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セイリアは即座に叫んだ。
「断じて違いますっ!!」
ここはしらを切るに限る。とっさにした判断だったが、セイリアは自信がなかった。ここで医者でも呼ばれて連行されて身体検査をされたら終わりだ。カーティス王子はやはり信じていない様子で、セイリアを指さす。
「だって、お前……なかったぞ」
「なななないってなんですか!」
「だから、あるべきものが」
ここはあくまで、あるのだと主張するべきか。言い張れば言い張るほどぼろを出しそうな気がして、セイリアは言葉を出すのをためらった。そのせいで不自然な沈黙が生まれる。明らかに怪しい反応になってしまって、いよいよ言い訳のきかない状況に追い込まれた。カーティス王子の表情が徐々に疑いから確信めいたものに変わっていく。それをなすすべなくセイリアは見つめているしかなかった。どうしよう、とセイリアは思った。
……シェーン、助けて。
「兄上!」
祈りが届いたかのように、そこにシェーンの声が響いた。春の庭の方から急ぎ足に、大尉とレナードを伴ってやってくる。なんとランドル王子も一緒にいた。その様子はセイリアの危機に駆けつけたというよりは、もっと別のことに切羽詰まっているような。
しかしカーティス王子は当然、握ったセイリアの弱みを簡単には手放さない。シェーンだけを見据えて問う。
「シェーン、お前、四六時中一緒にいて気付かなかったのか?」
「何のことです。それより……」
言いかけてシェーンは顔面蒼白なセイリアと、女装姿で全く同じ顔で同じ表情のアースに気付いて、何かあったと知ったようだ。どうやら状況判断でなにが起きているかも分かったらしい。
「お前の護衛、女じゃないのか」
カーティスは単刀直入にそう言った。ランドル王子は狐に包まれた顔をしていたが、大尉がわずかに眉を動かし、レナードは微かに瞳を揺らした。シェーンは盛大に眉をひそめた。演技だろう。
「何を荒唐無稽なことを。僕の護衛にちょっかいを出す暇があるなら今すぐ来てください。緊急事態なのです」
「荒唐無稽? しらを切るつもりなら俺だって実力行使に出るぞ」
カーティスはすらりと剣を抜いた。大尉とレナードが素早くシェーンの前に出る。セイリアも身構え、自分とシェーンとどちらが狙われてもいいように柄に手を伸ばした。しかし、剣が突き付けられたのはシェーンでもセイリアでもなく、アースだった。
「ひっ……!!」
突然のことにアースが息を飲んできつく目を瞑る。
「やめて!」
セイリアは思わず叫んだ。
「その子に手を出さないで!」
「お前が女ならこっちが男だろう。女の格好までさせられて、かわいそうに。……レディの体に触れるのは失礼だが、こいつならかまうまい?」
セイリアでなくてアースの身ぐるみをはがす気だ。そう悟った瞬間、体が勝手に動いた。
セイリアは剣を抜いた。
「だめだ、早まるな! 極刑になる!」
シェーンが叫んだが、セイリアはやめるつもりはなかった。抜いた剣を自らの、一つに結んだ髪の下に当てて、勢いよく滑らせた。
ばっさりと床に落ちた栗色の髪に、全員が呆気に取られた。
「なっ……」
貴族の女にとって髪の長さは、身分を表す高貴さの象徴である。それはつまり、身分を重んじる貴族の女にとって髪は宝だということだった。セイリアは元から短い方だったが、それでも最低ラインを超えてはいなかった。それが今や、アースとそう変わらない、女にしたら召使い並みの短い髪になってしまっていた。
「例え王子とは言え、人を辱めるなんて最低」
緊張が突き抜けて、セイリアはすっかり肝が据わっていた。シェーンもアースも、傷つけさせたりはしない。自分を傷つけることだって許さない。
「私は男です」
嘘をつき続けることでそれが叶うなら、男になってやる。髪なんて邪魔なだけだし、身分なんてくそくらえだ。
「姉から離れてください。でなければ決闘を申し込みますよ」
そしてセイリアは切り取った髪を拾い上げて、カーティス王子に向かって突き付けた。
「これで引き取るか剣を交えるか、どちらか選んでください」
誰も動かない。呆然と仁王立ちをしている小柄な騎士を見つめていた。
最初にショックから立ち直ったのはやはりシェーンだった。静かに、伝えそびれていた“緊急事態”を告げた。
「兄上、父上が行方不明です」
