The Preparation 
備え

 

新年から一月が経った。
一段と冷えるようになってきた。朝に布団から出るときはガタガタ震えるくらいだ。
暖炉の前が家族の団欒の場になり、そして一番暖かい場所は、ビアトリス皇女にもらった白猫のクレオがいつも占領していた。
クレオは今やすっかり大きくなって、大人の猫になっていた。実に我が物顔で屋敷中を歩き回っている。
セイリアが寝ていると彼女のお腹の上で丸くなり、その重みでセイリアが目が覚めるなんてこともあった。
幸い、今では服やら布団の上でそそうをすることなんてなくなったのだが。

セイリアの仕事は順調だった。というか、何も無かった。
カレン側妃に出会えたことは予想外だったが、かといってその後何かあったわけでもなく。
ただ、どうやらヌーヴェルバーグの援軍を派遣するかどうかでものすごい論争になっているらしかった。
普段は中央には我関せずの態度で、領地を治めることに専念しているはずの父ですら、どこかの誰かに引っ張り出されて王宮に行くことになったりしていた。
「正直私はどっちでもいいんだがなぁ」
父は、支配者階級としては相当無責任な言葉を、子供たちに向かって漏らしていた。
「陛下はどう言ってるの?」
「あまり援軍派遣には乗り気でいらっしゃらないようだ。シェーン王子と同じ意見だな。」
アースの質問に父は答える。
セイリアにとっては別に興味のある話題ではなかったが、シェーンが関わるとなると気になるので聞いていた。
「シェーン王子も乗り気じゃないんだね」
「そうだな。だが、どうやら反対する理由を明かしたくないらしいのだ。おかげで非難が集中していて、ちょっとまずい状況になっているんだよ」
「……なんで?みんな理解がないんだね。隠すならそれなりの理由があるはずなのに」
「みんな、その理由があまり褒められた理由じゃないと思ってるんだろう。保身上の理由とか。まあ、どちらにしろシェーン王子の王位継承反対派はこれが絶好のチャンスだと思っているみたいだがな」
「……逆に言えばシェーン王子はピンチってことだよね」
「そうなんだ」

それはセイリアも感じていた。
ピンチはピンチでも危機的なほどではなく、だから刺客が出てくるとかいうことはなかったのだが、明らかにシェーンに向けられる視線が険しくなっていっているのだ。
「結局どうするの」
セイリアは痺れを切らしてシェーンに聞いてみた。
「そろそろ立場をはっきりさせないと、ヌーヴェルバーグも怒るんじゃない?」
「それなんだけど」
シェーンはほんのわずかに不安げな表情をしながら言った。いつもは自信ありげなのに、珍しい。
「父上が、形だけ援軍派遣してみたらどうかって。実際に戦うのを手伝うんじゃなくて、物資の援助とか、その程度でおさめておくといいんじゃないかって。それについては僕も賛成なんだけど……」
「……ヌーヴェルバーグがそれで納得する?」
「そこが問題なんだ。だから父上は、父上自ら軍の指揮を取って戦場に赴くって言っている」
セイリアも、話を隣で聞いていたルウェリンも目を丸くした。
「え、陛下が自らですか?」
ルウェリンの言葉にシェーンが頷く。信じられなくてセイリアはもう一度聞いた。
「じゃあ国を留守にするつもりなの?」
「そう。その間、僕が国王代理を勤めろって」
「……一人で?」
「そう。一人で」
なんだかえらいことになっている。
「すっごい危なくない?」
「下手に動いてヌーヴェルバーグの思う壺になったら、国家滅亡の危機かもしれないから、それよりはマシ」
「そ、そんなおおごとなの?」
「戦争ってそういう性質のものだよ。できるだけ保身しておいて損はない」
あっさり言うな。
「シェーン、陛下の提案を呑むつもり?」
「他に良さそうな案がないんだ。公開しても良さそうな、ヌーヴェルバーグの方に非があるっている証拠が見つからないし」
政治世界ってややこしい。
「……なんか……これからは毎日忙しくなりそう」
これからは国王代理の護衛騎士ということになるわけだ。
「もっと護衛増やせないの?」
「そんなことをしたら、それこそ僕に手をかける絶好の機会だろう」
言外に、護身に関してはセイリアだけが頼りだと言う意味が読み取れた。
セイリアはしばし考え、シェーンの腕をつかんだ。
「決めた。もうあんたの意見は関係ない」
「え?」
「今こそ実行すべき時。シェーン、今度こそは武術の訓練をしてもらわないと」
「は」
「いざとなったら頼れるのは自分自身だけでしょ。何が何でもやってもらうから」
「……むちゃくちゃじゃないか」
「そんなことない。絶対役に立つ。もう決めたから。私が教える。また口で丸め込もうとしないでね。あんたのことを考えて言ってるんだから」
先手を打たれたシェーンは、開きかけた口を閉じて、もごもごさせた。
「……そんなの練習する時間なんてないんだけど」
「一日30分でもやるの。やんないよりは絶対マシ」
セイリアはすっかり意気込んでいた。
「そうと決まったら今日からやろう!ルウェリンも一緒に指導してあげる」
「ええっ、本当ですか?や、やりましょう、やりましょう!」
浮かれているルウェリンを見て呆れた顔をしているシェーンに向かって、セイリアは勝利の笑みをにやりと投げかけた。

