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音楽に乗って、ダンスは始まった。色とりどりのドレスの裾がフワリと翻り、シャンデリアからこぼれる光がキラキラと淡い光をホールに落としている。
ホールでシェーンと踊るのは初めてで、セイリアは少し緊張していた。前の時は誰もいないバルコニーで、星空の下で暗かったので、こんな風に衆目にさらされながら太子と踊るのは意外と落ち着かないものだと気付いた。
「……皆見てるわね。カモフラージュの意味があまりなかったんじゃない?」
「そんなことはない。別にセイリアだから見てるわけじゃないよ。いきなり僕がダンスに積極的になったから、皆驚いてずっと見てるんだ」
「ふぅん……」
二人は回りながらホールを移動した。
「だったら余計怪しまれない? 今までこんなには踊ってなかったんでしょ?」
「今回一度だけ積極的になったら怪しまれるだろうね。これから当たり前にしていけばいいんだ」
シェーンはそれから少し肩をすくめた。
「まあ、令嬢方って政治舞台に詳しくない人が多くないから、情報収集には適してないみたいだけど」
セイリアは呆れた。
「こんな時まで仕事?たまには他のことも考えたら?」
「と言われても……」
シェーンは渋面になった。
「僕にできることと言ったら王子業くらいだし」
「息抜きはしないわけ?」
「十分してるよ」
「いつ? どこで? 何をして?」
「……口喧嘩で」
主語が抜けたが意味は分かった。セイリアは閉口したし、シェーンも照れているのか顔を逸らす。
「……他の楽しみも見つけたら?」
「……今ので十分だけど」
「そう……」
まあいいか、嬉しいし、とセイリアは考える。
「今日はハーストン公爵は来てるの?」
「伯父上? 来てるよ。見なかった?」
「あんたのお兄さんたちだけで手一杯だったわよ。どっちにしろ公爵はあんまり見かけたくない相手だし」
シェーンは苦笑した。
「今日は君にもアースにも構ってられないと思うよ。どうやらヌーヴェルバーグとクロイツェルの情報を集めてるみたいだから」
セイリアは首を傾げた。
「変なの。他国の戦争に首を突っ込む気なのかしら」
「オーカストは自国に関係がなくても、情報収集は怠らないよ」
「じゃあ年がら年中自分の国には関係のない情報分析してるの? 疲れない?」
「疲れるさ。だから過労でタヌキになったりするんじゃないか」
セイリアはぶっと噴き出した。
「なるほどね」
「他国の動きは、どんなに関係なさそうに見えても調べておいて損はない。オーカストはそれで今までやってきたんだから」
「つかんだのが偽の情報だったらどうするの?」
「情報は必ず前後関係をはっきりさせて、つじつまが合うかどうか調べるから大丈夫」
「それに国政も加わるのね……かなり大変なのね」
「いたわる気になった?」
「別にあんたの働きぶりにケチつけた記憶はないけど?」
「そうだっけ? セイリアはいつも減らず口をたたいてるからね」
「人のこと言えないでしょ、生意気王子が」
「いつもその言葉だね。レパートリーが無いのは君の方じゃないか?」
「何をーっ」
ダンスしながら口喧嘩する男女も珍しい。結局口喧嘩になってしまうのは、まあ、これが二人の仲の良さなのだ。
ダンスを終えた後、二人は軽いデザートをつまみに行った。シェーンがいるので色々な人がわらわらと寄ってくる。
セイリアは護衛としての習慣で、何かあったらすぐ動けるような位置に陣取った。あまりしゃべるとボロが出そうなので、セイリアはアースの様子を思い出して、話しかけられてもなるべく「はい」「いいえ」と相槌だけで会話を繋ぐようにした。時々ツッコミを入れそうになったがなんとかこらえた。
「なかなか波乱の世の中ですけれど、戦争をなさっている国に比べたらオーカストは平和ですわよね」
貴婦人の一人がホホホと笑いながら言う。
「でも、いつ援軍を求められることやら分かりませんよ」
