースは見学だった。アリアンロードが隣に座っているのだが、意図的にかセイリアを凝視したまま他の人は見ようとしていない。アリアンロードも特にアースに話しかけようとはしなかった。どこかぼんやりした目をしながら、練習を眺めている。
 一方、オストール兄妹は二人がかりでレナードに教授していた。レナードはダンスに関しては甚だ不器用らしい。後ろでハウエルがサポートしているにもかかわらず、何度となくアマリリスの足を踏み付けて悲鳴を上げさせていた。
「ちょっと! もう少し気を楽にしたらどうなの? パーティーの前に足を傷めたらどうしてくれるのよ」
 アマリリスが喚く度にレナードはうなだれ、無表情ながらはっきりと申し訳なさそうな様子で「すみません」と呟いた。
「セイリアさん、集中なさって」
 周りの観察に気を取られていると、セレスに注意された。セイリアは慌てて足下に神経を集中させる。
「はい、いいかんじですよ」
 セレスは笑いながら言い、数分後、セイリアはダンスに関しては合格をもらった。
 次はアースの番だ。呼ぶとアースは引きつった顔をしながらセイリアの隣りに並んだ。アリアンロードもセレスに呼ばれてアースの相手役を務めることになった。手を握って腰に手を回す時点で、アースがカチカチなのが分かった。ステップもぎこちないことこの上ない。先が思いやられる、と思っているとアリアンロードがぽつりと言った。
「……武人らしくない踊り方ですね」
 びくっ。
 セイリア、セレス、アース三人とも固まった。ぼーっとした子だと思っていたが、意外と鋭いようだ。
「そ、そうですか?」
 アースがうわずった声ながら、何とか返事をした。アリアンロードは頷く。
「だから固くならずに気持ちをほぐせば、相手が動きやすいと思います」
「え?」
 アースが思わず問い返す。そして、ちょっとほっとしたように呟いた。
「あ、そういうことですか……」
 どうやら別に、アースの出自を疑っていたわけではないらしい。アリアンロードはさらに言った。
「手が震えています」
「あ……すみません」
「いえ」
 言葉少なに、しかし確実にアリアンロードはアースの指導をこなしていた。セレスはセイリアに囁いた。
「アリアンロードさんはぼーっとしているように見えて、観察力がとても鋭いんですのよ」
 アースは徐々に緊張をほぐしていった。いつになっても自分から声をかけることはできていなかったが。まだ少し堅さが残るので、アリアンロードに代わって、アースが緊張しないセイリアと踊ってみることになった。双子は同じ顔を見合わせてステップを踏み始めた。
「……奇妙な光景だよね。同じ顔をした二人が踊るんだから」
 アースがぽつりと言う。緊張さえしていなければ、アースはものすごくスムーズで、驚くほど踊りやすい相手だった。大抵のことは人並み以上にこなすのに、対人恐怖症のせいで花開かないなんて、なんて勿体ない。
「あんた、ちゃんとアリアンロードさんと話さなきゃダメよ。踊りの時にひたすら黙っている人なんていないわよ」
 セイリアが注意すると、アースはむくれた。
「だって、何を話すの? 相手がどんな話題が好きなのかも分からないのに」
「だからそれを聞くとこから始めるんでしょ」
「……ああ、なるほど」
 アースのコミュニケーション指数は20くらいかもしれない。
「ダンスは大丈夫よ。問題は人を怖がらないことと、頑張って話すこと」
「……うう」
「しっかりしなさい。あんたはうちの跡取りなのよ」
「……うん」
 終わると、セレスがそばに来て、同じようなことを言った。
「セイリアさん相手なら、問題がないようですわね。人を怖がるのが問題なのですわ」
「はあ」
 アースは心細げに言った。そんなこと言われても、という感じだ。セレスはそれを見て取ったのか、細かなアドバイスをした。
