The Memory of the Forest  
森の記憶

 

 なるべくすぐに出発したかったのだが、馬もないし食料などの旅支度も十分とは言い難い状態だったので、ローダさんたち(実際にはマチルダとニコルに頼むことになったが)に買い出ししてもらったりで、結局ローダさん宅には一週間ほどお世話になることになってしまった。その間に、シェーンはルウェリンを使いに出して、情報収集したりした。
 とりあえず、少なくとも噂では、ヴェルハント子爵家にはそれほど火の粉が降りかかってはいないらしい。
「一応聞き取り調査が入ったらしいけど、残っているのがアースだからね。正真正銘“子爵家の子息”ってことで、どうやら君に対する手配は解かれたみたいだよ」
「本当? よかった」
 よかったと言いつつも、セイリアはちょっと気になった。まだ対人恐怖症が抜け切っていない双子の片割れは、果たしてそんな査察を受けて大丈夫だっただろうか。
「他の皆は?」
「大尉が、残念ながら身動き取れないらしい。相当警戒されてて、かなり見張られてるみたいだね」
「うわ、痛手……」
 彼の人脈と情報網をおさえられられるのは痛い。
「オーディエン一家も、目立った動きはない。それほど監視を受けてる様子は無いから、多分、僕からの指示を待ってるんだろう」
「どうやって指示を伝えるつもり?」
「ルウェリンが情報集めついでに、情報伝達係に伝えておいてくれた」
「……その情報伝達係って、今はハーストン公爵が使うものなんじゃないの?」
「別に国王の仕事をする者が代々受け継いでる訳じゃ無いよ。僕なんかは個人的に係を頼んでた相手とか、いるし。ああいう役目はね、最重要機密を握るから代々受け継がないんだよ。王位が不正な方法で奪われた場合に備えて、ね」
「……準備が良いのね」
 シェーンは苦笑した。
「まあ、どちらにしろ、彼らと僕たちのすることは同じだ。伯父上が父上に何かしたという証拠を見つけること」
 うん、とセイリアは頷いた。
「今はとりあえずヌーヴェルバーグに向かっている感じだけど、向こうに無事についたらどうするつもり? 陛下が襲われた地域をうろついてみる?」
「いや、やみくもに本人を捜すんじゃ、いくら時間があっても足りないよ。……伯父上はヌーヴェルバーグと連絡をとっていた。王兄の身分なら、相手もそれなりの身分がある人間だろうから、その相手を捜し出す」
「何で高い身分だって言い切るの?」
「身分を明かさなければ相手が信用するわけないから、伯父上が身分を偽った可能性は低い。けど、相手がオーカストの人間だと分かったら、間違いなくヌーヴェルバーグの人は警戒するよ。特に低い身分の者は、何で自分のような身分の人間に話をしてくるんだろう、と思う」
「でも、相手の身分が低い方が言うこと聞かせられるじゃない」
「けれど、伯父上が企んでいたことは、低い身分の家につとまるような仕事だと思う?」
 セイリアはちょっと感心してしまった。いつもながら、よく頭が回る。
「目星はつけてあるんだ」
 シェーンが言った。
「父上を襲ったのは少数民族で、伯父上が少数民族たちをけしかけたんじゃないかって話、したよね。はっきり言って、オーカストはリキニ事件のこととかもあって、少数民族たちと仲がいいとは言えない。だったら、伯父上が少数民族たちと上手く交渉するにはヌーヴェルバーグが間にいるはずなんだ。ヌーヴェルバーグと少数民族たちがどういう関係にあるのかは知らないけど、協力関係じゃないなら、彼らがそういうふうに動くよう誘導した人がいるはずだし、協力関係でも、彼らとの間を取り持つ人がいる。今は戦争中、父上も戦場にいた、となると軍人の家だね」
「はーっ」
 感心するセイリアに気をよくしたのか、シェーンはさらにしゃべった。
「できれば、大将軍のサルヴェールに取り入りたいとは思ってる」
「取り入るって、あんた……」
「よく言えば気に入ってもらう。……下心があるのは事実なんだから、『取り入る』だろう?」
「まあね」
 セイリアは溜め息をついた。ますます悪い道へ、進み出している気がする。まあ、シェーンにとってはいつものことなのだろうが。それを思うとちょっと怖い気もした。どちらにしろ、セイリアはシェーンについて行くつもりだが。
「で、あたしがそれをやるの?」
「いや、僕がやる。君がやったら出自を疑われそうだ」
 セイリアはむっとした。
「なによそれっ」
「貴族なのか貴族じゃないのか、判断がつかない素行だからね」
「言うじゃないの。その生意気さで出自を疑われそうなのはあんたの方よ」
「大胆で不敵って言うんだよ」
「自分で言ってるし。っていうか、それが問題なんでしょ」
「自分を客観的に見れるってことさ。というか、これを巧く利用するだけの方法は知ってる」
「かっわいくない。もうちょっと愛想をふりまくことを覚えたら?」
「君が慎みを覚えたら考えておくよ」