軍人らしい男も割り込む。
「クロイツェルとヌーヴェルバーグ、どちらに頼られてもオーカストは微妙な立場です。クロイツェルにつくには、今回のヌーヴェルバーグの動きは怪しすぎますし、かといってヌーヴェルバーグについては大国クロイツェルを敵に回すことに」
「あらあら、クロイツェルとは既に関係が冷えてきているではありませんか。あからさまにオーカストに冷たい態度を取りますし。そうですわよね、シェーン王子?」
話を振られたシェーンは王子らしい笑みを浮かべた。
「ええ、まあ。オーカストに対しては、寸分の妥協もしないから。あちらもあちらの事情があるのでしょう……でも、クロイツェルともヌーヴェルバーグとも、これから上手くやっていく自信はあるから」
「あら、良い策でもありますの?」
若い婦人の問いかけに、シェーンは笑顔で言った。
「そうだね、あなたのような美しい女性を説得役にしたら、どの国にも耳を傾けてもらえるだろうね」
「まあ」
婦人は頬を染めて、周りはどっと笑った。さりげなく質問をはぐらかしたなぁ、とセイリアは思った。 「もしどちらからか援軍を求めらたら、どちらに味方するおつもりですか」
豊かなあごひげをたくわえた男性に問われて、シェーンは言った。
「先に頼ってきた方ですね」
「しかし、それまで沈黙を守るというのも……同盟国の危機を見過ごす薄情者と言われませんかね」
「それは彼らの我々の立場への理解度にもよるでしょう。まあ、二国の仲裁役を名乗り出るのも一つの手だが」
「仲裁が一番よろしいのでは?」
シェーンは少し残念そうな顔をしながら首を横に振った。
「それは現時点ではまだ無理だ。まだ戦争の原因が掴めていないんだ」
「そうなのですか?」
「両国のスパイからの情報は?」
聞かれてシェーンは肩をすくめた。
「どうやら王家同士でなにやら駆引きがあるようだとしか分からないな。手紙のやり取りも時たまあるようだが、なかなか警戒が強くて手に入らなくてね」
「そうですか……」
「少数民族がこの混乱に乗じて内乱を起こすのではないかと思っているんだ。だからとりあえず国境の警備は強化させてある」
「なるほど。クロイツェルは言わば彼らの最大の仇ですからなぁ、オーカストまで飛び火してはありがたくない話ですな」
うんうんと頷きながら一人の老人が言った。
「陛下は何とおっしゃっているのですか? 積極的に戦争に介入なさりたがっていると聞きましたが」
「そんなことはおっしゃっていなかったよ。ただ、また内乱が起きるのはどうしても食い止めたいそうだが」
「そうですか……リキニでは悲惨でしたからなぁ……」
シェーンは少し目を伏せた。
「あの時は、もっと穏便に解決する方法があったかもしれないが……僕の力不足だったな」
「とんでもない」
婦人の一人が言った。
「殿下はまだ十歳でしたし、まだ帝王学を受けていませんでしたもの。解決なさっただけ素晴らしいですわ」
同意の声が上がり、シェーンは笑顔でありがとう、と返した。
やっと人の波が引いた後、ほっとしたセイリアはワインの水割りをぐいっと一気飲みして息をついた。
「酔うなよ」
シェーンが簡潔に忠告した。
「だって息が詰まるかと思ったわ。世の中のご婦人方って案外政治の話にもついていけるのね。あたし退屈であくびをしないようにするのが大変だったのよ」
シェーンは少し呆れたように言った。
「仮にも四六時中僕の傍にいるのに、まだそんなことを言うのか」
「まあ、自分から進んで話の題材にはしたくないってことよ。でも、あたしだってちゃんと会話を聞いてたわよ。戦争はさすがに、あたしには関係ないわ、なんてのんきでいられないもの」
「でも僕の言ったことには微妙に嘘が混じってるから、全部鵜呑みにして信じないでね」
「えっ」
シェーンの言葉にセイリアは目を瞬いた。
「まあ、あの人たちも全部頭から信じてはいないだろうけどね」
「……そうなの? あーあ、ややこしい。ほんと嫌だわ、お貴族様の習性って」
「自分がその一員だって分かってる?」
