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アースの元に奇妙な男が訪れたのは、ちょうどセイリアがカーティスに直談判をしに行くと言っていた日のことだった。正確には“セイリア嬢”を訪ねてきたとのことだったが。
門番からそれを伝え聞いたメアリーは、普段から双子の傍で様々な秘密を共有してきた身として機転を利かせた。「お嬢様は具合がお悪くていらっしゃいます」といってなんとか追い返そうと試みた。
しかしそいつはなんとカーティス王子の名を出してきたのだ。直々に手紙を渡すように仰せつかっている、と。これは少し、一介の侍女には手に余る事態で、メアリーは既に実際に具合を悪くして倒れそうなほど青ざめているアースの服を引っぺがし、布団に押し込んでかつらをかぶせるという応急処置でしのぐことになった。念には念を入れて、押し込んだ先はセイリアの布団だ。布団をかぶっているおかげで女装をせずに済んだということだけがアースにとっての救いだろう。
「お邪魔して大変申し訳ございません」
大変丁寧な物腰で入ってきた王子の手紙運び屋らしき男は頭を下げた。アースはパニック寸前だったが、無意識に男の挙動に全神経を集中させた。万が一この人が騎士上がりだったら油断がならないと思ったのだ。どんな情報を盗んでいかれるか分かったものじゃない。
アースは視線を合わせないようにしながら、なるべくセイリアの声を真似て「こ、こんにちは……」と呟いた。
「お加減が悪いところ、無礼は承知にございます。主人からの手紙を預かってまいりました」
男はそういって、手紙を差し出した。カーティス王子の紋印で封がしてある。なんとも機密っぽい手紙だ。
「……どうも」
アースは緊張で震える手のせいで、2回も手紙を受け取り損ねた。男はじっとアースを見ている。その視線に、アースはごくりとつばを飲んだ。
「……い、今読まないといけませんか」
「はい。返事をいただいて帰れと仰せつかっております」
それはこの際かまわないから、とりあえずベッドから少し離れてほしい。そして見つめないでほしい。半泣きになりながらアースは封を開けた。内容はごくシンプルだった。
「…………」
アースは絶句した。恐る恐る男の顔を見る。
「……と、父さまやね……いえ、弟と相談してからではいけないでしょうか」
「いいえ、すぐにお返事をとのことです」
アースは困り果てて再び手紙に視線を戻す。それは呼び出しを告げる、ごく簡潔な手紙だった。場所指定は王宮、日時は今日。
(どどどどうしよう)
アースは手紙を握り締めたまま必死に頭を働かせた。断るわけにはいかない。相手は王子なのだ。ちょっと具合が悪かろうと、呼び出されたらすっ飛んで行くのが筋である。アースは悟った。
(……カーティス王子は僕に狙いを定めたんだ)
おとなしい引きこもりの“姉”の方に。情報を知っているのは“弟”の方だけれど、“姉”にも情報はいっていると踏んだのだろう。
(姉さん……)
助けを求めようにも、双子の片割れはいない。父は今日、出かけていたはずだ。心配そうに脇で控えている侍女に目をやってみたが、ここで侍女が口を挟んでは余計に怪しい。アースはごくりと唾を飲み込んだ。
「わ、分かりました……けれど、ぼ……いえ、私は馬が乗れなくて……」
男は首を傾げた。
「あの……?」
そうか、この男も手紙の内容は知らないのだろう。アースは必死に震える声を制して言った。
「……王宮まで、送っていただけますか」
男は理解したように頷いた。
「もちろんでございます。馬車を用意してございます」
なんて用意周到な。メアリーの驚いた顔に、アースは声をかけた。
「着替える準備を。……お使者の方、どうか外で待っていてください」
男は一礼すると部屋を出た。
扉が閉まるとすぐにメアリーが駆け寄ってきた。
「若様、どうなさったのです? どうして王宮に行くなどと……あれは何の手紙だったんですか?」
「呼び出し……」
アースが呟くように言うと、メアリーが青ざめた。
「そんな! 待ってください、わざわざ王宮行くことなんてありません。至急お嬢様をお呼び戻しして……!」
「姉さんもカーティス王子を探してる。二人が一緒にいるところに、僕から助けを求めてごらんよ。カーティス王子にも僕が呼び出されたくらいで“姉”が慌てて“弟”に連絡を取るのがばれる。絶対怪しまれるよ」
