Crown Prince's Birthday 
王太子の誕生日

 

王太子の誕生祝賀会が近づいていた。
それは通常なら国王の誕生祝賀に次いで華やかなものになるのだが、今の太子の立場上、他の王子よりほんの少しだけ大きなパーティーになるに過ぎなかった。
シェーンはしかし、前日まできっちりと仕事をこなしていた。
自分の誕生日に浮かれる様子など微塵もない。
セイリアにはそれがなんとなく、寂しく思えた。
まだ大人とはいえない若さのシェーンだ、もう少しはしゃいだってよさそうなものを。

一方のセイリアは、誕生日プレゼントを何にしようかと長いこと悩んでいた。
とびっきり特別なものをあげるのだと意気込み過ぎて、まったく何も思い浮かばなかったのだ。
「自分の特別なものをあげたらどうかって、アリアンロードさんが言ってたよ」
そう言ってきたのはアースだった。
セイリアは面食らった。
「何でそこでアリアンロードさんが出てくるの?」
「え……だって姉さん、この前僕に、誰かにそれとなく意見を聞いてみろって」
「そうじゃなくて、いつの間に仲良くなってんの」
あー、とアースはもごもご言った。
「新年祝賀の時の論争の続きを手紙でやり取りしようって話から始まって……今現在文通友達」
意外とやるな、とセイリアは目を見開かされた思いで双子の弟を見つめた。
「あんたとアリアンさんって気が合うのね」
「……それはどうかなぁ。コミュニケーション手段が手紙になっても、相変わらず考えてることがよく分からない子だよ」
「そのわりには結構良くやってるみたいじゃない?」
「うん。顔が見えないと気楽なんだ」
「…………」
前言撤回だ。全然よくやってない。
今度アリアンロードと会うことになった時には是が非でもアースと話すように仕向けてやる、と固く誓い、セイリアは本題に戻った。
「えっと、セレスはなんか言ってなかったの?」
「セレスティアさんは……相手が何を欲しがっているのか分からないなら、とりあえず自分がもらって嬉しいものをあげろって」

セイリアは迷った挙句、アリアンロードの意見を採用することにした。
これはちょっと意外な選択だ、と我ながら思った。
アリアンロードはどう見ても恋愛経験のない少女だ。
それなのにアリアンロードの選べと言ったプレゼントの方が、気持ちが伝わるような気がする。
シェーンの悩みを共有するすべのない自分にできる、精一杯の贈り物だ。

そしてパーティー当日、なんとアースはまたもや風邪を引いた。
「弱っ」
病床の弟を目の前にしてセイリアが放ったのは、なんとも容赦ない一言だった。
「言わないでよ。今回はこの僕が出席したいと思った数少ないパーティーの一つだったのに」
アースは鼻をすすりながら言った。
今回ばかりは「都合よく」風邪を引いたわけではないらしい。
「シェーン王子にはお世話になってるからね。一言お祝いを言いたかったんだけどなぁ……」
殊勝にされるとセイリアもそれ以上は言えず、結局アースを怒るどころか、慰める立場になって家を出ることになった。

アースが風邪を引く前から、一体二人がどういう立場で出席するのか議論していたのだが、こうなったらもちろん、セイリアが「護衛騎士アース」として行く事になった。
今回のパーティーにおける護衛の仕事は「アース」の当番なのでセイリアがその役目をやった方がいいのだが、アースを女装させて人前に出すのと騎士の役目を任せるのと、どっちがましかで討論していたのだ。
どちらがよりリスクが高いかを秤にかけ、結局性別を偽らずに行こうという話しにまとまりかけていたので、そうと信じていたメアリーはまた悲哀に満ちた悲鳴を上げ、セイリアがドレスを着ていかないなんてと喚いた。
やっぱり「セイリア」として出席なさるべきです、と私情混じりも甚だしいメアリーの声から逃げまくり、何とか男装の正装に着替えて剣を携え、出発することに成功した。

