特別任務の遂行は、セイリアの護衛の仕事が終わった後になった。
例の情報は各地にいる伝達係の口伝で伝わってくるらしい。
その駐在先に赴いてくるというわけだ。
それほど遠くではないが、夕刻の出発なので、一晩向こうで泊まって、そのままシェーンの所に戻ってまだ護衛の仕事をすることになる。
家には帰らない。
シェーンは「聞いた情報を家の人にも言ってはいけない」といっていたが、言いようがないのだった。
夕焼けの中、仕事を終えたセイリアはルウェリンと一緒に郊外へ馬を駆った。
暗くてよく道が見えない森の中をうまくすり抜け、目的地に着いたのはすっかり日が落ちたあとだった。
セイリアとルウェリンは既に平素な服に着替えて目立たないようにしていた。
なんとか目的の宿を見つけて入る。
一階が酒屋になっているので、戸を開けた瞬間に、ならず者たちの野太い哄笑が溢れ出した。
アルコールの強い臭いが鼻を突く。
「大丈夫ですか、アース殿?」
ルウェリンに聞かれてセイリアはうーんと唸った。
「分かんない。臭いで酔いそう。ルーはお酒平気なの?」
「はいっ。まったく平気ですっ。家でもよく、父の相手をしてるんですよ」
信じられん。
店内に入って少し店を見回していると、看板娘らしい少女が二人に近づいた。
「いらっしゃいませ。……旅人ですか?宿でしょうか」
「あ、はい。一晩だけ」
セイリアが答えた。
とても平凡な顔立ちの少女だが、えくぼがかわいい。
歳はセイリアより上のようだった。
「お食事は部屋までお運びしましょうか?」
「いえ、ここで食べます」
「わかりました。食事代抜きで、一人500ギトです」
セイリアがお金を渡す。
少女はお金を数えると、にっこり笑った。
「部屋は一番奥の右側が空いています。どうぞごゆっくり」
セイリアとルウェリンはなるべく端の席を選んで席についた。
酒とタバコの臭いが、少しだけ薄くなる。
よくよく見てみると、男たちに混じって、数人の女性もいた。
みんなたいそうな飲みっぷりだ。
「なんかすごいですねぇ」
ルウェリンが、かろうじてセイリアに聞こえるように言った。
「活気があると言うかなんというか。僕、地元の酒場になら騎士隊の訓練を兼ねて行ったことがあるんですけど、ここよりだいぶしっとりした感じでしたよ」
「そうなんだ。ここってなんというか……できればあまり入りたくないところだよね」
「……はい」
とりあえず二人は姿勢を低くして、頼んだ食事を口に運びながら、ちょびちょびと味が良いとはいえない薄い酒を飲んでいた。
そうしてしばらく待っていると、変な男に話しかけられた。
「よう、坊やたち。旅の途中か?」
いかにもがさつそうな大男。しかも明らかに酔っている。
「そんなに若くちゃ兄弟二人で大変だろう?」
「はぁ……」
「こっちへこいよ、こんな端っこにいねぇで。一緒にたんと酒を飲もうぜ」
「すみません、お酒はだめなんです」
セイリアがきっぱり断ったが、相手はしつこかった。
「飲んで慣れりゃ飲めるようになるさ。ほれ、来いよ」
腕をつかまれ、セイリアが実力行使を考えたその時だった。
「ちょいと、あんた、若い子にちょっかい出してんじゃないよ」
中年のおばさんが突然割り込んできた。
「礼儀ってもんがなってないね、酒は楽しく飲むもんだ。強引に誘ってどうすんのさ」
「うるせぇ、おばばが口を挟むなよ。これは男同士の話だ」
「だったら他の男でも探しな。この子達は若すぎるよ」
一歩も譲らなそうなおばさんの目を見て、男はぶつぶつ言いながら諦めたようだった。
セイリアは立ち上がって頭を下げた。
「すみません、ありがとうございます」
「いいよ」
おばさんはにっこりとわらった。
