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水面下で何が起こっているのかはともかく、水面上はいたって平和だった。セイリアは毎日ルウェリンを伴って仕事に向かい、大尉と合流してシェーンの護衛に当たる。レナードはいないので、従者なのになにをしているんだと大尉に聞いたら、適当に騎士隊からもらってきた仕事をしたり、自主訓練をしたりしているとのことだった。
「なんでレンも護衛に加わらないの?」
「オーディエン公爵が反対しているんだろう、不相応だと」
「……差別が激しいんだね」
大尉は少し苦笑して言った。
「これだけはどうにもならないよ。人は自分と違うものを恐れ、忌むものだ」
「違うってってもたいした差じゃないでしょ。せいぜいちょっと肌とか目とかの色が違ったりするだけじゃない」
「君くらい大ざっぱに物を考えられるようになれば、差別はなくなるんだろうけどね……」
そしてシェーンはというと、いつもいつも、大尉とセイリアが話をしていると落ち着かないようだった。大尉だって本気でシェーンを怒らせてはまずいと思っているようで、セイリアに近づくのはほどほどにしているようだったが。
そしてルーは、大尉がやたらセイリアに構うのは“アースの姉”に近づくためなのだと信じ切っているようで、尊敬するアースとシェーンの連盟とハウエルとを天秤にかけた結果、前者に味方をすることにしたらしい。ハウエルがセイリアに近づき過ぎるたびにあたふたし、そしておずおずと間に割って入るのだった。
本物の方のアースは、こっそりシェーンの仕事を手伝うことをまだ続けていた。セレスやアリアンロードとの文通も続けているようで、アリアンロードは“アース”が文武両道だと感心しているらしい。セイリアはアースとそろって苦笑するしかなかった。
しかし、目下の懸案事項は別にあった。
カーティス王子から“アース”宛てに手紙が来たのだ。手紙の仕分けをしていたメアリーは驚いたようで、なにかあったのかとセイリアのところに駆け込んで来た。
「うわ、マジで? とうとうきたのね」
セイリアは呟いて手紙を受け取り、アースのところに駆け込んだ。
二人で開けて読んでみたが、内容はとくに取り留めのないもので、子爵に関することや護衛の仕事のこと、それから国内での決定に関してやこれからの護衛の予定などについての、単なる報告のようなものだった。ちらっと最後に“セイリア”に関する記述が有ったのが気になったのだが、それまでといえばそれまでである。
セイリアとアースは二人でそろって、ほっと一息ついた。
「単刀直入には来なかったわね」
「うん、よかった。これで奇襲を仕掛けられたら動揺するところなんだけどね」
ふとセイリアは首を傾げた。奇襲は仕掛けて来なかった。では、何をカーティス王子は仕掛けて来ようとしているのだろう。
「ねえアース、もしもあんたなら、探りたい相手に怪しまれないように探りを入れる時、どうする?」
「え? 僕? 僕なら時間をかけてゆっくり信用させてから話を聞き出すな。でもこれは相手が自分のことをよく知らない場合にしか使えない策だよ。僕がカーティス王子なら使わない。だって僕達はカーティス王子が僕達に含みがあることを知ってるもん」
なるほど、とセイリアは思った。
「んー……でもカーティス王子はアースほど頭が回らないのかもよ?」
「仮にも帝王学を受けてるのに?」
「んー……」
セイリアは考え、提案してみた。
「一応、返事を書いてみたら? それでカーティス王子がどう出るかをみてみるの。どうせ王子からの手紙だし、無視するわけにもいかないでしょ」
そういうことになった。文章はアースの方が上手いので、書くのはアースが書くことになった。
そしてシェーンにも報告した。動きがあったことに、シェーンは大して驚かなかった。
「手紙ね……用途が多すぎて意図が読みにくいってところでは賢いね」
「驚かないんだね」
「これくらいの動き、今までなかったのが不思議なくらいだ。むしろやっとか、って感じだね」
