How the Thing is to Know
知るということ

 

 雪解け水がちょろちょろと小川を作っていた。春も終わりになれば消えてしまう小川だ。セイリアはルウェリンと並んで小川に釣り糸をたらし、獲物がかかるのを待っていた。なんとも平穏すぎる時間だが、見かけよりも賑やかだったりする。
「ティルダ、あっちにお魚!」
「ほんとうだー!」
 姉妹が側で騒いでいたからだ。大きな声で叫ばれたのでは釣れる魚も釣れない。そういうわけで、二人は姉妹を眺めることにしていた。
「元気だなあ」
 ぼそりと呟くと、ルウェリンが言った。
「あの歳なら、大体の子供は元気ですよ。僕もやんちゃでした」
 今でも落ち着きは足りないと思うが。
「まあねぇ、ルーはやんちゃっぽい」
「アース殿もやんちゃっぽいですよね」
 納得したようにルウェリンが言う。あたしってそんなに分かりやすいんだ、とセイリアは少し苦笑した。
「うん、やんちゃだったね。否定しない」
「アース殿って何歳で騎士隊に入ったんですか?」
「九歳だったかなぁ。正式に入隊したのは十三歳」
「ひょええ。じゃあ僕も来年までに頑張って見習いを卒業しないと、アース殿みたいになれないんですね……」
「いやあ、べつに私みたいにならなくても」
 そういってくれるのは嬉しいけれど。
「そういえばシェーン殿下って、どんな子供だったんでしょうね」
 ルウェリンがふと、というように呟いたので、セイリアも気になった。
「どうだろう。生意気なのは昔からだろうけど」
「はあ」
 ルウェリンは適当に流した。従者は既に主人の不敬発言は既に慣れっこのようだ。
「そう言えば、シェーンって年の割りに大人びてるよね」
「だって、太子だったんですよ?」
「うーん、そうなんだけど」
 ひょっとして、子供らしいことはほとんどしたことがないのではないかと思った。王家に生まれるって大変だ。その上シェーンの身の上は輪をかけて複雑。
「ねえルー。シェーンは側妃様の身元を調べるつもりでいると思う?」
 ルウェリンは栗色の丸い瞳でセイリアを見上げ、首を傾げた。
「どうでしょう。僕には分かりません。僕だったら、調べたくないですね」
「どうして?」
「だって、シェーン殿下は王位につきたいのでしょう?」
 ルウェリンは、だったら、と続けた。
「知ってしまったからには、王位につきたくてもつけなくなるかも知れない情報なんて、知りたくないです」
 セイリアはそれを聞いて、少し考え込んでしまった。


 旅は順調に進んでいた。ローダさん一家にくっついているからだろう、検問などに遭っても怪しまれることもなく、セイリアたちは着々と港に近づいていた。
 ローダさんたちのすることを見るのは楽しかった。商いなんてしたことのないシェーンなどは、車にいっぱいに積まれた商品ですら興味深げに見ている。
「そういえばあんたって、商いとか得意そう」
 ふと思ったので言ってみたら、シェーンには意外だという表情を返された。
「そう?」
「だって口達者だし、計算とか物を覚えるのとか得意でしょ。相手の腹を探るのとかもお手のものだろうし、相手からごっそりお金を巻き上げられそう」
「……詐欺師みたいな言い方だな、それ」
 そうは言ったものの、シェーンはまんざらでもなさそうだった。
「ってことは、まあ僕もちやほやされるだけの王子様じゃなくて、自力で生きていく能力ぐらいはあると思っていいのかな」
「人間、環境に合わせて生きていくものでしょ。王子様だって平民の生活ができないなんてことは絶対ないよ」
 当たり前なことを、と思いつつセイリアがいうと、シェーンが笑顔を向けてきた。
「そう言ってくれたの、セイリアが初めてだ」
 ……不意打ち。セイリアがあわてて目を逸らしたら、逸らした先でローダさんと旦那さんと目が合った。目を丸くしてこちらを見ている。ぎょえ。バレた。
 その後、シェーンは調子に乗ったのか、ローダさんとだんなさんの商売を横から口出ししていたのだが、やはり商才があるようで、しかも女性相手だとかなりの高確率で商売を成立させていた。相手が威厳を示すべき臣下でなければ愛想も振りまけるらしい。なんか憎たらしかった。