「……な、なに!?」
さすがにカーティス王子も振り返る。シェーンは好機だとばかりに、饒舌にまくし立てた。
「今朝、ヌーヴェルバーグにやった使いの者から、父上と連絡が全く取れないとの知らせが入りました。前日にシュリーユで激しい戦闘があって、それに巻き込まれたと見られます。……これが」
シェーンが金色の何かを差し出した。小刀だ。セイリアがシェーンにあげたものとは比べ物にならないほど豪華な装飾が施され、オーカストの紋章が入ったものだ。柄にはしかし、不似合いなほど素朴なお守りがかけられていた。なんとなく見覚えがある、とセイリアは思った。
「父上の短剣じゃないか」
カーティスがかすれた声で呟く。
「ち、父上は……」
「安否が確認できないうちは何とも言えない。けれど父上が不在であることは確かだ。だから兄上に、軍の指揮を執ってほしいのです」
カーティスは眉をひそめた。
「どういう風の吹き回しだ」
「僕はもう体が二つあっても足りないのです。ランドル兄上は辞退なさった」
ランドルはまだセイリアを気にするように見つめていたが、ちゃんと話は聞いていたようで、頷いた。
「私には向きませんから。こういうのは兄上の方がお得意でしょう」
「お願いします」
シェーンが“お願いします”だ。これは珍しい。カーティスはちらりとシェーンをみた。
「頼み事をする時は頭を下げるのが筋だろう」
……調子に乗っている。シェーンはあからさまに眉をひそめた。矜持の高いシェーンにとっては屈辱的な言葉だ。
「帝王学を受けた兄上とあろう者が、僕にそんなことをおっしゃるとは」
当然、シェーンは折れなかった。
「そうでなくても王子としてこうあれと教わった中に、国の最高権力者に頭を下げよと言うという項目でもあったのですか」
こんな緊張した場面でもこれ程妥協しないということは、シェーンは相当怒っているようだ。カーティスもむっとした表情をして、「俺から奪った座のくせに」と呟いてセイリアを見やった。
まだ自分の髪を差し出したままのセイリアから、髪を、……受け取った。
「今はこれで手を引こう」
カーティスは呟く。
「だがヴェルハント殿、護衛騎士の座に留まり続けていられるとは思うな。今日のことは伯父上の耳にも入れておく。……後日話をつけようではないか」
「受けて立ちましょう」
実際、受けて立てる自信などなかったが、セイリアはいかにも自信ありげに言ってみせた。シェーンがいつもやっていることだ。彼の場合は本当に自信があるのかもしれないが。
カーティスはそのセイリアの表情にわずかに不安になったように眉をひそめ、緊急会議に急かすシェーンの声に、腑に落ちない顔をしながらもセイリアから視線をそらして去っていった。
「……髪が」
その後ろ姿が見えなくなってから、アースがセイリアに駆け寄って呟いた。
「髪が」
「髪ぐらいどうだっていいよ」
セイリアは言い、抜いたままだった剣を鞘に収めた。ルウェリンも困惑した風情でセイリアに近づく。
「で、でも、アース殿……カーティス殿下が」
「うん、後でシェーンと作戦会議をしきゃ」
「お、落ち着いてますね」
「なんか、極限になると居直っちゃうことってあるじゃない」
「そ、そうですか」
セイリアはアースに目を向けた。
「一人で帰れる?」
「あー……あの、王子様の馬車で来たから」
「じゃあ私が送るしかないか。ルー、シェーンのところに行って、後で話し合いがどんなことになったのか、私に報告しに来てくれる?」
「はい」
「じゃあ、よろしくね」
「はい、では早速失礼します。お気をつけて」
ルウェリンは頭を下げると速足にシェーンたちが消えた方へ去っていった。
セイリアもアースも無言のまま、二人で馬に乗って家へと戻った。父はまだ帰って来ていないようで、心配で今にも王宮に自ら乗り込みに行きそうになっていたメアリーはセイリアの短くなった髪を見て絶叫した。
「なななななんですかその髪はーっ!!!」
「メ、メアリー耳が痛くなるわよ」
「だってお嬢様の髪が! あんなに綺麗な色で、あんあにふわふわさらさらだったのに! 何がどうなってるんですか!」
セイリアは一部始終をメアリーに報告しなくてはならなくなった。最後にカーティス王子の「後日話をつけよう」の段まで話すと、メアリーは本気の目で言った。
「お嬢様、国外逃亡を図りましょう」
「なんでそこまで飛躍するのよ!」