王宮は、新年祝賀会の時と同じくらいとはいかなくても、十分人であふれかえっていた。
セイリアは自室で着替えの最終準備に入っているシェーンのそばで、侍女たちが服に合う飾りをあれこれ吟味にしているのを眺めていた。
目配せや手の動き一つで黙々と連携を取りながらシェーンを着飾らせていく侍女たちの、そのプロフェッショナルな仕事ぶりに、少し感動した。絶対着飾らされる側にはなりたくないとは思ったが。
準備ができるとシェーンは人払いをして、控えの間にセイリアと二人で残った。
「主役は最後の登場だから、ここで待ってろってこと?」
セイリアが聞くと、シェーンは頷いた。
「まあ、すぐ呼ばれるだろうけどね」
セイリアは懐に隠し持っていたものを取り出して、シェーンの傍まで駆けていき、その手に押し付けた。
「お誕生日おめでとう」
シェーンは目を瞬いて、セイリアを見つめ、びっくりした、というように言った。
「脈絡なく言うから驚いた。……ありがとう」
間違いなく照れている。
礼を言っただけいつもより素直だが、せめて笑顔ぐらい返して欲しいなとセイリアは苦笑した。
シェーンは手の中に残った細い金属を見て言った。
「これ、何?」
「見れば分かるでしょ」
「分かるけど……僕に、短剣?この期に及んで武芸を練習しろって?」
「違うわよ、ばか」
セイリアは唇を尖らせた。こんな時までシェーンは減らず口を叩き続ける。
「それ、あたしがお母様からもらったものなの」
シェーンは目を見開いた。
「……セイリアの、お母さん?リアンノン・ヴェルハント?」
「あら、知ってるのね」
「そりゃ、まあ……でも、お母さんのものなら形見なんじゃ」
「だからあげるのよ」
セイリアは笑った。
「あたしが一番大切にしている宝物。だからシェーンにあげるの。まあ、いざっていう時に使える代物だし、飾りにしても見栄えがするでしょ。鞘にはまってるの、本物の宝石よ」
「……でも」
シェーンは嬉しいけれどこんな大層なもの、というためらい方をした。
王子らしからぬ謙遜だ。こんなちっぽけな短剣よりずっと高価な物だって、たくさんもらっているはずなのに。
それでもためらってくれているのは、シェーンが自分の前だと一人の男の子になってくれているからなんだなぁ、と思ってセイリアは嬉しかった。
「誕生日、おめでとう。この日があることを、神様に感謝いたします」
シェーンはじっとセイリアを見つめると、我慢できなくなったように、セイリアを抱きしめて額にキスをした。
セイリアは思わず小さく悲鳴を上げた。
「わーっ!!ととと突然するのはやめてよっ!!」
「セイリアがいけないんだ」
「なんでよっ」
「なんでも」
言って彼はにっこり笑う。
いつの間にこんなに、優しくて心底嬉しそうな、それでいてどこか意地悪な笑い方ができるようになったのだろうと思う。
「これ、大事にする。誓うよ」
シェーンに言われて、体の芯からじんわりと、温かい気持ちが広がった。


そのすぐ後にお呼びがかかって、セイリアは広間に出て行くシェーンの後から、目立たぬように控えてついていった。
祝辞があり、国王からの一言があり、シェーンからの挨拶があり、そして一家一家、贈り物を献上していく。その後でまた長ったらしい祝辞があり、それが終わってようやくごちそうだった。
そしていつもの通り、ダンスパーティーに社交。
人ごみを掻き分けてセイリアに近づいてきたのは、セレスとアリアンロードだった。
「こんにちは。ご機嫌いかが?」
セレスティアが息を弾ませて言う。
「アー……いえ、セイリアさんはいらしていないの?」
「また風邪を引いちゃって。まあ、流行る時期だし仕方ないのかもしれないけど」
「あらあら、まあ」
セレスはさっと心配そうな顔をした。
「では、後日お見舞いに参りますわ。アリアンロードさんも一緒にいらっしゃる?」
アリアンロードはこくんと頷き、セイリアを見上げた。
「プレゼントは」
「っへ?」
「セイリアさんからのプレゼントは、王子様へのものではないのですか」
ぽかん、とセイリアは口をあけた。
「あれ……どうして知って……」
「時期が時期ですし」
アリアンロードはさらっと言った。
「ご本人が直接手渡せないのなら、あなたに託したのでしょう?渡せましたか」
「あ……はい、まあ」
アリアンロードはすぐ近くのシェーンに目を移し、ぽつりと言った。
「嬉しそうですね、王子様」
「そ、そう?」
やっぱり観察力の鋭い少女だ、とセイリアはひやひやした。
セレスがセイリアにずいっと詰め寄る。
「あの、よろしかったら教えて欲しいのですけれど、プレゼントは何だったのです?」
「あー……」
セイリアは気恥ずかしくなったが、結局言った。
「お母様からもらった短剣」
「まあ、それでは形見なのではないの?」
セイリアは笑った。
「それくらいが気持ちを表すのにちょうどいいんじゃないの?」
「そうですけれど」
やっぱりセレスももったいないと思っているらしい。
まだシェーンを見ていたアリアンロードがぽつんと呟いた。
「……セイリアさんがお好きな方って、王子様だったんですね」
「うぁ、あ、うん……」
声が上ずったが、まあどっちにしろこの調子ではごまかしが効かないだろう。
とりあえずアリアンロードは「ヴェルハント嬢」がシェーン王子を好いているのだと思っているわけだし。
「……前途多難ですね」
呟かれた一言に、セイリアは表情を曇らせた。
それは分かっている。身分差にシェーンの立場、加えて女の身で騎士をしているという秘密。どれをとったって一筋縄ではいかない壁だ。
「もちろんです。でも、どうにかするしかないでしょう」
セイリアが言うと、アリアンロードはセイリアを見上げて言った。
「まるで自分のことのように言うのですね」
ぎくり。
「いい弟さんです、アースさんは」
アリアンロードが微笑んだのを見て、セイリアはほっと息をついた。
なんだ、ばれたわけではなかった。

