The Viscount's Family 
子爵家

 

「お父様」
 少年にしては高い声がウォーレン・ヴェルハント子爵を呼ぶ。顔をあげれば騎士隊の制服を着た娘がいた。ノックしてくれないのはいつものことだが、とりあえず無駄なしつけを試みた。
「セイリア、だから入って来る時はノックを、と……」
「どうせうちはプライバシーもへったくれもないんだから関係無いじゃない」
 娘はあっけらかんと言ってソファの上であぐらをかいた。
「セイリア? 足は降ろした方が」
「どうせお客様はいないんだし、関係無いじゃない」
「えーと……制服は着替えた方がいいんじゃ」
「メアリーみたいな事を言うのね。面倒臭いわ。今は女の姿に化ける必要はないんだし、関係無いじゃない」
 お手上げだ。子爵はため息をつき、書類を脇に寄せて娘の話を聞くことにした。
「それで、何か用かい?」
「うん。あのさ、カーティス王子から妙な手紙が来たこと、こないだ話したわよね」
 ああ、と子爵は頷いた。基本、子供たちの問題は子供たちで解決してもらいたいので子爵自身はノータッチを決めた問題だった。何より、子爵は子供たちが何も知らないことを知っている。知らないままにさせておいた方が、彼ら自身と家の安全のためなのだ。
「あれがどうかしたのか?」
「お父様、うちって何かあるの?」
 遠回しに探らずに直球で来る、娘らしい質問に、子爵は言葉に詰まった。
「何かって何のことだ?」
「だって変じゃない、単なる護衛の家を探りたがるなんて」
「不思議ではないだろう。護衛騎士と言ったら四六時中王子に張り付いている役目だ。王子が一番信頼している者と言っても過言じゃないからね。王子がうっかり何か情報を漏らしていないか、と考えるんだろう」
「そりゃそうかもしれないけど……」
 うまく撒けたと思った子爵だったが、どうやら娘は太子や息子といろいろ話をするうちに鋭い頭の回転のし方を学んだらしい、切り返して来た。
「シェーンに限って、うっかりなんてことはないだろうけどなぁ。そもそも、うっかりな内容ならあたしも覚えて無さそうだし」
「……お前、それで騎士が勤まるのか」
「逆に言えば秘密を漏らさない、護衛に最適の騎士でしょ。あたしスパイになる気はないし。それとお父様、カーティス王子が探ろうとしてるのは、あたしからシェーンのことを、じゃなくて、うちんちそのものなのよ。あたしのことばっか気にして、珍しくシェーンには関心が薄かったもの」
 真っすぐな緑色の瞳は、亡き妻を彷彿とさせた。いかにも気の強そうな、鮮やかな緑色。
「……そんなことを言っても」
 困り果てて頭をポリポリかいてみたら、娘はじっとりとした視線を送って来た。
「お父様、はぐらかしてるの、それとも本当に困ってるの?」
 実を言えば両方なのだが、子爵は言った。
「……困ってる」
 ウソはついていない。実際困っていた。
「じゃあ、質問を変えるわ。お父様、陛下がお父様と近いのはなぜ? うちはたかが子爵でしょ」
「たかがって……爵位があるだけでもありがたいんだぞ」
「そう、その爵位よ。なんでもらえたの? 何の理由でもらったの? お父様、家を追い出されたんでしょ?」
 本当に、遠慮のない娘だ。
「そもそも、なんで追い出されたの? しかもあたし、シェーンに言われて初めて気づいたんだけど、お母様のこと何も知らないのよね。旧姓も、母方のお祖父様お祖母様のことも。何も言わないってことは、やっぱなんかあるの?」
「い、いや、矢継ぎ早に質問されると頭がついていかないんだが……」
「じゃあまず、何かあるのかどうかだけ教えて」
 どうしたものか、と子爵は必死に考えた。はぐらかされてはくれなさそうだし、話をそらしても結局話題を戻されそうな気がする。かといって嘘でもついたら、親だろうが何だろうが、娘は本気で怒るに違いない。
「あることはあるな。お前が気付くぐらいだ、何かがなければおかしな状況だろう」
 考えた結果、正直に言うことにした。セイリアは口を開きかけたが、ウォーレンは遮った。ここは父親の威厳の見せ所だ。
「だが、その内容をお前たちに教える気はない。それだけははっきり言っておく。知っている人間を増やす気はない。……リアンノンについては、いずれ教えることにもなるかもしれないが……だが、今じゃない。教える訳にはいかない」
 娘は考え込むような表情で、じっとウォーレンを見つめていた。
「お前だって知らない方が、カーティス殿下に探りを入れられた時にうっかりもらさなくて済むだろう。シェーン王子がうっかりもらすことが有り得なくても、お前なら十分有り得るだろうしな」
「……お父様ってアースと同じ。一言多いわ」
「どうせ色々言われるなら、一言多くしておいた方が得なんだよ」
 子爵が肩をすくめて答えると、セイリアは頬を膨らませた。
「分かったわよ。今は答えなくていいわ。でも、ことはあたしのお母様のことなんですからね」
 セイリアは腰に手を当てた。親に対してすら命令的な態度である。
「いずれ教えると約束して」
「約束する。お前の嫁入り前までにはきっと教える」
 一瞬、それではもしかして一生教えてやれないかもしれないという、娘に言ったらそれこそ叩きのめされそうな、縁起でもない予感がしたが、王太子の顔を思い浮かべて、まあ一応一人は候補がいる訳だし、と思い直した。