 セイリアがさらに言い返そうとした時、ルウェリンの声が外で聞こえた。お使いから帰って来たようだ。シェーンとセイリアはちらりと視線を交わし合い、一時休戦して、居間に向かった。
「あっ、アース殿、シェーン王子、ただいま戻りました」
 ルウェリンは二人を見てパッと笑った。笑っていたが、ちょっと息が荒く、しかも頬に切り傷がある。セイリアは驚いた。
「ちょっと、ルー、大丈夫? 何かあったの?」
「ええ……大丈夫です、追っ手じゃありません」
 ルウェリンは軽く首をすくめ、荷物を下ろして一息ついた。
「ここから一時間ほど行ったところで山賊に襲われたんです。ずっと走って来たし、ついて来た様子もないので、撒けたと思うんですけど……」
「山賊? この辺、本当に多いんだ……」
 セイリアが呟いた隣で、シェーンは素早くルウェリンの額に手を当てた。
「熱はないみたいだね……傷から毒が入ってはいないみたいだ」
 前回は自分が毒に当たったので、真っ先にそれを懸念したのだろう。シェーンの言葉にルウェリンは頷いた。
「頭もはっきりしてますし、大丈夫だと思います」
 その時、奥からローダさんが出て来た。
「どうしたんだい? ケガ?」
「ほんのかすり傷です。大丈夫ですよ」
 ルウェリンが言ったが、ローダさんは救急箱を引っ張り出してきて、手当の準備を始めた。
「だめだよ、そういう傷はきちんと手当しないと。この辺の山賊はタチが悪いのよ……良いところの坊ちゃんだとしても手加減しないんだから。リキニ事件の時なんか、近くで襲われた貴族がいて、双子の子供さんは助かったけど、奥様がお亡くなりになったんだよ」
 それを聞いたシェーンとルウェリンが、同時にセイリアを振り向いた。セイリアは目を瞬いた。
「え?」
「そりゃあ大変な騒ぎだったんだから。けれど、生き残った子供たちが勇敢でねぇ。二人で修道院に逃げ込んで助かったんだって話だよ。後で王宮からも人が来て話を聞いていたねぇ。とにかく、そういうことだから、あまり森でうろうろしちゃいけないよ」
「あ、あの、ローダさん……」
 ローダさんはしゃべっている間にもてきぱきとルウェリンの手当てを終え、なんだい、と問うような表情でセイリアを見つめ返した。セイリアは困惑しつつ言った。
「それ、たぶん私です」
 ローダさんはきょとんとした。
「あなたが?」
「ええ」
「あの時の双子の一人?」
「はい」
「あらあら……」
 ローダさんはなんと言葉を返したら良いか分からなくなったらしく、そのまま口をつぐんで困ったような顔をした。セイリアも何と続けて良いのか分からなかった。あの時は母を目の前で亡くしたショックに加えて、アースがパニックを起こしていたし、生き延びるのが最優先で、自分がどこにいるのかなんて気にしていなかったのだ。……この近くだったのか。

