The Ending of Winter 
冬の終わり

 

 さて、アースはちゃんと他の人達と上手くコミュニケーションをとっていけるのかとか、父は王兄に目をつけられたらちゃんとやり過ごせるのかとか、色々心配事は尽きなかったのだが、一番頭の痛い問題は、はたしてどうやって国を出るかということだった。王兄の遣わした監視役はなかなか優秀だったのだ。おかげでセイリアもうっかり「アース」ではなく「セイリア」になってしまわないように気を遣い続けていた。
 それだけでなく、港までどう行くのか、出国と入国での審査をどう切り抜けるか、そしてヌーヴェルバーグに着いてからどう動くのかなど、問題は山積みだ。旅に必要なものを揃える必要もあった。国を出るまでは、監視の目を振り切るために、一目散に国境まで走り抜ける予定だった。途中で馬を替える手筈を整えなくてはいけない。
 ざっと問題を書き出して見て見れば、向こうに着きさえすれば後はなんとかなる、というような感じだった。旅路が問題。

 最初に片付いた問題は出国をどうするかという問題。シェーンが身分証明をくすねてきて、船への乗船許可証は大尉がくすねてきた。偽? と聞いたら「本物だけど、本当は使っちゃいけないから偽」と言われた。これでみごとな犯罪者だ。
「でも怪しまれるかどうかは君達の演技と運次第だよ。頑張りなさい」
 大尉に言われてセイリアは苦笑した。


 旅装束や食料、その他諸々はルウェリンが用意してくれた。頼んでいないのに便利グッズなども調達してきてくれて、セイリアは初めて、ルウェリンが意外と気の回る子だということに気が付いた。荷物の量もコンパクトに控えられていて、本当によく気が回されている。おおーっと言ってセイリアが喜んでいると、ルウェリンが真面目な顔で言った。
「それで、僕は途中で合流するとして、アース殿と王子様はどうなさるのですか」
 尋ねられたセイリアは、荷物を整理する手を止めて軽く頭を掻いた。
「んー、いくつか作戦はあるんだけどね。アー……ええと、姉が色々考えてくれたの。シェーンが乗ってくれるかどうかが問題」
「乗ってくださるかどうか? ノリの問題なのですか?」
「というかノリに全てがかかってる?」
「一体どんな作戦なのですか」
 あはは、とセイリアは苦笑した。
「多分シェーンが一生の汚点とか言い出しそうなことだから、聞かないであげて」
「はあ」
 ルウェリンは不思議そうな顔をして首を傾げた。

 セイリアの想像どおり、シェーンは甚だ不機嫌、不満、そして心底嫌そうな顔をした。
「……一国の王子にそんなことをしろと」
「一国の一地方の次期子爵さまがやったのよ」
「格が随分下がったな」
「王子の護衛騎士もやってたわ」
「君の場合はそれが日常だったからだろう」
 むーっ、とセイリアはむくれた。
「そもそも、あたしは別にシェーンに絶対やってほしいって訳じゃないのよ。……色々自信無くしそうだし」
「何それ」
「あんたがやった時を想像すると隣に並ぶのが嫌になるのっ」
 つんとそっぽを向いたセイリアの顔を見て、シェーンが呟いた。
「女としての自信がなくなるってこと?」
「自覚してるなら言わないでよーっ」
「というか、全然嬉しくない」
 本当に嬉しく無さそうなシェーンを見て、セイリアは目を瞬いた。
「ひょっとして、その女顔、コンプレックス?」
「…………」
 コンプレックスだったのか。セイリアは少し困って頭を掻いて、それからぽんぽんとシェーンの肩をたたいた。
「まあ、一番目くらましになりそうなのがこれなんだもの、その顔を利用できるなら、悪くないんじゃない?」
「それが余計複雑。どう頑張っても女に見えない顔なら、そもそもこんな計画は持ち上がらなかったって事でしょ。なのにっ……」
 シェーンは心の底から、と形容できる声で言った。
「女装なんて嫌だよ!」