 そしてはたと気付いた。王子と、娘。
「…………」
 色々問題がある。それは娘が王妃にふさわしいかどうか、とかそういう類いの問題ではなく、王家と子爵家の秘密にかかわるものだった。
「……まあ、知らぬが仏か」
「何か言った?」
「あ、いや、何も……」
 娘に苦し紛れに微笑みかけ、ウォーレン・ヴェルハント子爵は亡き妻に出会った日のことを思い出した。
 ――あんまり嗅ぎ回るならぶっ飛ばすわよ。
 お互いチラチラ姿を見かけていたとは言え、初対面でこの台詞である。強烈な印象と、かなりの恐怖をウォーレンに残した彼女はしかし、ウォーレンが敵でないと知るとあっさりと態度をひるがえした。仲間と認識した者には、彼女はとことん親身かつ親切で、何よりその、命の輝きに満ちた生き方がとても眩しかった。
 彼女の秘密にはその頃から薄々感づいていたから、プロポーズをした際に秘密を告白されても驚かなかった。
 ――知っていたの?
 驚いたように聞いた後、彼女は柄にもなく泣きながらウォーレンに抱き着いて、お受けします、と答えたのだった。

「実を言えばな、セイリア」
 子爵はポツリと言った。
「私が勘当されたのは、リアンノンと結婚したからなんだよ」
「え?」
 娘は目を真ん丸にしてウォーレンを見つめた。
「私の父様も母様も大反対だったな。駆け落ちまで覚悟したが、それは困ると言って陛下が助けてくださったんだ」
 セイリアはしばし考えるように首を傾げた後、少し不安げに聞いた。
「お母様、そんなに問題ありな出身だったの?」
「問題ありというか、出自が謎、という感じだったからね。どこの馬の骨ともわからん奴と結婚などさせん、ってことなんだろうさ」
「ふうん……」
 セイリアは呟いた。子爵はまだ探るようなセイリアの目付きから逃れるように言った。
「安心しろ、お前達に何か問題が及ぶようなことはない」
「……どうかしらね。まあ、でも、一つくらいは質問に答えてもらえてよかったわ。ありがと、お父様」
 娘はそう言って立ち上がった。

「最近はシェーンも仕事が忙しくてぴりぴりしてるみたい。あたしのことまで心配してくれちゃうから、余計に疲れるみたいなのよね」
 そういうことか、とウォーレンは納得した。珍しく食らいついて放してくれないと思ったら、王子のためだったのか。
「そうか。従者の子はちゃんとよくやっているか?」
「ルーのこと? 最近は落ち着きも出てきて、上々ね。大人になったらかなりいけるんじゃないかしら。腕も悪くないし。あ、あたしね、あの子にあたしの跡を継がせようと思ってるの。あたしが将来、令嬢に戻った時のために、あたしに代わる護衛が必要でしょ?」
「……跡継ぎの前に、令嬢にふさわしい教養と作法を身につける方が差し迫った問題だと思うんだが」
「いまさら無理でしょ」
 はっきりきっぱりさらっと却下された。子爵は苦笑するしかなかった。
「一応、今日はお前にパーティーのお誘いがあるんだってことを教えておこうと思ったんだが……そんなようでは、断った方がよいのかな?」
 セイリアはパーティと聞いて首を傾げた。
「あたしだけにお誘い?」
「いや、一家でだ」
「物好きがいたものね。勘当されて独立した子爵家を誘うなんて」
「セ、セイリア……一応陛下の覚えめでたい家なのだが」
 セイリアはしかし、父の反論をさらりと受け流した。どうでもいいらしい。
「まあ、いいわ。誰からのお誘いなの?」