「じゃあ、何か対策とかもう考えてある?」
「とりあえず様子見だね。タイミングが気になる。わざわざ父上の留守を狙ったみたいだ」
それはセイリアにも気になるポイントだった。シェーンを擁護できる一番の立場にいる国王が留守の今を、見計らったようなタイミング。
「でも、本当の狙いはあんたのはずでしょう。うちのことを探ったってどうしようもないと思うんだけど。私が何も知らないこと、向こうは知らないのかな」
「さあね」
シェーンはあっさりとそう言ったが、ふと何かが気に留まったようで、猛スピードで書類に走らせていたペンを止めた。
「……アース。君が僕の護衛になったのは、どう考えても偶然だよね」
「は? そりゃそうでしょ。あの大会で準優勝したのが、ハーストン公爵派でもなくて、ついでにオストール大尉みたいにもう軍に入っている人間でもなかったってだけでしょ」
シェーンは少しの間黙り、思案していた。やがて、考えを整理するように話し始める。
「僕を引きずり下ろすのに一番良い方法はなんだと思う?」
「え? さあ。引きずり下ろしたいと思ってないからわかんない」
シェーンは苦笑した。
「分かりやすい答えをどうも」
「……どういたしまして」
真剣に言ったのに取り合ってもらえなかった。シェーンは再びペンを書類に走らせながら言った。
「何かあるのかもね。子爵に聞いてみた方が良い」
「何かって?」
「兄上が僕のことを君から探ろうとする理由だよ。そういえば家柄が子爵の割には随分重用されてるし、何か理由があるのかもしれない。……母上の侍女だった君のお母さんのことかも」
「もう死んでるんだけど」
「本人が死んでいても、子供が残ってる」
す、っとシェーンが顔をあげた。可愛い顔をしているくせに、随分鋭い視線だ。これは軽く見られるのを防ぐためにシェーンが身につけたものなのだろうかと思う。
「僕たちが生まれる前のことだし、そこになにかがあるなら、僕自身が知らない秘密であっても不思議じゃない」
「うちのお母さんがねぇ……」
「そういえば、君のお母さん、旧姓は?」
「え? 知らない。お父様が言ってるのを聞いたこともないし、気にしたこともないし」
シェーンは呆れたような顔をした。
「自分の母親のことだろう」
「だって、うちんちって他の親戚と交流ないもん。お父様はお祖父様やお祖母様の話しなんかしないし、だからお母さんの家のことも話さないし」
「……まあ、これでどっちにしろ兄上は無駄骨を折ってることになるから別に良いんだけど」
シェーンはまた苦笑を漏らし、書類をまとめてトントン、と机の上で整理した。そして立ち上がり、書類を脇に抱える。
「父上の仕事部屋だ。アース、ルウェリン」
「はーい」
「はいっ」
半年もやっていれば、仕事も少しは板についてくる。ついてくると、慣れで少し気が緩みがちだった。それが原因だったのかもしれない。いずれにせよ、セイリアはカーティスが国王の部屋のすぐそばの曲がり角から出てくるのを感知できなかった。まあ、相手もこちらが来るとは思っていなかったらしく、敵意を剥き出しにするような状況ではなかったので、当然だったのかもしれないが。
両者、お互いを見つけて足を止めた。ものすごく、とんでもなく、タイミングの悪い会い方だった。両者、固まった。
最初にフリーズ状態からの解凍に成功したのはシェーンで、他人行儀な表情で会釈した。我に返ったカーティスが言った。
「父上の部屋なのに、我が物顔で使うんだな」
「代理ですから」
シェーンの返事は短い。
「……なるほどな。せいぜいこの部屋の中にある機密を独占するがいいさ」
子供が拗ねてるみたい、とセイリアは思った。シェーンもそう思ったのか、少し皮肉っぽく笑った。その笑みを目ざとく見つけたカーティスはむっとしたようだった。
「何がおかしい」
「いえ、オーカストに嫉妬する外国のようだと思っただけです。そのオーカストの王子であるにもかかわらずね」
