The Dicision 
決意

 

「ごめんなさい」
 カレン側妃はそう言ったきり、シェーンの質問には答えなかった。
「知らない方がいいと、言えないと、おっしゃるのですか」
 シェーンが尋ねると、彼女はやはり黙ったまま、頷きもしなければ首を横に振りもしない。
「……それすら、言えないと」
「いいえ……シェーン、あなた自身は知っておいた方が良いのかも知れません」
 カレン側妃は意外なことを言った。そしてけれど、と続ける。
「万が一事が露見した場合、騒ぎどころの話ではなくなってしまうの」
「どの程度?」
「……それも、ヒントになるから言えないわ」
 シェーンは溜め息をついた。
「やはり、普通の農民ではないのですね」
 セイリアは思わず口を挟んだ。
「前に聞いた時は、農民だって言っていたじゃないですか」
「それは……」
 側妃は少し困ったような顔をする。
「嘘でも、ないのよ」
 シェーンはただ黙って、その小さなヒントを頭の中に叩き込んでいるようだった。そして、口を開く。
「では……母上、伯父上が何をしようとその秘密を厳守なさるおつもりなのですね」
 カレン側妃はためらいなく頷いた。シェーンはそれを見て俯く。
「母上、それでしたら、王宮を出た方がよろしいかも知れません」
「え?」
 それはカレン側妃にとって意外な言葉だったらしく、彼女は軽く目を見開いた。シェーンは言葉を続ける。
「伯父上は必ず僕が太子に復位するのを阻止しようとするはずです。そのための最も確実な情報源……それは母上ですから」
 セイリアにもシェーンの言いたいことは分かった。表立って側妃に近づくことはできないとは言え、今回のセイリアやシェーンのように別件で理由を作って側妃を追い込むことも可能だろう。
 そして、王兄のことだ、どんな手を使うか分かったものではない。側妃が王宮にいるのは危険ではないのか。
「――いいえ。わたくしは王宮にとどまるわ」
 しかし側妃は静かに、だがきっぱりとそう言って、微笑みさえ見せた。
「陛下がいない間、せめてわたくしがこの王宮にとどまって守らなければ。あの人が帰って来る時のために。何の権限も力もないわたくしです、ここを死守することぐらいはさせて」
「しかし、母上」
「シェーン」
 カレン側妃はそっとシェーンの手を取った。
「心配しに来てくれたのね。ありがとう」
 シェーンは返す言葉をなくしたらしく、そのまま黙ってしまった。母の精一杯の思いを受け止めて引き下がるか、無理にでも安全な場所へ連れて行くか迷う風だ。
 セイリアはそっとシェーンの肩を叩いた。
「大丈夫よ。いざとなったらうちに匿ってあげるわよ。……まあ、その、うちの男衆はちょっと頼りないけど、あたしぐらいはあちこち走り回って手回しする元気はあるから」
 シェーンはセイリアを振り返ると言った。
「間違いなく子爵家が伯父上に狙われてそのまま没落するよ」
「うーん、まあその時はみんなで仲良く農民で。あたしにはちょうど良いわ」
「……僕が困るんだけど」
「え?」
 セイリアがすぐに反応できずにキョトンとしていると、シェーンはそっぽを向いた。カレン側妃が笑い出した。
「シェーン、あなた苦労しそうね」
 何のことだろう、とセイリアは考えて、やっとのことで意味を理解し、赤くなって慌てた。というか、シェーンの母親の前なのだ。ある意味嫁試験。
「あ、あの、その、あたしはっ」
「苦労ならこの通りもうしてますから」
「シ、シェーン!」
 シェーンに遮られてますますセイリアは慌てたが、カレン側妃は楽しそうに笑っただけだった。
「あなたは人を笑顔にする才能をもっているのね。久しぶりに笑ったわ」
 そう言われてしまうとセイリアはあわあわしながら照れるしかなかった。はあ、と呟いてひたすら頭の後ろに手を当てるしかない。カレン側妃はもう一つ笑って、そしてシェーンに言った。
「そろそろお戻りなさい。わたくしは大丈夫。ここを死守してみせるわ。だから、お行きなさい。あなたがするべきことはたくさんあるはずよ」
 シェーンは少し迷ったようだが、頷いた。

 そして、シェーンは少し申し訳無さそうに言った。
「今度はアーネストも連れて来ます。本当は今回連れて来ようと思ったのですが、叶いませんでした。ご存じの通り、今の立場では……ごめんなさい」
 それを聞くと、カレン側妃は見る見るうちに表情を歪ませ、目に涙を浮かべた。
「いいえ……そんな、あなたが会いに来てくれただけで」
 そして、我慢ができなくなったようにシェーンに駆け寄ると抱き締めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「母上? なぜ謝るのです?」
 セイリアにはシェーンが内心慌てふためいているのが分かった。母親の愛情を身近で感じる事なく育った彼には、少々緊張する場面に違いない。
 カレンはシェーンを放すと、シェーンに視線を合わせ、その頬を両手で包んだ。
「あなたに苦労をさせたのは、わたくしだわ。……いいえ、否定しないで。許されてしまったらわたくしはわたくし自身を許せなくなる」
 シェーンは開きかけた口を閉じると、微笑んだ。そして、ちらりとセイリアに視線を走らせる。
「では、感謝をさせてください」
「え?」
「僕はこの国の王子に生まれたことで、セイリアに出会いました。他にもたくさんの人と。あなたのおかげです」
 カレン側妃が目を瞬く。涙が一粒あふれてその頬を滑った。そして、微笑みがその顔に広がる。
「……元気で、シェーン」
「はい」
「それから、セイリアさん」
 セイリアははい、と言った。アースでもヴェルハントでもなくセイリアと呼ばれたことがとてもくすぐったかった。
「シェーンを、よろしくね」
 セイリアは満面に大輪の笑顔を咲かせた。
「はい」



