The Peaceful Moment
穏やかな一時

 

 双子の片割れが家を出てから、二週間ほど経った。アースはひとまず、家でおとなしくしていた。そもそも外に出る趣味はないので問題ないのだが、とにかく目をつけられている、という状況があったせいだ。
 第三王子が監視の目を盗んで逃亡したと知れた時、王兄の反応はちょっと興味深かった。狼狽している様子ではなさそうだったから、こういう事態も予想していたのだろうとアースは思う。けれど、意外に彼は慎重だった。頭ごなしに「王子が逃げた!」とは言わなかった。その態度は、とアースは思う。
(王子を泳がせて、どう動くか見てみたいって感じがするんだよね……)
 それは別に興味とかじゃなくて、純粋に警戒しているというだけだとは思うのだが。たぶん、王子の出方が予想できていないのだろう。予想できていない、というのがアースには意外だった。てっきり相手の行動を読み切って行動に出るのだと思っていたのに。
 まあ、王子がどこまで知っているか、王兄にも確信がないのだろうな、と思う。王子がすでに、彼とヌーヴェルバーグにつながりがあることを知っているということを、王兄は知らないのかもしれない。だから、北に向かったということは知らないのだろう。

 敵の動きが分からないというのは、当然だが不安なものである。そういうわけで王兄は手っ取り早く捕まえられる相手を探した。つまり、自分。子爵家には、査察が入った。抜き打ちだった。
 その日は結構大変だった。メアリーの手伝いのもと、豪速で着替えつつ一人二役を演じなければならなかったのだ。二人で並んでくれと頼まれたらどうしようとヒヤヒヤしたが、どうやらその辺は父が情報工作してくれたようで、おかげで助かった。誰かを連絡によこしたらしく、一番近場に住んでいる大尉を呼び寄せたのだ。たまたま休日だったらしく、彼はすぐに飛んで来てくれた。しかもアマリリスつきだった。
 突然の来客で査察は混乱し、ハウエル大尉が機転を利かせて、妹と一緒にひっきりなしに「アース」を呼んだり「セイリア」を呼んだりしたので、アースは自分の身を守るためとは言え目が回りそうだった。しかも父は、査察隊が興味を持ちそうな書類を、さりげなく目につきそうなところに置いておいてくれた。査察隊はそちらに気を取られ、それを戦利品にして帰っていった。
 ぐったり疲れつつ、アースはその後、助けに来てくれた兄妹にお茶とお菓子を出し、お礼を言った。少なくとも大尉には結構顔を合わせているので、アースも彼には慣れてきていて、あまり緊張せずにすんだ。そして、アマリリスは得意そうだった。
「ふふん。これで私もあんたに貸しを作れたわね」
 アースは苦笑するしかなかった。姉のようなトルネードタイプは慣れているつもりなのだが、彼女の女王様タイプは正直苦手だ。大尉は妹の発言を軽く咎めつつ、アースに聞いた。
「王子様の消息は?」
「あっ、そう、それよ。どうしてあんたのお姉さんが王子様と一緒に行くわけ!? 聞いてなかったわよ!」
 急にアマリリスがダンッ!とテーブルを叩きつつ身を乗り出したのでアースはのけぞった。大尉がすかさず妹の首根っこを捕まえる。
「言ったらそうやって騒ぐからだよ。自業自得だよ、アマリリス。それと、茶々を入れるのは止めなさい」
 ぷうっと頬を膨らませて不満そうな顔をしたが、アマリリスは黙った。兄の言うことはよく聞くなぁ、とアースは意外な気がして苦笑する。
「一度、手紙をもらいました。追っ手に見つかりそうになったけど、なんとか逃げ果せて、今は様子を見つつどこかに潜伏しているそうです」