「全然見覚えないの? この辺の景色」
 シェーンに言われてセイリアは膨れ面をした。
「森の景色なんて、いちいち木の形とかまで覚えてられないでしょう。第一、あれから七年近く経ってるんだから」
「君って、そういう動物的直感は鋭いんだと思ってた」
 セイリアはむすっとした。
「そもそも、近いだけでロセンダ村に来たことがあるわけじゃないし」
「でも、驚いた。君のお母さんの事件は結構噂になったみたいだね。ローダさんが覚えているくらいなんだから」
「そうみたいだね」
 セイリアは呟き、シェーンに聞いた。
「あんたは知らなかったの?」
「その頃はまだ幽閉中だと思う。僕がリキニ事件に口出ししたのは、乱のごく終盤だよ」
「そう……」
 ルウェリンが首を傾げた。
「でも、王宮からも人が来って言ってましたよね」
「そりゃあ、貴族が襲われたんだから調査ぐらいはするんじゃないの?」
 セイリアが言ったが、シェーンがふと気付いたように言った。
「でも、子爵はその場にはいなかったんだろう」
「うん、まあ。父様は家でぬくぬくと」
「そもそも君のお母さんは、乱の最中に子供達を連れて、国外の方向へ何をしにいったんだい?」
 そう言われてしまうと、セイリアは返事に詰まった。確かに、何をしに行ったんだろう。
「……それも覚えてないのか?」
 呆れたように言われてセイリアは唇をとがらせた。
「だって、お母様はただの旅行だって言ったんだよ。私達、それでずるいずるいって駄々をこねて一所に連れて行ってもらっただけなんだから」
「子爵の同行しない旅行? なんで?」
「知らない。お母様は知人に会いに行くって言ってた」
 知人ね、と呟いてシェーンは指先で口元に当てた。考え事ポーズだ。そんなに気にすることなのだろうか、とセイリアは少し心配になった。
「私のお母様と、陛下の行方不明が関係してるの?」
「いや、そう断言するわけじゃないけど……」
 じゃあ悩むな。他に悩むべきことがあるだろう。
 心の中でちょっとツッコミを入れたが、シェーンが妙に気にしているようだったのでセイリアも何と言うべきか困ってしまった。
「けど?」
 思わず、続きを促す。シェーンは一瞬迷う素振りを見せた後、言った。
「伯父上の最終目的は、いつだって一つだから」

 意味をくみ取るのに、少し時間がかかった。なぜシェーンが回りくどい言葉を使ったのかのにも、理解するのに少しかかった。気付いて、わー、あたし少し鋭くなったのかも、とセイリアが思ったくらい。
 シェーンはいつだって、最重要機密をセイリアに話してくれた。信用されてるんだろう、そして、セイリアに正直でありたいと思ってくれているんだろう。だけどもちろん、体力面で無理をしている時みたいに、強がることもある。セイリアに心配させたくはないから。セイリアが心配して騒ぎだすのを知っているから。だから、嘘をつかずに、けれどもオブラートに包んで話した。
 そして、言葉の内容は、つまり王兄の最終目標は今も昔も王位だということ。そこまで執着しなければならない代物なのかと首を傾げたくなるのだが、まあたまたま王兄なりの「譲れないもの」がそれだったということなのかもしれない。まあそれは置いといて、シェーンの意味は、彼の意図は一貫しているということだ。だから一見繋がりが無いように見えても、繋がっている可能性は十分にあるということ。
 それって、ちょっと怖くない?
 セイリアは気付いて、少しぞっとした。子供の頃の自分の世界はあまりに狭くて、「国」なんて大きな枠で何が起きているかなんて、知りもしなかった。渦中の外、いやむしろ渦の存在すら知らなかったのだ。知っていたのは、渦の生み出す波模様だけ。

 あたし、もしかして、最初からこの渦の中にいた?

 王位継承争い。縁なんて無いと思っていた。シェーンと出会って、うわ大変なんだと思った。シェーンを好きになって、とことん付き合ってやろうかと、部外者と関係者を隔てる一線を越えたのだと思っていた。でも、実は最初から内側だったのだろうか。
 何も知らなかった、そして多分今もほとんど知らない自分が、すこし奇妙に思えた。
「……世の中ってフクザツ」
 色んなことを考えて総合して、出て来た感想がこれって、我ながら深く物を考えるのに向いてないなと思う。
「……そのセリフにたどり着くには、いったいどういう思考回路を通るのか知りたいね」
 苦笑とともに、いつもの皮肉を言ったシェーンに、セイリアはふんだ、と舌を出してやった。
 でも、ますます決心は固くなった。母のことを尋ねた時に父が言った意味深な言葉を忘れた訳ではない。そして父は、真実を教えてくれなかった。上等だ。自分で調べればいいのだろう。自分のことを自分が知らないというのは気持ち悪いのだ。セイリアはこのモヤモヤ感が嫌いだ。
「ふんだ。うちが関係あるなら望むところなんだから。一石二鳥万歳!」
 ルウェリンは訳の分からないことを言い出したセイリアにキョトンとしたが、シェーンは慣れているせいか、それともセイリアらしくて微笑ましいと思ったのか、微笑みを見せた。
「やる気だね。だったら、こき使うよ?」
 つまりセイリアにやって欲しいことも計画済みか。まあ確かに、軍人家系に近づきたいと言っていたのだから、武人のほうが都合がいいことがあるのだろう。
 セイリアは笑い、言った。
「仰せのままに」


最終改訂 2009.01.05