「相手がおしゃべり好きの場合は、ひたすら聞き役になってくださいまし。その時は相槌をお忘れにならないでくださいね。相手がシャイなときは、まず他愛もない話から入ります。簡単であまり深すぎない質問が良いですわ。相手の返事から相手の触れてほしくない話題を推測して、それを避けながらまた質問して、相槌を打って、その繰り返しです」
「はあ……」
 セレスは笑った。
「難しいことではありませんわ」
「……はい」
 アースのあまりに自信なさげな返事にセイリアは情けなくなった。
「アース。アリアンロードさんと実習してみて」
「えっ」
「えっ、じゃないわよ。今日しかないんだから、しっかり練習していかないと」
 アースはひどく不安そうな顔でアリアンロードを見た。セレスが思い付いたように言う。
「では、わたくしとセイリアさんは少し席を外しますわ。少ししたら戻ってきて、指導いたしますわね」
「えっ!?」
 これはスパルタだ。アースは青くなったが、セイリアもセレスに賛成だった。
「というわけでアース、頑張ってね」
「ね、姉さん……」
「あたしも実際のパーティーで四六時中あんたのお守りをしてるわけにはいかないでしょ。頑張んなさい」
 そしてアースは一人取り残された。
 アースはどうしていいか分からなくて、ほぼパニックだった。何も言わずにぼーっと立っているアリアンロードを前に、言葉の井戸はカラカラに乾いたまま。
「私のこと、嫌いですか」
 突然アリアンロードがそう言った。アースはぎょっとし、慌てて言う。
「え、いえ、その……良く知らない人は全般的に苦手で」
 とりあえず声が震えないで言えた。アリアンロードはじっとアースを見つめ、少し首を傾げて鋭いことを言った。
「苦手というより怖いのでは」
「あ、はい……」
「私は苦手な方です」
「は」
「知らない人は苦手です」
「……」
 そのまま明後日の方向を見つめて、アリアンロードはまた黙ってしまった。何が言いたいんだろう、とアースは首を傾げる。まったくつかめない少女だと思った。……余計に話し辛い。
「アース殿は」
 アリアンロードがまた口を開いた。
「騎士には見えませんね」
 誰か助けて。アースは心中で悲鳴をあげた。いきなり危険話題回避の訓練だなんて自分には高度過ぎだ。
「剣より本が似合いそうです」
「は、はあ……ありがとうございます」
 一応礼を言ってみた。アリアンロードは首を傾げた。
「誉めてません」
「……」
 誰か助けて。
 そうだ。コミュニケーションマニュアルその1、他愛のない話をすること、だ。
「ア、アリアンロードさんはセレスさんとどこでお知り合いに?」
 言えた。アリアンロードは少し微笑んだ。
「行儀修行先の修道院です」
「そ、そうですか」
 次の質問を考えなくては。
「では、もう長い付き合いなんですね」
「はい」
 あ、質問が悪かった。イエス・ノークエスチョンは会話が短くなる。
「あの……あの、じゃあ、セレスさんの詩とか読んだことあるんですか」
「……はい」
 アリアンロードはじっとアースを見上げた。
「知ってるんですか。セレスが詩を書いていること」
「あ」
 秘密にするべき話題だっただろうか。しかしアリアンロードは特に何も触れず、少し興味を持ったように聞いてきた。
「あなたも読んでいるのですか」
 共通の話題発見。チャンス。アースの頭の中でマニュアルがそう告げた。
「はい。特に恋愛詩のできは良かったですよね。ちょっと恥ずかしい内容で僕にはきつかったんですけど……あれ?」
 アリアンロードはずーんと暗い表情で俯いていた。アースは大慌てで聞いてみた。
「ど、どうしたんですか!?」
「……私、恋愛詩は苦手なんです」
「……は」
 だからってそんな落ち込んだ顔しなくても。つくづくよく分からない子だ。
 アースは頭を抱えた。アリアンロードは確実に、コミュニケーション能力検定の相手としては一級の難しさだ。

 一方のセイリアは、なぜかアマリリスと二人になっていた。セレスは兄との親交を深めるべくレナードのところに行ってしまったし、大尉は大尉で二人の仲介役をしている。遠くからアースの様子を見守っていたらアマリリスの方からやってきたのだ。