そんなこんなで、セイリアは半ば強引にシェーンに稽古をつけることにした。
シェーンも少々危機感があるらしく、無理やりセイリアを丸め込もうとはしなかった。いざ稽古を開始してみると、なかなか真剣に取り組んでくれた。
筋は悪くないんじゃないか、とセイリアは思った。
とても才能があるとはいえないが、かといって丸っきりダメダメなわけでもなかった。
ルウェリンも確実に腕を上げていった。やっぱり騎士隊長が「見込みのある子」と言っていただけのことはあるようで、集中力さえ持続できればルウェリンにはかなり期待して良さそうだった。
「シェーン、そんなへっぴり腰じゃダメでしょう!もっと背筋を伸ばして!剣を怖がっちゃダメ、体の一部だと思わないと!ルウェリンもまだまだ力みすぎ!」
セイリアの飛ばすアドバイスに、二人ともひいひい言っていた。
「セ……アースって、教官としては鬼教官だよな……」
訓練の休憩の合間に、シェーンがそう愚痴をこぼす程だった。
「はい、でも、他の騎士隊の教官方も似たようなものですし」
ルウェリンが言う。
「それに、言ってることは間違ってません。とっても的確なアドバイスをくださいます」
シェーンはルウェリンをちらりと見て呟いた。
「心底、アースに傾倒してるんだね」
「だって、それだけの価値はある方ですよ!気さくで明るくって、何より強くて!」
ルウェリンが、それは熱心に顔を輝かせて話すので、シェーンは思わず呆れたような笑みをこぼした。
それを脇で見ていて、セイリアはちょっと嬉しくなった。
どうやらこの二人、仲良くやっていけそうだ。ルウェリンを自分の後継者にして大丈夫そうだ。

その時、中庭にふっとハウエル大尉が現れた。
「剣の音が聞こえたと思って来てみたら……何やっていらっしゃるんですか、シェーン殿下にアース、それにルウェリン君」
シェーンもルウェリンも振り向いて驚いた顔をした。
「ハウエル大尉」
「オ、オストール大尉!こんにちは!」
セイリアも手を振った。
「こんにちは。どうしたんですか、こんな所で」
「それはこっちのセリフだよ。シェーン王子が剣を持っているのはなぜだい?」
からかうような調子で言われたシェーンはむっとしたような顔をした。
「僕が持っていたら、何か不都合でも?」
「いえ、でも私を驚かせるには十分足ります」
シェーンは何も言わずにそっぽを向いた。
その仕草が子供っぽくて可愛くて、セイリアは思わず微笑む。そして説明した。
「私が稽古をつけてあげてるんです。これからは絶対に武術の心得が必要になると思って」
「ああ、陛下がしばらく留守になさるから……」
「あれ、知ってるんですか」
ハウエルはにっこり笑った。
「私は軍の中でも情報を取り扱う部署にいるからね」
「どうりで……いつもいつも、どこからともなく情報をつかんでくるわけですね」
セイリアが感心している一方、大尉は少し厳しい表情でシェーンを見つめた。
「本当に大丈夫なのですが、殿下一人で国を預かるなど」
「護衛の問題のことを言っているなら、分からないとしか言いようがないな」
シェーンは感情薄く答えた。
「しかし、あなたに何かあっては困ります」
「それは……そうだけど……だからこうして、本当ならやりたくもない訓練をしているんじゃないか」
「ちょっとシェーン、人が親切でやってあげてるのにそれはないんじゃないの?」
セイリアが言うと、シェーンがふふんと鼻を鳴らした。
「だって、どっちにしろ君が強引に引っ張り込んだんじゃないか」
「あんただって抵抗しなかったでしょ。いつもは口で丸め込むくせに」
「へえ、僕が丸め込もうと思えば出来るってこと、認めるんだ」
「う……み、認めてない!とにかく抵抗しなかったシェーンが悪い!」
「良し悪しの話はどこから沸いてきたの?僕は別に君が悪いなんて一言も言ってないけど」
「うー、もう!また屁理屈!」
「うん、敗北宣言したね」
「はいはい、お二人さん、そこらへんで終わりにしましょう」
セイリアが言い返そうとしたところで大尉が爽やかに割って入った。

「それでもシェーン殿下、こんな慌てて訓練しても、大して腕が上がるとは思えませんよ?」
「……悪かったね、武芸の才能がなくて」
「なんなら私もしばらく軍を離れて、お側につきましょうか?国王代理の護衛を務めるというなら軍も納得するでしょうし」
「…………」
シェーンは少し考えた。何故かセイリアの方を見てくる。
セイリアにはそれが、シェーンが“大尉も護衛になったら大尉をセイリアと近づけることになるのでは”と危惧しているのだと分かるはずもなく、大尉が護衛になることに自分が何か関係があるのかな、と首を傾げた。
一方、それが分かる大尉は苦笑して聞いた。
「シェーン王子?私はそこまで信用なりませんか?」
シェーンはむっつりと答えた。
「そういう信用のならない挑戦状を送ってきたのはあなただ」
「あれは殿下のに反撃しただけで」
「じゃあ、あれは本気じゃないって誓える?」
「それはできかねますが」
「それみろ」
セイリアは目をぱちくりするしかない。
「一体何の話をしてるの?」
二人は同時にセイリアを振り向いて、声を合わせて言った。
「分からなくていいよ」
セイリアはルウェリンを見たが、ルウェリンも訳が分かっていない様子だった。

「それで、どうなさりますか、王子」
「……頼む……と思う」
曖昧な言い方をしたシェーンだったが、ハウエルは笑んだ。あくまでいつもの笑みだった。
「かしこまりました」
しかし視線の端はしっかりセイリアを捕らえていた。
「では、これからよろしく、アース」
「え、あ、はい」
「…………」
シェーンは再び、自分の判断がよかったのかどうか自信をなくした顔になった。


そして、ヌーヴェルバーグの援軍要請に応える日がやってきた。




最終改訂 2007.11.24