A Place to Hide 
隠れ場所

 

 セイリアはそっと起き出し、簡単に着替えると枕元の剣を握った。その頃にはルウェリンも気配に気付いて目を覚ましていた。
「……アース殿」
「わかってる。シェーンを起こして」
 ルウェリンが軽く揺さぶっただけでシェーンもすぐに目を覚ました。
「どうしたの?」
「下の階。たぶん、捜索隊」
 シェーンはそれを聞くと、すぐに荷物をつかんで立ち上がり、窓に駆け寄って外を確かめた。
「何人いる?」
 セイリアが聞くと、シェーンは分からない、と答えた。
「窓の下には二人。隠れている人がいるのかどうかは分からない」
「失礼します」
 ルウェリンがそっと言って、シェーンを押しのけた。
「計四人です、アース殿」
 シェーンは「やるな」という顔でルウェリンを見た。
「いけると思いますか、アース殿?」
 セイリアはルウェリンの視線を受け止めて、笑った。
「いける。……馬はもう、たぶん押さえられてるね。諦めるしかないから、足で逃げるよ」
「待って」
 シェーンが荷物を肩にかけながら言った。
「外に出るのはまずい。屋根裏に隠れよう」
「そんなの、すぐ見つかるに決まってるでしょ。屋根裏なんて当たり前に調べられるよ」
「強行突破よりはマシだよ。換気窓から外に出る」
「換気窓? そんなのあるの?」
 セイリアが目を瞬く前で、シェーンはごく当たり前のように頷いた。
「僕もでたらめに宿を選んだわけじゃないよ。入る前に調べておいた。人一人、出れる大きさはあるはずだ」
 セイリアはぽかんとして、ルウェリンと顔を見合わせた。
「さすがというか……抜け目ないね」
「こういう時に抜け目なんてものを持ち合わせてたら、僕は今までに三回は死んでるよ」
 言って、シェーンは天井を調べた。
「ここなら破れそう?」
「シェーン王子、任せてください。僕はこういう細工が得意なんです」
 ルウェリンが進み出て、あっと言う間に天井の板を二枚、音もほとんど出さずに外してしまった。手際のいいことだ。
「急いで。気配が上に来た」
 セイリアはひっそりと言った。
「多分、十人はいる。はやく!」
 ルウェリンが先に上がり、セイリアが下からシェーンを持ち上げてルウェリンが上から彼を引っ張りあげた。気配は既に扉の目前だ。セイリアも急いで穴から天井裏に上がる。
 天井の板をはめ直したのと、扉の鍵がカチャリと音を立てたのはほぼ同時だった。下で何が起こっているのか、ちょっと聞き耳を立ててみたい気もしたが、そんな場合ではないのでさっさと前に進む。
「こっちで合ってるの?」
「大丈夫。こっちから風が来てるから」
 埃っぽい臭いがする。しかもねずみがいるような気がしたのだが、気のせいだと思い込むように自己暗示をかけてなんとかやりすごした。
 換気窓には簡単な格子がはまっていたが、それもルウェリンが小細工をすると、音も立てずに外せた。落ち着きに欠ける従者の、意外な才能を発見した気分だ。
 ほんの少し顔を外に出して見てみると、真下には人はいなかった。が、一人、こちらから見える角度にいる人がいる。セイリアは荷物の中から紐を出し、柱に結び付けて、外に垂らした。暗いから向こうからは見えていないだろう。音さえ立てなければ見つからないはずだ。曇っていてよかった。
 その時になって、ドンドン、と天井が叩かれる音がした。逃げたのがばれて屋根裏に調査が入ろうとしているらしい。外も少し騒がしくなった。
 さっきと同じく、ルウェリンが一番で、セイリアがしんがりを務めることになった。シェーンは紐にぶら下がって降りるのにてこずったが、なんとかある程度の高さまで降りると飛び降りた。セイリアも急いで外に出て、とりあえず格子をはめ直しておく。ちょっとでも行き先がバレるのを遅くすることはできるはずだ。
 外は寒かった。ぶるぶると体を震わせ、セイリアはシェーンとルウェリンと一緒に、物音をなるべく立てないようにその場から離れる。それでもすぐに、向こうが逃亡に気づいて追っ手をかけることは分かっていた。こちらには馬すらない。しかもセイリアは病み上がりだ。
「シェーン」
 セイリアはそっと声を上げた。
「どこかに隠れない?」
「どこかってどこに」
「そこらへんに民家があれば民家に。じゃなきゃ木の上」
「家なんて無さそうだけど」
「宿があるんだからほかの家だってあるでしょ」
「街に戻るって言うのか?」
 セイリアはあたりを見回した。
「……まずは木の上に隠れない? 誰も来ないようだったら民家を探しに行くの。あんまり動き回ると、地面伝いに足音を聞かれるかも」
「足音?」
「ここらへんの地面は堅いから、音が伝わりやすいんだよ。地面に耳をつければ、まだそんなに遠くはないから聞こえる人には聞こえちゃう」
「……待ってください、シェーン王子、アース殿」
 ルウェリンが声を上げた。
「追っ手が犬を連れているかもしれないですよ」
 セイリアははっとした。確かに、人探しに犬は付き物である。これは厄介だ。
「この近くに川はなかったっけ?」
 セイリアが聞くと、シェーンが言った。
「昨日越えなかった?」
「じゃあ戻ろう。川を越えれば水が臭いを消してくれる。水音で足音も消えて一石二鳥でちょうどいいよ」