 アースは経験者だから思いついたというか、監視の目をくぐって外に出る方法をセイリアが尋ねると、迷った末に「女装は?」と言ったのだ。シェーンの顔なら違和感がないし、下女のふりでもして出て行けばなんとかなるのではないか、と。
 一度その案に「なるほど」と思ってしまうと、もうそれ以上の案が浮かばなくなってしまったのだった。
 なので、嫌がるシェーンにビシッと指を突き付けて、セイリアは言った。
「じゃあ、あんたはどうやって抜け出すつもりだったの。荷物と一緒にカバンに詰められたかった? それでも荷物の中身は検査されるんだからバレるでしょ。それとも、他にもっとバレなそうな変装でも思いついたの?」
「……これから思いつく」
「じゃあ、3日後までに思いつかなかったら女装で決定ね」
 シェーンは恨めしそうな目でセイリアを見た。
「……いいよね、君はどっちを着ても違和感がないし普段から両方着てるし」
「恨むならこんな状況に追いやってくれたハーストン公爵を恨みなさい」
「今は仮王陛下だよ」
「いちいち訂正しなくて良いわよ」
「重要なことだ」
「誰のことを指してるのか分かればいいのよ」
「独りよがりな基準だね。分かるかどうかをどこで判断するつもり?」
「あーっ、また屁理屈?」
「また突っ掛かって来たいの? いつでも受けて立つよ」
「かーっ、なにその余裕な態度」
「余裕で勝てるからさ」
「さっきまで余裕なかったくせに!」
「そういう君は、さっきまで余裕あったのにね」
「むかつくっ! こうなったらあんたがなんと言おうと、女装姿を拝んでやるんだからーっ!」
「それは嫌だ!」
 結局、他の準備におされたりして、シェーンは3日後までに女装の代替案を思いつかなかった。これで、抜け出す方法は確定。
 さすがに落ち込んだシェーンに、これで僕の気持ちも分かったでしょう、とアースが声をかけ、二人の間に妙な親近感が沸いたのは、また別の話。

 これから途方もないことをしようとしている割には穏やかなな日々に、それでも準備が進んでいくに連れ、やはり空気にピリリとした緊張感が漂っているのを、セイリアは感じていた。
 日差しが随分柔らかい。その日差しを背に受けて、自分たちはもうすぐ、北に旅立つのだ。