「好きだなぁ」
 セイリアが呟くと、シェーンは「何が?」と言って振り返った。セイリアはにっこり笑って言った。
「シェーンのお母さん、すごく素敵な人だったから」
 シェーンはそれを聞くと、微笑んだ。
「父上は人を見る目があるんだよ」
「うわー、シェーンが言うとなんか自慢に聞こえる」
「自慢だし」
「相変わらずむかつく」
 セイリアが笑って言うと、シェーンが立ち止まった。何事かと、先に一歩進んでしまったセイリアは振り返る。シェーンは地面を見つめていたが、顔を上げるとセイリアを真っ直ぐに見つめた。
「セイリア」
「うん?」
「一度僕の部屋に来て。大事な話がある」
 なんだろうと思いながらセイリアはついていった。

 執務室には毎日通っていたが、シェーンの部屋、つまり寝室には片手で数えるほどしか入ったことがない。しかも太子をおりてからシェーンは部屋を移った。前も厭味なほど広くて綺麗な部屋だったのだが、今回も少々規模が小さくなったとはいえ豪華な部屋だった。うらやましいとまでは思わないが、ほーっと溜め息が出る。
「……割と良い生活を続けてるのね」
「まあね。座って」
 セイリアはシェーンに言われた通りにソファに腰を下ろした。軟らか過ぎでも硬過ぎでもない、絶妙な軟らかさのソファ。
「それで、大事な話って?」
「うん……」
 シェーンは小さく頷いて口を開いた。
「これからのことだけど」
「うん」
「伯父上が本当に父上の失踪と関わりがあったことを証明する必要がある」
「そうね」
「今までなら、太子の命令一つでたくさんの人間を動かせたけど、今はそういうわけにもいかない。もちろん、今でも頼める相手は何人かいるけど」
「それで? 自分から動くって事?」
「そう」
 シェーンは頷いて、壁の上にかけてある大陸の地図を指さした。

「ヌーヴェルバーグにいく」

 唐突な発言にセイリアは目を瞬き、言葉を失った。確かに自分から動くわけだが、まさか国を出るとは思わなかった。
「え、シェーン、自分からスパイにでもなりにいくの?」
「幸い僕はヌーヴェルバーグのお偉いさんとは会ったことない。いつも取り次いでいたのは父上だからね。できると思う」
「ままま待ってよ」
 急展開についていけずにセイリアはあたふたした。
「オーカストを出るの?」
「うん。国内のことを放り出すわけじゃないよ。信用のおける人との連絡は取り続けるし、指揮は取るつもり。でも、国の外から攻めた方が良いと思うんだ。諸外国が僕を正当な王位継承者と認めてくれれば伯父上も玉座にしがみついているわけにはいかなくなるだろうし」
「それじゃあ、オーカスト王子の身分を大っぴらにして出て行く気? 国外逃亡じゃないのそれ」
「最初はもちろん隠していくさ。それで、オーカスト第三王子シェーンがいかに不当に王位継承権を奪われたか、そのシェーン王子に味方すればどんな見返りが望めるか、あるいは味方しなければどんな損を被るかを吹き込んでやれば良いんだ」
 国単位の大事業ではないか。セイリアは開いた口がふさがらなかった。さすが元太子なだけある、スケールが大きい。
「本気……なのね」
「もちろん。コネだってあるから、いけると思う」
 セイリアは考えた。悪くないかもしれない。国内では王兄の目が厳しいだろうから国外なら動き易いだろうし。

「分かったわ。いつ出発する?」
「早い方が良いだろうけど……セイリア、ついてくる気?」
 セイリアは今度こそ驚いて目を瞬いた。
「あたしは置いて行こうと思ってたの?」
「国の外までついてこなくてもいいよ。思いっきりスパイ活動になるからいろいろ危険だろうし」
「何言ってんのよっ」
 セイリアは立ち上がり、シェーンを見下ろして言った。
「外国だろうと一緒に行くわよ! どこだろうとついてく! 何のためにずっと護衛でいられるように隊長に手配してもらったと思ってるの? 何のためにシェーンは太子をおりたのよ。一緒にいるためじゃなかったの? それなのに離れ離れになれって言うの? 絶対いやよ。シェーンの足にしがみついてでもついて行くからね!」
 シェーンはその剣幕に気圧されたように目を瞬いたが、すぐにセイリアと同じく立ち上がった。自分よりもだいぶ高くなった海色の視線を見て、反論されたら足でも踏んでやろうかとセイリアは身構えたのだが、予想に反してシェーンはセイリアを引き寄せるとそのまま抱き締めた。
 セイリアは当然そのまま固まった。
「ひぃっ」
「……こういう時にそういう声出すかな」
「だ、だってシェーンったらいつも急なんだもの!」
「黙って」
 セイリアは黙った。心臓がばくばくいってしょうがない。そういえば久しぶりに二人きりになった、とセイリアは思った。だからだろうか、シェーンはいつもの王子顔は捨て去っていて、わりと感情のままに動いている気がする。
 背中に回された腕が温かい。自分も腕を回した方が良いのかセイリアはさんざん迷っていた。結局、ガチガチだと丸分かりだろうと思いつつやってみる。シェーンはまだ放してくれない。そろそろ放して欲しいかもと思いつつ、セイリアはほんのり幸せだった。
「……ついていくからね」
 セイリアが呟くと、シェーンは小さく頷いた。
「うん」

 ずっと、一緒にいるから。


最終改訂 2008.08.27