「ところであんたたち、北の森を通ってきた?」
突然の質問に、セイリアとルウェリンはそろってハッとした。
「え、あ、いいえ。あそこの森は良からぬ輩が通る道ですから」
「じゃああんたたちは良い輩なんだね」
決定的。
「え、あなたなんですか!?」
おばさんは急に険しい顔をした。
「しっ。大きな声を出すんじゃないよ」
そして彼女は空いている席に座った。
どうみても、ごく普通の田舎のおばちゃんだ。
しかし彼女はやれやれとセイリアとルウェリンを見てこう言った。
「いつもの人と違うとは聞いていたけれど、まさかこんなに若いとは思わなかった。おかげで目印のそのスカーフを見てもしばらく疑っていたのさ」
セイリアとルウェリンは口をあんぐり開けたまま、顔を見合わせた。
いや、合言葉は一字一句違わなかったからそうなのだろうが、セイリアたちだってよもやおばさんが情報伝達係だとは思わなかったのだ。
「ええと……上に行きます?」
セイリアが聞くと、おばさんは笑った。
「あんたたち、ごはんがまだだろう。先に食べてからにしな」
「はあ、ありがとうございます」
夕飯の後、セイリアたちは自分たちの部屋におばさんを連れて行った。
小さなベッドに腰かけて、セイリアとルウェリンはおばさんと向かい合った。
「あんたたち、良い家の子だろう」
おばさんは言った。
「酒場でああいう男が絡んで来た時はね、あんたらを酔っ払わせて金品を奪う目的の場合もあるんだよ。気をつけな」
ぎょっと顔を見合わせたセイリアとルウェリンは、慌てて姿勢を正して「気を付けます」と言った。
おばさんは笑って言った。
「じゃあ、本題に入ろうかね。盗み聞きが心配だから、紙に書くよ。内容をすぐに頭の中に叩き込みな。紙はすぐに燃やしちまうから」
「はい」
おばさんはペンを探し出すと、ボロボロの紙の切れ端に、すらすらと文字を書いた。
「ヌーヴェルバーグはクロイツェルに脅しをかけているもよう。皇室に関する件らしい。オーカストもなんからの形で関係あるようだが、詳細は不明。ヒース皇女が皇帝の寝室に頻繁に出入り、他にも数人、深夜に会っている人がいる。脅し内容はヌーヴェルバーグのド・リール宰相が掴んだ情報であるもよう、ド・リールは頻繁に一人の男と連絡を取っている。相手の名はヴァンサン、素性は不明、神出鬼没のため接触は困難。引き続き調査中」
「長っ」
セイリアが思わず言うと、おばさんに睨まれた。
「ちゃっちゃと覚えるんだよ。10分したら燃やすからね」
セイリアとルウェリンは慌てて紙と睨めっこを始めた。
集中する時はガンと集中するのが武人である。
10分後には、二人ともお互い覚えた情報を紙に書き出してみて、一字一句間違っていないことを確認して、全ての紙を燃やした。
「一日に何十件もシェーンに情報が届いてるけど」
セイリアは黒く灰になっていく紙を見ながら言った。
「全部、こうやって、たくさんの人々が繋いで運んできたものなんだね。なんだかすごい」
おばさんはふふ、と笑ってセイリアを見た。
コロコロ表情の変わるおばさんだ。
「あたしらがオーカストを支えてるってわけさ。情報大国は下々のあたしたちがいるから成り立ってるんだよ」
「誇りに思ってるんですね、この仕事を」
ルウェリンが瞳をキラキラさせて言った。
「いいですねっ。ちょっとスリルもありますし」
「そうだねぇ、でもあたしが情報伝達者だとバレちゃいけないんだよ。だから危ない目に遭ったことはほとんどないけどね」
「……女の人が、こんな大事な仕事をしてるだなんてびっくりしました」
セイリアはぽつりと言った。
するとおばさんにギロッと睨まれた。
「なんだい、女が重要な仕事をしてたらいけないのかい」