「そうか」
「姉さんが風邪を引いて倒れたって書いてありました」
 大尉は目を見開き、急き込んだ。
「だ、大丈夫なのかい?」
「すぐに治りますよ。姉さん、回復力が半端じゃないですから」
「そうか……なんだ、セイリアでも風邪を引くのか。風邪の二文字は我が辞書に無しとか言っていたのに」
 アースは苦笑した。
「まあ、逃亡中ですから、環境とか衛生面じゃちょっと問題があるんでしょう」
「王子様は大丈夫なのかい?」
「みたいです。結構体は強いですよね、シェーン王子」
 アマリリスが軽くふんっと鼻を鳴らした。
「あんたが王子様をちゃんと王子ってつけて呼んだの、初めて聞いたわ」
 ぎくり。そうだ、今は自分は、いつも姉がやっていた「アース」を演じなければならないのだった。とりあえず今のは、引きつりながらも微笑でごまかす。わ、話題を変えなければ。
「た、大尉の方はどうですか。なにか変わったことは?」
 すると大尉は、一瞬悪戯めいた笑みを浮かべた。
「うん、特に危ないことはなかったよ。でも、そうだね……ちょっと面白いことがあった」
「面白いこと?」
 アースは訝って首を傾げた。
「ランドル王子がね、うちにお茶をしに来たんだ」
「えっ」
 アースは目を見開き、いつも曖昧な表情を浮かべている王子を思い浮かべた。
「な、何か探られたんですか」
「いいや。何の腹の探りあいもない、ごくごく普通のお茶会だったよ。どうもレナードに興味があるみたいでね」
「レナード……さんですか」
 無口同士、いつも会話が成立しなくて困る相手だ。アース自身は、同じ年頃の少年と会う機会が少ないので少しは仲良くやりたいところなのだが、面と面向かった時のアリアンロード以上に、どう接したらいいのか分からない相手だった。
「それはまた、どうしてです?」
「さあね。レナードによると、諦めたもの同士、親近感が沸いたみたいなことを言われたと言っていたよ」
 はあ、とアースは曖昧に声を漏らした。
「セレスティア嬢も、レナードに会いに来ていたからご一緒してね。まあ、何もなかったよ。すごくのんびりした午後だった」
 アースはもう一度、はぁ、と呟いた。アマリリスがまた、セレスも一緒だったの、だったら私も呼んでくれたっていいじゃない、お兄様の意地悪、と喚いている。そのお兄様はやはり、さらりと妹をあしらって、アースに知ってるもの同士、秘密を共有するような目配せをした。
「例のお茶、さすがに王子も苦笑なさっていたよ」
「え、レナードさんがお茶を出したんですか」
 前回遊びに行って飲んだお茶の味を思い出して、驚いてアースが言うと、ハウエルは楽しそうに笑った。
「止めたんだけどねぇ。何も知らない王子様が、せっかく淹れてくれると言っているんだから、と後押ししてしまって。少しは上達したはずなんだけれど、やっぱりレナードのお茶はレナードのお茶だったよ」
 いつもは曖昧な表情を、少し困ったような苦笑の形にするランドル王子と、相手の反応をじっとうかがっているレナード、その横で「あーあ」という顔をしている大尉とセレスティア嬢を思い浮かべたら、なんだか微笑ましくてアースは笑った。
「随分平和ですね」
「まったくだよ。でも、ああいう時間もいいなと思ったよ。切羽詰って慌てるより、私たちもセイリアのように何でも楽しまなければね」
 そうですね、と言ってアースは膝の上で組んだ自分の手を見つめた。査察が入ってばたばたしたのが嘘のように、今こうして、ほのぼのと話をして笑っている自分がいる。結構自分は図太いのではないかと思うくらいだ。伊達にあの姉の弟ではないらしい。