痛い皮肉だ。パンチは効いたみたいで、同時にカーティスのシェーンに対する友好度は一気に下がったに違いない、明らかに頬に朱がのぼっていた。セイリアは少し危険を察知して、左手を腰に下がっている剣のつかにかけた。
しかし、まあ、今度は怒りを抑えるだけの理性はあったらしく、ぐっと飲み込んで、カーティス王子は代わりにセイリアの方を向いた。 セイリアはビクッと肩を奮わせ、彼を見つめ返す。だがこちらから過剰反応していては相手の思う壷なので、自分から仕掛けてみた。
「お返事は届きましたでしょうか」
「え……ああ、届いてる」
「それならよろしゅうございます」
カーティス王子は何も言わずにじっとセイリアを見つめていた。その視線に何を思ったのか、シェーンが言う。
「これで失礼致します、兄上。アース、ルウェリン、行こう」
セイリアはカーティス王子の視線を振り切るようにしてシェーンの後に続いた。
シェーンが書類の整理と、必要な資料を探すのを追えた後、シェーンの執務室に戻る道すがら、セイリアは言ってみた。
「これ以上相手の感情悪くしてどうするの。あんたってほんと、一言多いんだから。少しはその生意気を直さないと、敵が増えるよ」
「敵なら僕の性格がどうであれたくさんいるよ。これで生意気を直してみろ、立場も手伝って僕は“排除しやすそうなやつ”に早変わりだ。それ今だとばかりに潰される」
……お疲れ様としか言いようのない立場だ。
「それより、アース」
シェーンがセイリアに忠告した。
「やっぱり兄上は君を探っているみたいだ。何か嫌な予感だな。君もあまり変に動かない方がいいよ。……ったく。ただでさえ頭の痛い情報がたくさん入ってきてる時期なのに」
「でも本当に、私何も知らないし。うちのお……姉だって何も知らないはずだよ。探るならお父様を探ればいいのに」
「子爵はあれでも口が硬いから。一応父上と近い人だしね。僕でも子爵よりかは君を探る」
「そういうもんなの?」
「そう」
「……面倒臭いなぁ、応対するの」
嫌がるのはそこなのか、とシェーンが呆れた。
「ところで、頭の痛い情報がたくさんって、何か有ったの?」
「うん、なんか戦争がゴチャゴチャし始めたみたい。物資の輸送途中で奇襲に巻き込まれて身動きが取れなくなったって」
セイリアは驚いてシェーンを見つめた。
「陛下は大丈夫なの?」
「護衛がたくさんいるから、彼ら任せだね。……まさか物資を支援しに来ただけの国の国王を、どうにかしようとは思わないだろうし。変なふうにこじれなければ」
いつも通りの冷静で客観的な言い方だったが、やっぱり心配なんだろうなとセイリアは思った。いつもそうやって感情を理性で押さえ込んで、ちょっと心配になる。
「ね、シェーン、今度暇があったらうちに来ない?」
セイリアが言うとシェーンは目を瞬いた。
「これはまた唐突なお誘いだね。何、何かあるの?」
「なきゃいけないわけ?」
気分を害したセイリアが頬を膨らませると、シェーンはふんと鼻を鳴らした。
「普段されないことをされると勘ぐりたくなる」
「私はあんたみたいに腹黒くありませんっ」
「腹黒って……こういうのは策士って言うんだよ」
「うわ、自分で言ってるし」
「誰も否定しないからいいの」
「あ、そう。じゃ来ないんだね?」
「それとこれとは別」
「だったら素直に来るって言えばいいのに」
「何、素直になった方がいい?」
シェーンはいうと、見事な王子の表情を貼り付けて、にっこり笑った。
「誘ってくれて嬉しいよ。もちろん行くさ!」
セイリアは固まり、たっぷり10秒は目を瞬いて、首を横に振った。
「……やっぱ怖いからいい」
とりあえずシェーンの表情が少し明るくなったから。これで良しとしよう。
そして、セイリアには別のすべきことが残っていた。ヴェルハント家が探られる理由について、子爵を問いただすつもりなのだ。仮に何かがあるとしたら、それはセイリア自身のことでもあるのだ。知らないままで放っておくつもりは、毛頭なかった。
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