「心は一員じゃないからいいの」
セイリアは近くのソファに座った。
「それにしても、あんた意外と謙虚に振る舞ってたじゃないの。猫っかぶりね」
「別に交渉の場とかじゃなかったし。相手より優位に立つ必要はなかったから」
「そういうとこまでいちいち考えるの?」
「体に染み付いた習慣だよ。もう意識せずともやってることだ」
その時、アースがアリアンロードと一緒にやってきた。二人を見つけたセイリアは少し驚いた。あんなにアリアンロードとは話しにくいと言っていたくせに、どうしたのだろう。しかもアースが向かってきたのはセイリアではなくシェーンの方だった。
「どうした?」
シェーンもアリアンロードを意外そうな顔で見つめて聞いた。
「キンバリー嬢じゃないか。君たち、知り合いなのか?」
「まあ、そんな感じです。……お取り込み中でしょうか」
「いや、別に。世間話をしてただけ」
「あの、“鐘の音を聞きたまえ、飛び立つ鳥の羽が舞う、ディンドンディンドン、夕暮れに響く”はナイトレイの『宴』ですよね?」
セイリアは何の話だかさっぱり分からずに目を点にしたが、シェーンは当たり前のように答えた。
「そうだけど? 第一節の六句目だ」
「コンフォールの『花売りとツグミ』です」
ぼそりと主張したのはアリアンロードだった。
「オリジナルはコンフォールです」
シェーンは理解したようだ。
「ああ、その話か。良く似たフレーズがコンフォールの詩にもあるね」
「でも、ナイトレイの方が先に『宴』の詩を発表してるんですから」
アースが反論する。アリアンロードも負けじと言った。
「『花売りとツグミ』は、初めて掲載されたのがコンフォールの作品集ですから、未発表だった作品に違いありません。『宴』より前に書かれた可能性は十分あります」
そのまま二人はそこで討論を始めてしまった。
「でもナイトレイのフレーズの方が短いですし……」
「だからと言って……」
文学好き二人で仲良く知識暴走している。
セイリアは唖然と二人を眺めてシェーンに言った。
「アース、一つ苦手を克服したみたい」
「いいことなんじゃないの?」
シェーンは笑って言った。
「アースも趣味の話だとよくしゃべるんだね」
「あたしも初めて知ったわよ」
そこへ新しい声が加わった。
「セイリアさん、シェーン殿下、もうすぐ真夜中ですわよ」
セレスが大尉とアマリリスと一緒にすぐ傍にいた。
「新年と同時に花火を上げるらしいよ」
大尉が言う。セイリアは目を輝かせて飛び起きた。
「本当?」
「本当さ。皆テラスに出始めてるよ」
「うわぁ!」
シェーンが不機嫌な顔になりつつあるのを知ってか知らずか、セイリアはシェーンを振り返った。
「行こう、シェーン!」
「え? あ、うん、もちろん!」
急に上機嫌な顔に戻った。
「ほらっ、アースもアリアンロードさんも! 新しい年を迎えないと!」
全員でテラスに移動すると、すでに混んでいた。アースとアリアンロードは懲りずに討論を再開するし、アマリリスは兄とセレスを掴んで離さず、かつセイリアにちょっかいを出したがったりシェーンの興味を引こうとしていた。そんなにたくさんの人を欲張るなと大尉に注意されてアマリリスは膨れる。
そのアマリリスからさりげなく離れて、シェーンは呟いた。
「今年も終わりか」
「そうね、色々あったわね」
シェーンは笑う。
「主に君と知り合ってからの半年が酷かったね」
「何よ、色々楽しい事ももたらしてあげたじゃないの」
シェーンは否定しなかった。
「来年はどうなるかな」
それだけ言った。セイリアはあっさりと答えた。
「なるようになるでしょ」
「楽観的だね」
「それがあたしですから」
ヒューッと音がして、爆発のようなパァンという音と共に、夜空に花が弾けた。
セイリアはシェーンをみた。彼もセイリアをみた。目を細め合って言った。
「新年おめでとう」
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