「いいえ、とんでもない。むしろ女性がもっと社会に出れたら良いのにって思ってます!」
セイリアは慌てて言った。
セイリアも女の身で騎士をこっそりやっているのだから当然だ。
「女は家でパーティーを開いて客をもてなして、人脈を確保するだけ、なんてつまらないじゃないですか。女でも、訓練や勉強次第で学者や騎士になってもいいと思うんです」
おばさんは一瞬目を瞬いた。
セイリアの言葉が本心だと分かったらしい。
「……そうさね。学者はいいね、女は男より細かい所に気が付くから。でも騎士みたいな体力勝負の仕事は向かないんじゃないかね」
「そんなことありません。私だって体格は小柄だし力が特別強いわけじゃないけど、技術と感覚には自信があります。それで十分通用してます」
「それでもあんたは男じゃないか」
おばさんは言った。
「女が武芸をやると、またちょっと違う感覚なんだろうよ。まあ、女にも武芸に向いている人がいることは否定しないけどね。少数民族なんて、戦士の3割は女だっていうしね」
「そうなんですか?」
セイリアもルウェリンも驚いた。
「まあ、世の中がそういう風潮になるのには100年かかるだろうけどね。……あたしゃもう行くよ。明日も仕事があるんだ」
おばさんは言い残すと、そそくさと部屋から立ち去った。
もうだいぶ遅かったので、セイリアとルウェリンもロウソクの灯りを吹き消して布団に入った。
「逞しい方でしたねぇ」
ルウェリンがぽつんと言った。
「僕、ああいう人って好きですよ。女性でもかっこよく働いてますよね」
言いながら、ルウェリンは眠りに落ちてしまったようだった。
セイリアは布団の中で考えていた。
あんな風に、例え裏の仕事でも、女性であることを隠さずに仕事ができたらどんなにいいだろうか、女のままで騎士になれたらいいのに、と。
翌朝はルウェリンを夜明け前に叩き起こして出発した。
そのおかげかどうかは分からないが、尾行も襲撃もなく、情報伝達者であることは結局誰にもバレずに済んだようだった。
王宮についたのは、ちょうどいつも仕事に来る時間だった。
しかし家に帰っていない二人はなんとなく疲れを感じながらシェーンの元に戻った。
「ご苦労様」
シェーンは王子の顔でそう言って笑った。
「無事に情報を運んできたようだね」
「まあね。きちんと頭に詰め込んできたよ。疲れ気味なんでうまく引き出せるかどうかが問題だけど」
「……おいおい。これくらいの仕事がこなせないと騎士失格だぞ」
セイリアはふと、聞いてみたくなった。
「情報伝達係の人、女の人だった。女でも普通にああいう仕事をしてるの?」
「ああ……こういう仕事は女の方が“らしくない”からね。特殊な例だよ」
それからシェーンは腰に手を当ててセイリアを見た。
「話をそらしたのか?まさか本当に情報の内容を忘れたんじゃないだろうね?」
「違うって。思い付いたから聞いただけ」
セイリアは慌てて言い、ルウェリンに所々助けをもらいながら、覚えてきた内容をシェーンに伝えた。
シェーンは徐々に険しい顔になった。
「……そうか。やっぱり原因はヌーヴェルバーグにあったのか」
すごく考えて込んでいる。
「これは難しいことになった」
「なんで?そんな重要なことなの?」
シェーンは机の上から一枚の封筒を取り上げた。
複雑な紋章が描かれている。
見覚えがある。訓練の一環で、セイリアは近辺諸国の王家の紋章を覚えさせられたのだが、その中にこの図があった、とセイリアは思い出した。
シェーンはその紋章を指差して言った。
「ヌーヴェルバーグから、援軍要請が来たんだ」
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