「でも!」
「むしろ」
アースは布団を這い出て、よろめく足でどうにか自分を支えながら言った。
「王宮で姉さんと鉢合わせできるかもしれない。そしたら、助けを求めてみる。会えなかったら、カーティス王子の前で気絶するふりでもするよ。……今は、それが一番いいと思う」
セイリアは以前シェーンを散歩に出たときの経験を生かし、そこら辺にいた番人に「カーティス王子がどこにいらっしゃるか、分かりますか?」と聞いてみた。すると本当に「東の春の庭のほうに向かいました」という返事が来た。便利なシステムだ。
アウステル宮殿には東西南北に庭があり、それぞれ東から時計回りに春夏秋冬の名がついている。南の庭の近くにいたセイリアにとっては近い場所だったので、ラッキーだと思いながら、ルウェリンと一緒に急いで東の庭に向かった。
その道の途中で、セイリアは王宮で聞くはずのない声にアース、と呼ばれた。あたりを見回してみたら、見覚えのない男に連れられたアース(かつらをかぶっていてしかも女装だったのでまるきり自分自身だったが)がいた。セイリアはぽかんとして、その場に棒立ちになった。なんであの子がここにいるんだ。
「あ、セイリアさん」
ルウェリンもぽつんと言う。セイリアは慌てて二人に駆け寄った。アースは今にも泣きそうな顔をしている。セイリアは急いで声をかけた。
「ア……じゃない、姉さん? な、何してるの?」
「お呼び出しを食らいました……」
「だ、誰から?」
「カーティス王子……」
驚いた顔をしたルウェリンの隣で、瞬時に事態を把握したセイリアは、弟を先導している男をすっと見上げた。
「姉に何か用ですか」
「申し訳ありませんが、私は何も。殿下から申しつかった役目を果たしているだけにございます」
「そうですか」
セイリアは怯まなかった。弟にまで手を出すのなら、弱者の弱みに付け込む卑怯者というものだ。そんなのは許さない。
「ちょうどよかった。私もカーティス王子に会いに行くところなんです。お供します」
「は……しかし」
「私がついて行ってはいけないと、カーティス王子に言われたんですか?」
「いいえ」
「なら、問題はないでしょう」
セイリアの一歩も引かない態度に、男は諦め、セイリアがついていくことを拒否はしなかった。
歩きながら、アースがそっとセイリアに囁いた。
「た、助かったよ姉さん。会えなかったらどうしようかと思ってた」
「……あんた、よくまた女装する気になったわね」
「これしかなかったんだもん。王子からの呼び出しを断るなんてできないよ」
「いいわ。あんたはあたしがポカしそうになったら遮って。他はあたしに任せていいから」
アースはこくりと頷き、緊張した面持ちになった。少なくともセイリアと一緒にいる分には、不安はだいぶ軽減されている様子だ。相変わらず自分に頼るんだなぁと思ったが、セイリアもまだ対人恐怖症が完治していない弟に家の命運を預ける危険は冒せないので、自分が何とかしようと心に決めた。
春の庭のすぐ近くにある部屋が、カーティス王子の部屋だった。案内を務めた男がドアをノックする。
「ヴェルハント嬢と、王太子護衛騎士のヴェルハント殿、その従者のカイゼル殿にございます」
中で一瞬間があり、返事もないままドアが開いた。顔を出したカーティス王子はまずセイリア、そして背後のルウェリンを見つめた。
「なんでお前たちがここに……」
「ちょうど用があったところを、おと……姉と出くわしたもので、ついてきたんです。いけませんか」
明らかにカーティス王子は内心舌打ちをしたようだった。
「……悪運強い姉弟だな」
「姉に何か用ですか」
「二人で話したいことがあったんだ。お前は少し外で待っていろ。その後で話とやらを聞いてやる」
アースを先に行かせるわけにはいかないと感じたセイリアはすかさずアースを背後にかばって言った。
「仕事の合間をみて来たんです。待てません。私が先ではいけませんか」
「では後日にしたまえ」
「今日しか空いてません」
「では諦めろ」
「そんなに姉との話は大事な話なんですか。おかしいですよ、カーティス王子。未婚のレディと二人きりになりたい理由でもあるんですか」