「だってまずいじゃないですかぁ!! お嬢様の身に何かあった日にはこのメアリー・モーガン、王宮で一番高い塔の上から投身自殺を……」
「縁起でもないこと言わないでよっ!」
セイリアは額を押さえた。
「逃げたらそれこそ何か隠してるのがバレバレじゃない」
「でも姉さん、このままだと国内で発覚して処罰されるんだよ。同じようにバレるなら、処罰を受けない国外にいる時に……」
「アース、着替えが終わってから顔出しなさい」
「……はい」
すぐにアースは、かつらなしリボンなしの真っ当な「アース」の格好で出て来た。そのままセイリアの隣りに座る。二人で並ぶと、もう外見上の違いは表情に滲み出る気の強さだけになっていた。
「ますます区別がつかなくなりますねぇ」
メアリーが双子を眺めて言う。
「お嬢様ったら、本当にどうする気なんですか。夜会の時とか」
「まあ、騎士アースの髪が短くなったんだからアースはもうかつら被らなくて良くなったわね。あたしが被れば大丈夫よ」
「それで、姉さん、カーティス王子とのことは……」
アースに言われ、セイリアは黙り込んだ。嘘をつき通せる自信もないし、うまく立ち回る自信もない。相手が王子特権を行使すれば一巻の終わりである。王兄の耳にも入れると言っていた。八方塞がりではないか。
「相談しようにもお父様は留守だし……肝心な時に役に立たないわよね」
「姉さん……父親をそんなふうに言っちゃだめだよ」
「シェーンに会いに行きたいけど……」
国王が行方不明だと言っていた。
「それどころじゃ、ないわよね……」
「陛下が行方不明って件? むしろ国家の一大事だよ」
アースが言い、説明を始めた。
最高権力者が行方不明。畏れ多いが、万が一、どこかであの世へ旅だった後の成れの果てが見つかったりでもしたら、それこそ大変だということ。
まず太子がまだ18歳を迎えていない。この場合、国王と最も近い血縁の年長者――今のままでいくと王兄ハーストン公爵かカーティス王子が、代わりに王位を務めることになる。太子が18歳を迎えれば自動的に位は返されるものの、どちらが王位に就いてもそう簡単に玉座を明け渡すとは思えない。
そして外交のこともある。オーカストの、ヌーヴェルバーグとクロイツェルに対する感情は一気に冷えるだろう。こちらは国王を失ったのだ。国家で一番大事な存在を。
「泥沼の責め合いが簡単に想像できるよ」
「なんか、とんでもないことになってきたみたい……」
「このごたごたで先方がこっちの存在を忘れてくれればありがたいけど……」
そこでアースがはっとした。
「まずい」
「これ以上まずいことがあるの?」
「だって、姉さんは性別を偽って国を騙してたことになる。シェーン王子の護衛として、大きなスキャンダルだよ。これを利用してハーストン公爵かカーティス王子が永久にシェーン王子から王位を奪うことだって可能だよ」
「そ、そんなおおごと? 言っておくけど、あたしも騎士隊に入る時に規則を調べたのよ。女が入ってはいけないなんて一言もなかったわ。……貴族の息子うんぬんとか少年がうんぬんとかはあったけど、つまりは女が入隊にすることに関しては一切記述がなかっただけよ」
アースは目を瞬き、苦笑した。
「姉さん……意外と抜け目ないね。法の抜け穴まで見つけちゃうなんて」
しかしアースはシビアだった。
「それでも、そもそも騎士隊は女性の騎士を想定してないって事なんだよ。これからどう性別に関しての規則を定めるかは王様、つまり次に王位に就く人次第。勝負は五分五分って事になる」
セイリアは頭を抱えた。自分がシェーンの弱みになるなんて、想像もしなかった。あの子が一生懸命築いてきた信用を、自分が壊すかもしれないなんて。シェーンは責めるだろうか。
……責めない、だろう。理不尽な目には何度だって遭ってきているはずだ。それに、本当にセイリアが自分をせめて落ち込むような時にはわざわざ追い討ちをかけるような人ではない。やり直しぐらいできるさ、といつもの自信ありげな顔で笑うのが想像できた。
「ごめん、シェーン……」
本当に申し訳ない。
「そのかわり、絶対側にいるから」
もし騎士の位を剥奪されても、シェーンの立場がどうなっても、それだけは誓う。
「絶対、離れないから」
誓いというより、それはセイリア自身の願いでもあるから。
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