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 ランドルは雪の白さが残る庭園の片隅で、兄が石造りのベンチに座っているのを見つけておや、と思った。しおれたようなカーティス王子の様子は彼らしくなかった。なんとなく近づくと、彼は顔を上げた。
「ランドルか」
「兄上、どうしたんですか」
「どうもこうもあるか。伯父上に腹を立てていただけだ」
 ランドルは一瞬間を取り、軽く首を傾げた。
「意外です。兄上は伯父上と親しいとばかり……」
「親しくてたまるか。王位継承権を奪い合う敵だ」
 ランドルは苦笑した。
「シェーンが脱落したから、一騎打ちと言ったところですか」
「一騎打ちすらさせてもらってない。独壇場だ」
 ランドルは黙っていた。それは事実だった。王子たちにも諸公にも、一切隙を与えずに、あまりに手際よく王兄は王権を掌握した。
「伯父上に何か言われたのですか?」
 ランドルが尋ねると、カーティスはちらりと弟を見上げて溜め息をついた。
「何も。態度は厭味な感じに余裕だったが」
 ランドルは苦笑を漏らした。なるほど、それで兄はいらいらしているのだろうなと思う。笑い事か、とカーティスは眉を寄せた。
「あんな余裕な伯父上など恐ろしいぞ。いつ首を落とされるか分からない」
「そこまではなさらないのでは」
「歴史上では日常茶飯事じゃないか」
 確かにそうなのでランドルは口をつぐんだ。
「俺もお前も成人している王子だ。邪魔でないはずがない。気をつけろよ、ランドル」
 ランドルは一瞬、目を瞬いた。
「……気にかけてくれるのですね」
「…………」
「シェーンのことは、あの手この手で排除しようとしていたのに」
 カーティスはランドルを見ずに、ぼそりと言った。
「シェーンを本気で殺そうと思ったことなど、一度もない」
 それは意外な告白で、ランドルは一瞬言葉を返しそびれた。
「はぁ……そうなのですか」
「……今までの諸々のは、一時の感情の流れだ」
「兄上の場合は、感情に任せていたら手元が滑ってうっかりなんてことがありそうですけれど」
 カーティスは言い返さない。自分でもそうだと思っているのだろう。そしてカーティスは、ランドルが耳を精一杯傾けても聞き取り辛いほどの音量で言った。
「……あいつが王位継承権争いから降りて見れば、生意気なところ以外は、大して憎むべきところなどない気がした」
 ランドルはそれを聞いて、ふっと空虚な笑みを浮かべた。哀れみの笑みだった。玉座にすがりつくことしかできない兄への哀れみだった。玉座にすらすがりつけない自分への哀れみでもあった。
「まあ、シェーンも、兄上の弟ですから」
 その言葉を兄がどう受け取ったのか、ランドルは分からずじまいだった。ただ、ぽつりとどうでもよさそうに、カーティスが呟く。
「あいつはどうしてる?」
「私もほとんど会っていませんから、なんとも。伯父上に監視されながら、おとなしくしているようです」
 ふん、とカーティスが鼻を鳴らす。
「あいつらしくないな」
「そうですね。これから何かやらかすのかもしれませんよ」
「…………」
 沈黙の間、兄も、弟にいつもついている護衛のことを思い浮かべているのだろうとランドルは思った。彼が弟とともに奔走するのだろう。渦巻く闇に身を置く貴族たちの中で、異彩を放つ、活力に満ちた嵐のような少年。シェーンと一緒に「何かをやらかす」なら彼だ。
 ランドルには彼と弟の、その信頼しあう様子が、その真っすぐさが、二人がとてもうらやましいと思うことがあった。地位でも血筋でも玉座でもなく、「誰か」をあれほど大切に思えるのは、幸せなことなのだろうか、と。
 そしてふと、ランドルはとある約束を思い出して、気が付かないうちに口元を綻ばせていたらしい。
「どうした」
「え?」
「何を笑っている」
「ああ……」
 ランドルは急いで笑みを引っ込めた。 
「意外な招待を受けたことを思い出しただけです」
「意外な? 伯父上からか? それなら気をつけた方が……」
 眉をひそめて警戒心丸出しにした兄を、ランドルは遮った。
「いいえ。オストール大尉の従者と、オーディエン嬢からお茶会のお誘いを」
「オストールの従者とオーディエン嬢……?」
 兄が首を傾げるのも無理はないとランドルは思う。ランドル自身だって面食らったのだ。
「オーディエンの養子と娘か。伯父上は良い顔をしないだろうな」
「ごくささやかなものだそうですよ」
「どこで接点を持ったんだ? ……前に刺客から庇ってもらったことか」
「それもありますが……以前、何げなく“今度ゆっくり話をしてみたい”と言ったら大真面目に受け取られたようで。しばらくして私のところに来たと思ったら“ささやかな茶会ですが、お話できる場を用意いたしました”と言われたのですよ」
「……律義なやつなんだな」
「ええ」
 どこまでも生真面目な性格なんだろうな、とランドルは苦笑してしまったものだ。その表情を見たレナード・オーディエンは、どう解釈したのか「お茶はお嫌いですか。でしたら別の会を考えます」と言ってきたのだった。正直、どこかずれたその思考回路が面白くて笑みを引っ込めることができなかった。
「久々に、すこし楽しみにしていることなんです」
「……そうか。俺は未来のことは何も分からないな。楽しみも何も、明日追放されないかどうかだ」
 ランドルは俯いた。

 二人分の吐く息が白く濁る。その濁り方も、この頃は薄くなってきていた。
「……もうすぐ春だな」
 カーティスがぽつんと呟いた。
「ええ」
 ランドルも答えた。
「父上が消えて一月か。短い間にいろいろあり過ぎだ」
 ランドルは兄の独り言には何も言わず、いつのまにか空虚なものに戻っていた自分の笑みに気付いて、そのことにさらに空虚に笑いながら言った。
「もし父上が消えたのが陰謀だとしたら、兄上はどうします?」
「……陰謀だとしても、伯父上相手では暴くのは難しいだろう。父上のためにできることは、完全に伯父上を国王にしてしまわないよう、全力を尽くすことだ」
 カーティスはランドルを見上げた。
「お前は、何もしないのだろうな」
 ランドルの空虚な笑みはさらに深まる。返事はしなかった。

「王族って、生きにくいですね」
「まったくだ」

 あまりに切実な呟きを、第一王子と第二王子は軽い愚痴のように呟いた。

 二人はもう雪の舞わない空を見上げる。政局の混乱を皮肉るような、穏やかな空だった。
「……私はともかく、シェーンは動くでしょう」
 ふと、ランドルはさっきのカーティスの言葉に答えた。カーティスがランドルを見上げる。ランドルは空を見上げたまま言った。
「きっとまた、嵐でしょうね」
 どこでどのように吹くかは、分からない嵐だけれど。きっとその風は、ランドルのところにもカーティスのところにも届くのだろう。

 オーカストの劇的な冬が終わろうとしていた。


最終改訂 2008.10.04