 三人は方向を変えた。後ろにちらちらと光が見えるのでヒヤヒヤだ。走って走って、やっと川を見つけて、まだ冬だというのに水の中に飛び込んだ。悲鳴を上げたいほど冷たい。しかも最近は雪解け水も流れ込んでいるため、水かさが多い。水の中で固まりそうなほどがちがちになる体を駆使して、なんとか対岸まで渡りついた。服はびしょびしょ、その上明け方の気温は冷え込む。病み上がりの体にはかなりきつかった。
「さささささぶっ」
 歯の根がかみ合わない状態で、三人はぶるぶる震えた。
「とと、逃亡ってやっぱり大変だ……」
「当たり前だろう」
 シェーンもガタガタ震えていた。
「これからっ……ど、どうする?」
「い、行き倒れを装ってどっかの家に、こっ、転がり込めないかな」
「そ、そんな親切な家がっ……ごろごろ転がってるとは思えない」
「いっ、行きましょう」
 ルウェリンが言った。
「ちち、近くにロセンダ村がありますっ……人の少ない村ですからっ、き、きっと見つからずにすみます……」
「ロセンダ……」
 聞いたことがある、とセイリアは思った。シェーンが思い出したように言う。
「ローダさん……」
「ローダさんの村だ!」
 セイリアも思い出した。クロイツェルからの帰り道、賊の襲撃で毒にやられたシェーンを抱えてお世話になった家。
「行こう、シェーン」
 既にもう藁にもすがりたい思いだった。三人体を寄せ合って、星を頼りに方向を決めて進み始める。

 村に着いたのは空が白み始めたころだった。前回もこんな時間帯だった。村を探してみると、以前ローダさんたちの家があった場所には、前回と違って、この村にしては少々大きな家が建っていた。セイリアが目を丸くしていると、毛布を体に巻きつけたシェーンが解説した。
「御礼をしたんだ。多分、そのお金で少し改築したんじゃないの」
 王子からのお礼なら、かなりの額だったろうに、「ちょっと」の改築だけで後はお金を貯めているのだろう。舞い上がって散財しないあたり、彼らの人柄がうかがえてセイリアはちょっぴり嬉しかった。
 あまり大きな音は立てられないので、辛抱強くコツコツとドアを叩く。どうしてもこんな時間では気付いてもらえないようなので、片っ端から窓も叩いてみた。ようやく寝室の窓に巡りあい、目を丸くした旦那さんとローダさんの顔と窓越しに対面した。
「あんた……いや、あなたは……」
「すみません、いろいろ事情がありまして。暖炉だけでも貸してくれませんか?」
 突然の訪問で驚いたからかもしれないが、夫婦は快く三人を招き入れた。

 前回と違うのは、夫婦ともセイリアとシェーンの身分を知っているというところだった。王子を招き入れるので、二人は至極緊張していた。
「何も出せずに申し訳ありませんねぇ」
 どう接したら良いものか困っているように言って、ローダさんはそれでも温かい絞りたてのミルクをくれた。びしょぬれの服を替え、暖炉の日で暖まって飲むミルクはとてつもなくおいしかった。
「あったか……」
 ほう、と一息ついてセイリアがもらすと、ローダさんはふっと目を細める。
「よかった」
「あの、ローダさん。前と同じように接してくれて良いんだよ?」
「そうは言っても……」
「お世話になっているのはこっちだから」
「そ、そう……?」
 ルウェリンがおずおずと聞いた。
「あの……ずっと思っていたんですけど、どういうお知り合いなんですか?」
 セイリアは聞かれて、説明しようと思ってふと気付いた。そうだった、この一家はセイリアが女だと知っているが、ルウェリンは知らない。さりげなく会話の中でローダさんにそれを教えないと。
「あ、あの、ルーも私が前に、シェーンが森で賊に襲われたときにシェーンを連れて逃げたこと、知ってるでしょ」
「はい! アース殿の武勇伝を忘れるわけがありませんっ」
 よし、「アース」と名前を呼んでくれた。これで気付くはずだ。
「ここはその時に、シェーンの解毒でお世話になった家なんだよ。ローダさん、この子は私の従者です」
「従者! へぇ、アースくん、従者をつけるほどえらくなったのねぇ」
 ローダさんは気付いたようだった。セイリアをセイリアと呼ばなかった。
「でも、そんな偉くなったのに、そんな格好でうちに転がり込んでくるなんて……なにか大変なことでもあったのね?」
「はあ、まあ、いろいろと……」
「とりあえず今日はゆっくりお休み。安心なさい。誰が来ても知らぬ存ぜぬで通すから。ね、あんた、それでいいでしょう?」
 ローダさんが旦那さんを振り返ると、旦那さんは優しい顔でひとつ頷いた。
「前と同じ部屋でいいかい?」
「はい。本当に、ありがとうございます……!」
 セイリアはとてつもなくほっとして、そう言った。世の中、優しい人っているもんだ。

 そう思って安心した瞬間、風邪の治らない体で無理をしたのが祟ったのか、セイリアは視界がかすむのを感じた。あわてたようなローダさんやシェーンの声を聞きつつ、温かいと思いながら、セイリアはふっと意識が遠のくのを感じた。
 朦朧とした意識の中で、薬草らしい匂いをかぐ。優しく、祈る声がした。そして、セイリアはふと、これがひどく懐かしい感覚のような気がした。
 お母様――。



最終改訂 2008.12.02