 アースは本を手にしていたが、読んではいなかった。どうせもう5回は読んだ本だ。内容もほとんど覚えている。
 窓の外を見て、アースは思い出にふけっていた。姉によく似た母がまだ生きていた頃、よく家族みんなで庭に出て、おやつやお茶を楽しんだものだ。当時からセイリアはやんちゃで、アースは引っ張り回されては母に泣きついていた。甘えん坊だったなぁ自分、と笑みがもれてくる。本当に甘えん坊だった。誰もかもに頼っていた。
 だからこそ、母が死んだ時は、それはもうショックを受けたものだ。世界が崩壊したような錯覚に陥り、なにもかもが悲しくて、毎日毎日、朝起きてから夜寝るまで、ずっと泣いていた。母に捨てて行かれたような気分だった。あんな苦しくて辛い思いはもう二度としたくないくらいだ。
 一方の姉はというと、もちろん最初は悲しんでいたが、驚異的な立ち直りを見せた。一週間ほど閉じこもっていたと思ったら、今度は毎日外のどこかへ消え、そしたら立ち直っていた。そのエネルギッシュな行動で一生懸命乗り越えようとしているのが分かった。
 突然騎士隊の入隊を宣言したのもその頃だ。父には怒られるから内緒、と言われたのだが、その父も母が死んでめちゃくちゃに参っていたので、仮に言ったところで、心配するには許容範囲を超えた問題だっただろう。
 双子の片割れは見事に主席で合格し、訓練生も見習い騎士もほぼ最優秀で卒業するという快挙を成し遂げた。一方、訓練に付き合わされることもあったアースは、双子の姉に追い回されて悲鳴を上げていた。そんな忙しく騒がしい日々が、結果的にアースを悲しみから引き上げたのだ。
「……意図していたのかなぁ、姉さん」
 していないだろう。そういう複雑なことは考えない人だ。ただただ、閉じこもる弟に腹が立ってお尻を叩いていただけのつもりだっただろう。癒すとか救うとか、そういう意図ではなかったはずだ。
「まあ、自然にやっちゃうところが姉さんなんだろうけどね」
「何を?」
 独り言に返事があったのでアースは本を取り落とした。
「な、なんだ、姉さんか。ノックしてよ」
「どうせうちはプライバシーもへったくれもないんだから関係無いじゃない」
「あるでしょ……」
 アースの突っ込みはスルーして、セイリアは言った。
「あのね、父様が元の家から追い出されたのってお母様と結婚したからなんだって」
 アースは本を拾い上げ、眉をひそめた。
「母様と結婚したから? なんで? 母様ってどこかやばいところの出身だっけ」
「知らないわよ。母様に聞いた覚えもないし。あんたなんか覚えてる?」
 少し苦痛が伴ったが、アースはちゃんと母のことを思い出してみた。
「別に何も……小さかったし、母様の出身を気にしたりはしなかったからね」
「そうよねぇ」
 姉は溜め息をついた。しかし家でも騎士隊の制服でうろちょろするのは直した方がいいじゃないだろうか。まあ、聞いてはくれないのだろうが。
「まあ、僕たちが知らなければ他の人に探られても問題ない訳だし、いいんじゃないの?」
「あたしたちがやらなきゃシェーンがやりそうなんだもの。またあの子、顔がタヌキになりそうだわ。ほっとけないわよ」
 アースは苦笑した。何だかんだ言って熱々のお二人だ。どうぞおしあわせに。しかしお節介な姉である。だからこそ救われた自分なのだが。

「あ、そうだ。アース、あたしたちパーティーに誘われてるんだって。珍しいことだし、出席しない? あんたの社交訓練にもなるわ」
 アースの顔が引きつった。母が死んだ時に母と一緒にいたので、アースはセイリアと共にもろに母が殺される場面を見てしまったせいもあって、母が死んで以来、人と接するのが極端に怖くなってしまっている。
「パ、パーティ?」
「あ、怖じけ付いたわね。今度風邪引いたら本当に馬にくくりつけてでも連れてくわよ」
「姉さん、“出席しない?”ってのはお伺いを立てる言葉じゃなくて命令なわけ?」
「あんたは強制参加でいいの」
「よくないーっ」
「いいじゃないの、知り合いのとこなんだし」
「……誰のところ?」
「アリアンロード。お兄さんが結婚するんだって」
 アースは少し考えた。
「……まあ、結婚式なら」
 あまり人と話すような場面はないだろう。式が終わったらちゃっちゃと帰ればよいのだ。
「じゃ決まりね。あんた、女装と男装どっちがいい?」
「男装に決まってるじゃないか」
「じゃあ、次期ヴェルハント子爵の名に恥じない振る舞いをよろしく」
「……姉さんこそ令嬢の名に恥じないようにね」
「一言多い」
 セイリアは言ってアースの頭を叩いた。




最終改訂 2008.03.17