The Fanatical Adorer 
狂信的崇拝者

 

 国王の行方不明がもたらした混乱は大変なものだった。2日して帰ってきた父は、早々に王宮に向かって色々報告を受け、そしてたんまりと仕事を持ち帰って来た。かわいそうな子爵はセイリアの短くなった髪をみて仰天してはいたが、もう嘆く余裕もないらしく、毎日シェーンたぬきにも似た状態。
 セイリアはあの一件があった後もシェーンの護衛として活動を続けていた。ルウェリンも毎日セイリアについて来ていた。絶対に主人にはついて行くという覚悟がルウェリンからは感じられて、セイリアは少し感動した。
 シェーンはというと、ちゃんと寝ているかどうか心配になるくらいだった。目の下にクマが常、万年タヌキ。よく倒れないなと思うくらいだ。
「カーター先生に強壮剤をもらってるから」
 セイリアが心配して声をかけたらそういう返事が返って来た。
「薬でなんとかなるものじゃないでしょ! あんた、ほんとちゃんと寝なさい。私、夜勤するよ?」
「いや、それは」
「見てるこっちがハラハラするんだから」
 言うとシェーンは溜め息をつき、仕事の手を止めずに言った。
「見てるこっちがハラハラするのは君の方だ。兄上からのお呼びはまだかかってない?」
「う……話そらさないでよ!」
「君こそ」
 セイリアは溜め息をつき、頭をかいて口を開いた。
「まだ。ありがたいことにね。でも、本当にどうすればいいかわかんない……」
 シェーンはやはり仕事の手を止めずに言った。2つのことを同時にこなすなんてすごい。
「ルウェリン、少し席を外してくれないか。ちょっとこれはプライベートだから」
「はい」
 ルウェリンは歯切れよく言ってすぐに部屋を出た。なんと聞き分けのいい子。

「一応今のところ、君の性別はうやむやになってるけど、バレるのは時間の問題だね」
「うー……」
 セイリアは呻き、頭を抱えた。
「あたしはいいのよ。騎士をやめたって剣を持って“個人的かつ自主的に護衛する”とかなんとか言えばあんたの側に来ることはできるんだから」
「じゃあ君が心配してるのはなに?」
「あんたにきまってるでしょ」
 シェーンの仕事の手が、一瞬止まった。
「僕は大丈夫だよ」
「嘘ばっかり。ハーストン公爵からはまだ何の圧力もかけられてないの?」
「護衛に問題があったからって僕の責任にするのはお門違いだ。……父上の立場はちょっとアレだけど、父上は国王だし」
「その陛下は行方不明でしょ。あんた、後ろ盾がいないじゃない」
「まあ……そこは実力でなんとかするしか。他人に任せられるような仕事じゃないし、僕がやるしかないんだから」
 セイリアは黙った。少し沈黙を続けた後、再び口を開く。
「ねえ、あたしがもし、あんたが太子位剥奪される原因になっちゃったりしたら」
 シェーンは答えなかった。静かに仕事をこなし、時折脇の書類から何枚か引っ張り出して、読んでいる書面と照らし合わせたりしている。セイリアは黙っていられなかった。
「あんた、太子を追われるのかもしれないのよ」
「……父上は無事だ」
「あんたらしくないわ。根拠もないのにそんなこと」
「無事でないと、困る」
「そりゃそうだけど」
 セイリアは俯き、他の人なら聞けないだろうことを聞いた。
「ねえ、もし太子じゃなくなったら、あんたはどうする?」
 シェーンは顔を上げ、真っすぐにセイリアを見た。
「それは今のところ、僕に選択の余地はないから、しょうがないことだよ。もちろん、そうならないようにできることはやるけど」
「あんたって根っからの王族ね」
 シェーンはそれを褒め言葉と受け取ったのか、軽く笑った。
「セイリアは? 僕が太子じゃなくなったら、どうする?」
「別にどうもしないけど」
「だろうね」
 ひとつ満足そうに頷いて、シェーンは仕事を再開した。やっぱり正しい相手を選んだのだとシェーンが満足しているのだとは知らないセイリアは、単純にとりあえずシェーンが喜んでいるようなので、こんな時に呑気だなぁと思っていた。