「……他には何か、変わったことはないですか」
「うーん、あまり気にしなくていいと思うけど、王兄がクロイツェルに使者を立てるみたいだよ」
 ん、とアースは顔を上げた。
「なんのために?」
「戦争の和解を後押しするためらしいよ。戦争の原因も分かってないのにどうやって仲裁するんだろうと思うんだけれどね。使者には多分、カーティス王子が選ばれる」
 アースは瞬時に理解した。
「……ていの良い追い払いじゃないですか」
「さすが。よく分かったね」
「そりゃあ……人選が人選ですし。あまり意味のない仲裁だと思いますし」
 わざわざ意味のない仲裁をするために人員を割き、その使者が第一王子のカーティスだとなると、邪魔な王位継承権保持者を国外に追い払うためのものにしか見えなかった。
「まあ、こちらとしては、注意しなければならない相手が減ってやりやすいのだけれどね」
 そう言いつつ、ハウエルは複雑そうな顔をする。さすがにちょっと、カーティスが哀れなのかもしれない。アースも少し同情した。
「皆、幸せになれるといいのに」
 アースが呟くと、ハウエル大尉はふっと笑った。
「それは生き方、感じ方次第だよ」
「……そうですね」
 言って、アースは姉のことを思った。


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 ローダさんたちの協力のお陰で、食料の補充はすんだし、しかも今後何かあったときに備えていろいろな薬まで包んでくれた。民間療法って結構効くんだよ、とローダさんは笑う。貴重な薬草じゃないのかと聞いたら、もうすぐ春だから、すぐに補充できるとのことだった。ありがたく頂戴しておく。
 その薬草のことで、セイリアは少し気になったことがあった。
「ローダさん、この薬草って、この辺でよく使われてるの?」
「ええ? ああ、そうだねぇ。この辺じゃむしろ、怪我の治療に使うかね。解熱剤にするのはうちぐらいだよ。うちは北の方から来たからね、北の方じゃ解熱剤にするんだ」
「あ、移民なんですか?」
「そうだよ。私は生まれた時からここだけれど、両親はヌーヴェルバーグからの移民でね」
 初耳だ。セイリアの中で、むくむくと疑念が膨らむ。北の方から来た。夢うつつに嗅いだ薬の甘い匂い。
「アース」
 その時、シェーンがルウェリンと一緒に出てきた。
「道を決めたよ」
「うん。じゃあ、そろそろローダさんたちともさよならかな……」
 物寂しい気分でローダさんを見たら、彼女は真剣な目で言った。
「それなんだけどね、私たちがついていこうか?」
「はい?」
 思わず聞き返す。ローダさんは落ち着いた口調で言った。
「旦那とも相談したんだけどねぇ。どうもあんたたち若い人だけじゃ心配で。もちろん、王子様なんだし、協力してくれる人はいっぱいいるんだろうけど、私たちが一緒なら目くらましにもなると思うよ。留守の間、家のことは近所に頼めるし、お金ならこの前もらったのがたんまり残っているからね」
「ちょ、ちょっと待って」
 セイリアが慌ててさえぎったが、シェーンが口出しした。
「ローダさん。あなたたちは、僕たちがどこへ向かっているのか知ってるのか」
「知らないけど、道順を真剣に話し合っていたみたいだし、国外じゃないのかい? 前に来た時も、クロイツェルからの帰りだと言っていたじゃないですか。それにね」
 ローダさんは巾着袋を取り出して、振って見せた。重そうなチャリチャリという音がする。
「これ、有効活用しようと思ってね。ちょっと商売でも始めてみようか、って旦那と話してるんだけど、いまいち思い切りがつかなかったところなんだよ。あんたたちについていくのがいい機会さ。これで思い切れる」
 セイリアは困って、シェーンを見つめた。ルウェリンもシェーンを仰ぐ。この場のリーダーは彼だ。
 シェーンは少し考えていたが、頭の中でどれくらいのスピードで全ての情報を総合したのやら、割とあっさり、頷いた。
「いいかもしれない。どこかの旅行者に同行しようって考えてたくらいだし、目くらましとしては理想的だ。……移動はこちらの都合に合わせてもらうことになるけれど、それでも構わないなら、ついてきなさい」
 ローダさんはにっこり笑った。
「構わないよ。あちこち見れるなんて、滅多にないことだからね。ニコルとマチルダも喜ぶさ」

 こうして、ローダさん一家には引き続きお世話になることになった。



最終改訂 2009.02.16