 そして夕食の後で、セイリアはローダさんにつかまった。昼間のことで、ローダさんは興奮した様子でセイリアを問い詰めてきた。
「ねえねえ、あんた王子様と相思相愛だったのかい!」
「すすすすみませんローダさん、ルーに聞かれないようにお願いします」
「ああ、そうか、あの子あんたが男だと思ってるんだよね。ねえねえ、でも本当に、あんたとあの王子様は相思相愛なのかい!」
 さっきと質問が同じですよ。
「いやっ、まあっ、そのっ、そんな感じっていうか……」
「はっきりしないねぇ! うちの旦那もびっくりしてたんだよ。昼間はずっとこの話で持ちきりだったんだから!」
「そんなに噂してたの!」
 ローダさん、まるで噂好きのおばちゃんのようだ。まだ随分若いのに。
「だって気になるじゃないか。何、詳しいことは分からないけど、身分差の問題なのかい? 二人で逃避行するのが本当の目的なのかい?」
 ある意味正しいけれど、ある意味ではとんでもなく間違った推測だ。
「別に駆け落ちしてるわけじゃないわよ!」
「なんだ、違うの」
 なんでそんなにがっかりするんですか、とセイリアはローダさんの表情を見て脱力した。
「あなたの従者の子も、理由も知らずについてきたのかと思ったんだけどねぇ。なんだ、駆け落ちじゃなかったの」
「違いますよ。それに、逃げてるわけでもないわ」
「え、でも追っ手がいるって聞いたけど?」
「自由に動き回るのを禁じられていたんだけれど、出かけたいところがあったから勝手に出てきた、っていうのが本当です。『ここを出たい』っていう逃げじゃなくて、『あそこへ行きたい』ってちゃんと目的地があるの」
「あら」
 意外だったらしい。ローダさんは目をぱちぱちと瞬いた。
「そういう事情だったの」
「……まあ、現状は逃亡とあんまり変わらないんだけどね」
 ローダさんは納得したように頷いた。ふと、セイリアは申し訳なくなった。
「ごめんなさい、ちゃんと事情も説明しないで、あたしたちにつき合わせちゃってたわ」
「またまた。説明しないのが正解だよ。きっとたいそうな秘密なんだろうし、あたしたちじゃうっかり漏らしちまうかもしれないもの」
 にこり、とローダさんが笑う。理解のある人だ。
 そして、ローダさんは再び目を輝かせた。
「でも、あの王子様と相思相愛ってのは合ってるんだろう? なんだか物語みたいだねぇ! 男装の少女騎士と王子様! 仲良くやってるのかい?」
「はあ、まあ、なんか未だに喧嘩友達みたいな感じですけど」
 でも、時々恋愛っぽい雰囲気も出てくるようになったな、とセイリアは昼間のシェーンの笑みを思い出した。脳裏に焼きついたあの表情を是非とも絵に残して一生残しておきたい。自分の画力じゃ無理だが。
「あんたねぇ、もうちょっと女の子らしさを身に着ければきっと素敵になるのに。せっかく可愛い顔をしてるんだから! ちょっとその髪の短さはどうにもならないけれど、かつらをつければ大丈夫でしょ?」
「ローダさん……うちの侍女みたいなこと言って」
「あんたの侍女さんにも同情するよ」
 メアリー、思わぬ所であんたの同志を見つけたわ。

「それにしても、駆け落ちじゃないなら、王子様はよっぽど大変な目にあっているんだねぇ。自由に歩き回るのも禁止されていたのかい。あの王子様ってシェーン殿下でしょう? 元王太子の。そんな尊い方が、あんな平民の服を着て逃亡の真似事をしないと国外にも出られないのかい」
 セイリアは思わず表情を曇らせた。
「王家って色々有るみたいなのよ」
「そうみたいだねぇ」
 しかもシェーンの場合、身の上の複雑さがそれに拍車をかけている。


 夜、寝る前にシェーンとおしゃべりをしにいったら、シェーンはちらりとセイリアを見て、すぐにまたそっぽを向いた。怒ってるわけではなさそうだが、何だその反応。
「……ローダさんもセイリアのところへ行ったわけ?」
「うん、来たよ。なに、シェーンのところにも行ったの?」
「僕のところには旦那さんが。……からかわれた」
「……あー、なるほど」
 さっきのは照れてたからなのか。
「駆け落ちだと思われた?」
「…………」
 やっぱり思われたらしい。
「事情説明した?」
「大雑把にね。詳しくは教えられないだろう」
「そうね。追及しない人たちでよかったわ」
「うん」
 シェーンは頷いた。二人で並んで毛布にくるまり、窓辺の明かりを見つめた。セイリアは、聞きたいことを腹の中にしまっておけなくなって、口を開いた。
「シェーンは、自分の出生のこと、知りたい?」
「……知りたい」
 ぽつりと言ったシェーンの声は、少し押し殺されていた。
「怖くない? 知っちゃったら、王様になる勇気、なくなるかもよ?」
「元々、民間出身の側妃の子って時点で、僕は『王になるべきでない人間』だったんだよ。でも、なろうと思った。いまさら何を知ったところで、この気持ちは揺るがない」
「そっか……だから、知りたいんだ」
 シェーンは頷いた。
「君も、知りたいんだろう? 最近よくローダさんたちに、色々質問してる。君のお母さんに関係することなんだろう?」
「うん、知りたい。今まで気にしたこともなかったから、余計に気になっちゃって。でも……」
「何?」
「なんか、不安。知っちゃったらまずいって気がする」
「なんで」
 良くわからない、とセイリアは言った。
「多分、野生の勘」
「……野生って」
 仮にも貴族の言うことではないだろう。シェーンは苦笑した。
「君は貴族の位なんて、なくしても平気なんだろう」
「そりゃ、平気だけど。うーん、なんだろ。シェーン、自分の出生のことは調べるつもりなの?」
「……自分から調べることは、しないつもり」
 シェーンは言った。
「でも、伯父上の計画を阻止する過程で知っちゃったら、まあその時はその時だね」
「……いつでも綿密に計画立てて実行に移るあんたが、珍しいわね」
「そうでもないよ。臨機応変は必要だ」
「そうかも知れないけど」
 セイリアは毛布を体に巻きつけた。朝晩はまだ冷える。

「ねえ、ヌーヴェルバーグまで、あとどれくらいかしら」
「四日で港だね。船旅は三日ぐらいかな」
「……もうすぐローダさんたちとお別れかぁ」
 シェーンは少し微笑んで、明かりを見つめた。
「本当にいい人たちだった。僕が王子だってことに拘らずに、助けてくれる人がいるっていう良い経験になった」
「ちゃんと恩返ししなさいよー。今回のこの計画、成功させないと」
「そうだね」
 二人は同時に、北のほうを見た。目指す方向。北の島国ヌーヴェルバーグ。
 今回の戦争、消えた国王、そして王兄の干渉と王家の過去。複雑に絡み合ったその一端に、ヌーヴェルバーグがある。
 待ってなさい、とセイリアはまだ見ぬ海の向こうに、心の中で囁いた。



最終改訂 2009.02.18