 その時、扉をたたく音がした。
「王子様、アース殿、レナード・オーディエン殿です」
「レン? 大尉から何か伝言かしら」
「開けてくれる?」
「うん」
 セイリアが戸を開けると、レナードがいつもの無表情で立っていた。
「ヴェルハント殿」
「どうも、レン。どうかしたの?」
「これを殿下にと」
 書類を渡され、セイリアは溜め息をついた。
「シェーン、また仕事が増えたよ」
「こっちに持って来て」
「……暖炉に投げ入れたいなぁ」
「……それはやめてくれ」
 仕方ないのでシェーンの書類の山の上に積み重ねておいた。振り返るとレナードがまだ突っ立っているので、セイリアは聞いた。
「まだ何か?」
「はい。あなたの様子を聞いてこいと」
「大尉から?」
「はい」
 後ろでシェーンの手がピクリとなったが、セイリアは見ていなかった。
「べつに大丈夫だよ。このとおり、髪が短くなっただけだし」
「そうですか。しかし……」
「平気平気。二年ぐらいすれば元の長さになるって。髪伸びるの、結構速い方だし」
「そうですか」
 レナードは軽く頷いた。
「妹も心配しておりましたので」
「セレスが?」
 そうか、教えたんだ。
「へえ、あんたたち良くやってるみたいじゃないの」
「…………」
 それについては確信が持てないというように、レナードは黙って少し視線を逸らした。それから、話を逸らすためか、部屋の中のシェーンに聞いた。
「殿下、陛下の消息は」
「うん? 不明」
 シェーンはまたひとつ書類を片付けて、処理済みの書類の山に重ねた。
「生きるも死ぬも不明。なんの音沙汰もないんだ。奇妙なことに」
「奇妙なの、それって?」
「奇妙だよ。跡形もなく消えるなんて、失踪か誘拐ぐらいしかない」
「……誘拐に一票」
「嬉しくない一票だな」
「だってそっちの方が有り得そうなんだもん。陛下なんて情報の固まりだろうし、そうじゃなくても陛下以上に価値のある人質いないでしょ。そもそも失踪の理由がないし」
「……へえ。少しは分かるようになって来たじゃないか」
「おかげさまで」
 またひとつ書類を片付け、シェーンは飲み物を口に運んだ。
「大尉は何か情報を?」
 レナードに向けられた問いだった。レナードは相変わらずの素っ気無い声で答える。
「いいえ」
「そう。誘拐犯は相当優秀だな」
 シェーンは酷く疲れたような、苦渋に満ちた顔をした。

 そして次の書類を手に取って、ざっと斜め読みした。
「ちょっと兄上のところへ行く。これは一人で決めるのはちょっと危なそうだ」
「なに?」
「父上の捜索隊を諸侯から募る提案に関しての意見書」
「まだ捜索隊出してなかったの?」
「非公式のならとっくに出した」
「……ってことはこれは」
「国として、公式に出す捜索隊のこと。外交が絡むからうかつに判断は下せない」
シェーンが立ち上がったので、セイリアもきちんと気を引き締め直し、柄に手をかけた。
「兄上、ってどっちの?」
「ランドル兄上。……カーティス兄上のところへはもっと大人数で行かないとこっちの身が危ない」
「それはそうだね」
 レナードが進み出た。
「お供致します」
 セイリアは目を瞬いて、聞いた。
「いいの? お父さんが怒らない?」
 視線を地面にさまよわせたレナードにシェーンが助け舟を出した。
「護衛は多い方が心強い。僕が頼んだことにすれば大丈夫だよ」
「なるほど。じゃ、行こうか、レン、ルー」
 レナードは無言で頷き、ルウェリンははいっ、といつもの元気な返事をした。

 目的の人物を見つけたのは、しかし、本人の執務室にたどり着く前だった。嬉しくないが最近やたら縁があるらしい、とセイリアが呻いたことに、カーティス王子と一緒だった。回廊のど真ん中で立ち話をしている。
 シェーンは一瞬、緊張したような表情をしたが、よどみない足取りで彼らに近付いた。
「ランドル兄上、カーティス兄上」
 二人が振り向く。良く似た顔の片方は嫌そうな表情に、片方は驚いた表情になった。
「なんだ」
 ぶっきらぼうに答えたのはカーティスの方。そして、セイリアを見つけてニヤリと嫌悪交じりの笑みを浮かべた。
「まだ護衛をやっていたのか、お嬢さん」
「男ですから。それに自らこの仕事を辞めるつもりはありません」
 思わず反論したセイリアの前に出るように動いて、シェーンは手に持った紙束を差し出した。
「捜索隊の編成に関して意見書が届きました。兄上方のご意見をいただきたく」
 差し出された書類を受け取ったのはランドル王子の方。ぱらぱらっとページをめくり、少し難しそうな顔をした。諦めたような空虚な顔が常だと思っていたが、きちんと王子の顔もできるようだ。
「すこし大がかりすぎないかい?」
「同感ですが、これくらいの方が良いかと」
「あまり大掛かりすぎると、騒ぎが大きくなってうちも戦争に巻き込まれかねないぞ」
 カーティス王子が口を挟む。シェーンは頷いた。
「可能性は否定しません。ですが、内に混乱がある今、戦争に身を投じるのは愚の骨頂です。国の頂点が定まらないというのに」
「内の混乱の原因はおまえだ」
 カーティス王子の痛烈な一言に、シェーンは黙った。しかしすっと目を上げて、腹違いの兄を見上げて。
「だとすれば、戦争を回避するためには、今回の件は僕にとっては太子を降りる絶好の機会ということでしょうか」
 含みを持たせた言葉に、明らかにカーティス王子が少し緊張した顔をした。
「俺が仕組んだとでも言うのか」
「いいえ。兄上は父上に手を出すことだけはしないかと」
「……じゃあ」
「兄上、叔父上と最近仲がよろしいようですね?」
「馬鹿馬鹿しい!」
 カーティス王子が吐き捨てた。
「適当な政敵に罪をなすり付けるな! 根拠でもあるのか!」
「根拠がない根拠もありません」
「黙れ。その良く回る舌を引っこ抜くぞ」
 シェーンの舌が良く回るのはセイリアも認めるが、なんだか色々大変なことになりそうなのでセイリアが一歩前に出た。とりあえず、いつでも仕事の準備はできている。