すぐに二人はそれぞれの父親に呼ばれてセイリアから離れ、セイリアは仕事に戻った。
この日ばかりは、少なくとも表面上は、誰もがシェーンを祝福しているように見えた。
ホールのあちこちにある暖炉で盛大に火が焚かれて暖かい室内は、実際肌に感じるだけでなく、事実、あたたかい。
ダンスも催され、当然主役のシェーンには人がたかった。この機会にぜひ一曲、ということである。
セイリアも割り切っているので別に他の人と踊られても平気だった。
壁際でシェーンを眺めながら、今は自分がついていないのだから、万が一婦人方が凶器を隠し持っていたら、シェーンは一巻の終わりだなぁと考えた。やっぱりシェーンは武芸を習うべきだ。
「こんばんは」
声をかけられてセイリアが振り向くと、レナードだった。
「こんばんは、レン。大尉はどうしたの?」
「何か大事な話があるようで、一人にしてくれとのことでした」
「そう……みんな忙しいんだね」
「みたいですね」
レナードは本当に自主性にかけた青年で、自分から誰かに話しかけている場面などほとんど見なかったから、セイリアは彼が話しかけてくれたことがちょっと嬉しかった。
レナードはチラッと、遠くでどこかの貴婦人と話しこんでいる義妹に目を留めた。
「セレスティアと一緒ではないのですね」
「あの子も忙しいし、あたしも仕事があるから。なんだ、レンもちょっとはセレスのこと気にしてるんじゃない」
「……そうでしょうか」
「今気にしたじゃないの」
「……そうですね」
セイリアは笑った。
「いい調子だと思うよ、あんた。セレスと仲良くできるようになったら他の人とも、最終的にはきっと、公爵とも仲良くなれるよ」
レナードは目を瞬いた。
「……父上とも、ですか」
「シェーンだって、地道に実績を積み上げて頑張ってきたのよ。人間関係も一緒」
「……ですが、いいんです。認めてもらえなくても」
セイリアは眉を寄せた。セイリアには信じられない言葉だった。
この人はどうしてこんなに諦めきった言い方をするのだろう、と思った。
「認めて欲しくないの?養父とは言えお父さんでしょう?」
「いいんです」
レナードは頑なに繰り返した。その中に秘められた、何か固く重苦しいものを感じたが、元来鈍いセイリアには、レナードの真意が掴めたようで、掴みそこなった。
ただ気付いたのは、レナードの鮮やかとも言えるはずの朱色の瞳の奥は、色彩の無い虚空の世界だということ。
セレスはこの色に気付いているだろうか、とほとんど無意識に思った。

その時、レナードがふと視線を上げた。
それが騎士としてのレナードの表情だと気付いたセイリアは、反射的に振り返った。
本当に一瞬のことで、レナードが同じものに気付いていなかったら絶対見間違いだったと思うくらい瞬時のことだったが、確かに回廊に誰かがいたのが視界の端に映った。
セイリアの中の護衛としてのアンテナがぴんと張った。
客は全員、ホールにいる。少し席を外す人が出てくるには早い時間だった。
人影があったのは、護衛が固めている客人用の出入り口ではなくて、王族が出入りする控えの間に続く回廊だ。それで疑惑は十分。
セイリアは駆け出した。すぐ後にレナードもついてきた。
「セイリアさん、戻ってください。あなたは王子の傍にいるべきです。ここは俺が」
「あんな人でごった返した広間で何か起こってたまるもんですか。こっちの方が明らかに重要」
セイリアも言い返し、回廊に飛び出す。
いた。しかも明らかに逃げている。
隣の建物に消えるドレスの裾が見えた。女だ。
さっき、シェーンのダンスの相手が刺客だった場合の想像をしたことを思い出して、セイリアは緊張した。何があっても捕まえなければ。

どうやら相手は刺客にしては素人過ぎたようで、逃げ方も下手なら足も速くは無かった。
追っ手が騎士隊でも腕がいいと評判の二人ではなおさらである。
覚悟した戦闘などは一切無くて、すぐにセイリアとレナードはその女を追い詰め、セイリアは前に回り、レナードは後ろを固めてその女に向かって剣を突きつけていた。
「これ以上逃げても無駄。素性を言いなさい」
セイリアが声低く告げ、女は息を切らしながら言った。
「ご、ごめんなさい。怪しい者ではないの。でも、わたくしのことは見なかったことにしていただけないかしら」
怪しくないなら見逃してもらう必要が無いじゃないかと言い返しそうになったとき、セイリアは女性の顔立ちに気付いて息を呑んだ。
海色の瞳。
月の色にも、すぐそこに見える雪の色にも良く似た銀色の髪。

「でないと、あなたたちも大変かもしれないから」

シェーンに、とてもよく似ていた。
――― カレン側妃だ。




最終改訂 2007.09.10