 アマリリスは言って溜め息をついた。
「あーあ、アリアンやセレスとゆっくりおしゃべりできるかと思ったのに、あんたと二人で傍観だなんて」
 ひどく不満そうに愚痴を言うのでセイリアも言った。
「だって今回みんなで会ったのって、パーティーに不慣れなレンとアースのためよ」
「はぁ?」
「レンは初めてパーティーに出るし、アースったら本当に人と接するのが下手なんだもの。だからレッスンしてもらいに来たの」
「人と接するのが苦手? 信じられないわ。前にここのパーティーで、私とあなたの弟、喧嘩したわよ」
 不審そうに言うアマリリスから、セイリアは目を逸らした。
「あー……それはきっとあんたがあまりにムカつくから」
「何ですって! あんたたち姉弟のほうがよっぽどムカつくわよ」
「人のふり見て我がふり直せってね」
「そっくりそのままお返しするわ。誰に向かって喋っていると思っているの? 私はあなたより身分の高い伯爵令嬢なのよ」
「実家がどうであろうと、どうせ嫁ぎ先によって将来が変わるじゃない」
 アマリリスは胸を張った。
「私は王妃になるんだから心配ご無用よ」
 言うと思ったがやっぱり言った。
「自信あるわけ?」
 聞くとアマリリスは頷く。
「あたりまえでしょう。教養だって身に付けたし、お父様は侯爵を継ぐ予定なの。身分的にもバッチリでしょ。他の家で年が合うのは、セレスを除けば私だけだし? そのセレスは王子様との婚約を嫌がって家出したくらいだし」
「あ、知ってたの」
「セレスは私に何でも話してくれるのよ。私はセレスの親友なんだから」
「片思いじゃない?」
「なんですって!?」
「だってあんた、思い込みが激しそうだし、世界が自分中心に回ってるって思ってそうだし」
「余計なお世話よ!」
 しかし自分でも自覚があるのか、否定はしていない。セイリアは少し口許を綻ばせた。
「シェーンを射止めたいなら、身分も教養も重要じゃないのよ。彼はもっと本質的な、深いところを見てくれるわ」
 だから自分を選んでくれたのだと、少し得意げな気持ちになる。
「あんたもまだまだシェーンを知らないわね。それで王妃だなんて、百年早いわ」
「あなたなんかがシェーン王子様の何を知ってるのよ」
 強気に言うアマリリスに大してセイリアは胸を張った。
「たーくさん知ってるわ。そもそも“護衛騎士アース”は年がら年中シェーン王子と一緒にいるんだし。情報ならいっぱい持ってるのよ」
 途端にアマリリスの顔色が変わった。
「そっか、あんたの弟ね! じゃあお友達になりましょう!」
 おいおい。
「あのねぇ、損得で動いて何が友達よ」
「だって私、あなたが嫌いだし。損得ででも動かなきゃ友達になれないでしょ」
 なんて正直な。
「そうね、あたしはあんたの恋敵だものね。負けるつもりもないしね。だってあたしも自信あるから」
「なっ!?」
 アマリリスは衝撃の余り顔色を失った。
「なんですってー!?」
 アマリリスの絶叫に、部屋のそれぞれの隅に散らばっていた皆が振り返った。
「……どうしたのですか」
 セレスがおろおろと聞く。セイリアは陽気に手を振った。
「勝利宣言してただけ。大したことないわ」
「は、はぁ……」
「姉さん……」
 アースが疲れた声で言った。
「そんな宣言してる暇があったら助けて……僕にはちょっと上級過ぎるみたい」
 やれやれとセイリアは腰を上げた。
「どう、アリアンロードさん?」
「……なかなかのできです」
 アースは本当かよと言いたげな表情をしていたが、アリアンロードの返事ははっきりしていた。
「なかなか頑張って会話をつなげようとしてくれています」
 ……その努力に一票、らしい。まあ、良いか、とセイリアは思った。アースにしてはかなりの進歩だ。セイリアもダンスは練習したし。

 後は、祝賀会で自分もアースもボロを出さないことを祈るのみだ。




2007.04.03