 その時、全く予期しなかった場所に殺気を感じて、セイリアは思わずカーティスから視線を逸らした。
「カーティス王子!」
 思わずそう叫んだのは、飛び込んで来た影の向かう先がシェーンではなくカーティスだと気付いたから。カーティスは一瞬反応を遅らせたが、自分で抜刀して攻撃を防ぐのには成功した。
 襲撃者はまだ年若い青年だった。服装から下級貴族だろうと予想がつく。あまり刺客としての腕は良くなさそうだ。
 青年は反応の速かったカーティスに向かうのはもう無理だと判断したのか、今度は突然のことに驚いて立っていたランドル王子に向かって行った。シェーンの方に来られると困るのでセイリアは動けなかった。代わりに飛び出したのはレナードだった。
 ベルトに下げた短剣を素早く引き抜いて投げ、足に命中させる。青年は声を上げて倒れそうになったが、何があっても目的は遂げるという執念を感じさせる動きで顔を上げ、手に持っていた刃物を振り上げた。青年が倒れかかった一瞬で時間を稼いだレナードはその間に青年とランドルの間に入りこみ、腕で青年の刃を受け止めた。
「レン!」
 吹き出した血に思わずセイリアが悲鳴を上げる。狙いはシェーンじゃ無さそうだと思い、セイリアは青年に飛びかかった。ものすごい抵抗に遭い、顎を強打されるわ腹を蹴られるわされたが、後頭部に手刀を入れるのに成功した。綺麗には決まらなかったようだが、それでも一瞬目を回した間に、レンと共に青年の捕獲に成功した。振り返ってみたら、シェーンを離れたセイリアの代わりにルウェリンはちゃんとシェーンの前を固めていた。結構頼れる子だ。

 ランドル王子がレナードに駆け寄ろうとしたのでセイリアは声を張り上げた。
「来ちゃだめです! 危ないから!」
 目を回してすら、青年は抵抗をやめないのである。唸り、吠えながら、途切れ途切れに叫んでいた。
「シェーン王子の……邪魔は……させない……次期国王はシェーン殿下!」
 シェーンを狙うどころかシェーンの崇拝者らしいと知ってセイリアは驚いた。こういう人もいるのか。シェーンも動かずに青年をじっと見つめている。青年はシェーンに向けて、狂気すら覗く表情で言った。浮かべる笑みは恍惚としていて。ルウェリンも良く似た顔をするが、この青年のはルウェリンの無害な笑顔とは根本的に質が違う。
「シェーン王子、万歳! 万歳! 未来の国王、万歳!」
 その頃には騒ぎに気付いた衛兵が駆けつけて来て、セイリアとレナードの加勢をしてくれていた。ようやく完全に拘束された青年は、なおも万歳と叫びながら引っ立てられて行った。

 呆然と見送っていたセイリアは、レナードの騎士隊の制服を染めていく血にはっと我に返り、まず袖をまくり上げてやった。
「うわ」
 思わず声を漏らしたくらい、傷は深く見えた。
「大丈夫、レン? 気分は? 毒が回ってる感覚は?」
「ありません……が……」
「本当に? 強がらないで。この色の変わり方、おかしい」
 絶対毒だ。セイリアが応急処置用の薬を取り出そうとすると、ランドル王子が別の薬を差し出した。
「こちらの方が効く。王族のために調合された薬だから」
「しかし……」
 レナードがためらった。王族用の薬を分けてもらうのには当然抵抗があるだろう。しかし手当のことしか頭になかったセイリアはあっさり受け取り、遠慮なく傷口に塗り、飲み薬の方は自分のを与えた。
「医者のところにすぐ行きなさい」
 ランドルがレナードに言った。
「ここからならカーター先生の部屋も近い。宮廷医だけれど、解毒が先決だからかまわないだろう。礼をかねて私が連れて行こう」
 短くはい、と返事をしたレンは戸惑いを隠せない様子だったが、とりあえずランドル王子について行った。

 まだ周りにいた衛兵が、口々にご無事ですか、とシェーンとカーティスに声をかけている。
「俺は無事だ。シェーンは当たり前だが、無傷だ」
 カーティス王子が言っているのが聞こえた。彼はシェーンに、してやったりというような表情を向けていた。
「シェーンの狂信者だったんだからな」
 シェーンは無言で、自分と同じ色をした兄の目を見つめ返していた。またひとつ、スキャンダルが増えてしまった。



最終改訂 2008.06.05