内容を深くは理解していないまま言ってみた言葉だったが、カーティス王子は何故か赤くなった。
「何を言う! 王子にやましい疑いをかけるのか! 無礼にもほどがあるぞ!」
「王子だからって何をやってもいいわけじゃありませんよ」
「秘密裏にしたい話があるだけだ! 無関係の者は引っ込んでいろ!」
「何を聞きだすつもりです」
鋭く問うセイリアに、カーティスは感情的になっていた表情をぴたりととめ、急に慎重な面持ちになった。
「何の話だ」
「この前から突然うちに手紙をよこしたり、私が留守のときにこっそり姉を呼び出したり、うちの何を怪しんでいるんですか。聞きたいことがあるなら直接聞いてください」
「ほう、探られるような秘密に心当たりでもあるのか」
カーティス王子はすっとアースに目を向けた。
「弟のほうからは何も聞きだせそうにないな。あなたに答えてもらおうか、ヴェルハント嬢?」
話を振られたアースはピクリと肩を震わせ、青ざめた。一瞬口をパクパクさせたが、どうにか深呼吸をし、声を発した。
「私に心当たりなんてありません。一体なにがどうなっているんです。しがない子爵家に何の御用なんですか」
カーティスは一瞬いらいらしたように表情をゆがめた。シェーンやランドル王子ともよく似た整った顔立ちなのに、こういう表情ばかりが浮かぶのはもったいない。声も表情よりさらに如実に苛立ちを含んで刺々しかった。
「埒が明かない。ヴェルハント嬢、やはり二人で話がしたい。部屋に入りたまえ」
「明らかに探りを入れられると分かっていて、のこのとついて行かせてたまりますか!」
アースに向かって伸ばされたカーティス王子の手を、セイリアは払いのけて歯向かった。
「どけ!」
「いやです!」
「なぜそこまで強情なのだ! 何を隠している!」
「何も隠してませんってば!」
「だったら問題ないだろう、どけ! 不敬罪にされてもいいのか!」
「女の子を自室に引き込もうとしてるあなたはどうなるんですか!?」
もみ合いになった。アースは横であわあわしていて役に立たない。
「ア、アース殿っ……」
ルウェリンが、これはまずいというような表情で二人を見つめていたが、セイリアにはルウェリンの控えめな制止の声を聞いている余裕はなかった。押しのけようとするカーティスの手を押し返し、アースのほうに行かせないように服を引っ張り、その服を引っ張っている手をカーティス王子がどかそうとする。見ていた使者の男は突然始まった喧嘩に一瞬驚いたようだったが、すぐに主人に加勢しようとセイリアの腕を掴みにかかり、それに気づいたルウェリンもセイリアの加勢をしようとその男に飛び掛った。
4人でもみくちゃになった末、カーティスがアースのドレスに躓いた。
「う、あっ!!」
「わあ!」
結果、真ん前にいたセイリアが押し倒される格好となってしまった。したたかに柱に頭をぶつけ、目の前が一瞬真っ黒に光ったかと思うと、声すら漏らせないほどの激痛が頭に走って一瞬気が遠のいた。
「……っ……!」
「アース殿っ!!」
「姉さ……!!」
ルウェリンとアースが叫びを上げる。痛む頭をさすりつつ、今のアースの中途半端な叫びにぎょっとしたセイリアは急いで視点の定まらない目で目の前の男を見上げた。
カーティスの腕が、ちょうどセイリアの足の付け根のあたりに乗っていた。なにがまずいのかを徐々に理解したセイリアは、完璧に喉から逃走してしまった声を呼び戻せないまま、ぱくぱくと口を動かした。カーティス王子も何かがおかしいと思っているようで、奇妙な顔をしながらセイリアを見つめている。そして、はっとしたように目を瞬いた。
「お前……」
「どいてえぇーっ!!」
急に戻ってきた声で絶叫しながらセイリアはカーティス王子を跳ね除けた。とりあえず今のごたごたでアースの「姉さ」は聞こえていないといい。いや、聞こえててもこのままでは結果は同じなのだが。
息も絶え絶えに柱にへばりつきながら立ち上がったセイリアを見つめて、カーティス王子は信じられないように呟いた。
「お前……」
ルウェリンも使者の男もぽかんとしているが、アースは何かを悟っているらしい。双子でそろって今にも失神しそうだ。
「女、か……?」
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