The Port and Sailing
港と船出

 

 予定よりも一日遅れて、セイリアたちは港に着いた。ローダさんたちに重々お礼を言って、お互いきつく抱き合って別れを惜しんだ。ローダさんたちはシェーンのことも抱き締めていた。シェーンは少し慣れていない様子でぎこちなかったが、満更でも無さそうだった。
 ニコルとマチルダは泣きそうな顔で最後まで我慢していたのだが、シェーンがしゃがんで視線を合わせて頭をなでてやると、我慢できなくなったようでワンワン泣き出した。一緒に行くとまで言い出す始末。さすがにそれは責任が取れないので、なんとか二人をなだめすかした。

「商売の方は大丈夫そう?」
 セイリアが聞くと、ローダさんはうーん、と言って苦笑し、小首を傾げた。
「あたしらはやっぱり行商より定住の方が性に合うね。でも、あの王子さんから商売のコツはいくらか学べたし、どうやらあたし達には食料の商売が向いてるって分かっただけでも随分な収穫だよ」
「じゃあ、無駄について来た訳じゃなかった?」
「そうさ。だから安心して行っておいで。次に帰って来る時は、逃亡者じゃなくて、堂々と胸を張って帰って来るんだよ」
 セイリアは笑って、力強く頷いた。
「はい」

 お互い、長いこと姿を見ていては別れが辛くなるので、手を振ってきびすを返した後は、振り返らずに歩いた。

「船に乗るのはこれから交渉するの、それとも例の“本当は使っちゃいけない”乗船券で乗り切るの?」
 セイリアがメランコリーな気分をふっ切るように聞くと、シェーンが答えた。
「使うよ。向こうについてからどうするか、船の上で決めないといけないから」
「……なにそれ?」
 シェーンは行く手にある大きな船を指差した。
「あれに乗る」
 一瞬沈黙したセイリアは、思わず叫んだ。
「あんな大きな船に乗るの!?  まずいでしょ、絶対警備は厳しいし、身分のお高い人たちがいっぱいいるし!」
「そうでもない。あれは商船だから」
「し、商船?」
「そう。僕たちはヌーヴェルバーグにもぐりこみに行くんだよ。調べたいことがことだから、できれば国の中枢にもぐりこまなきゃいけない。それには紹介を介して、商人から貴族の家へ、貴族の家からもっと高位の貴族の家へ、って渡り歩いていくのが手っ取り早いんだ。だから大きな商家に渡りをつける必要がある。あれくらい大きな船じゃないといけないんだよ」
「……へえ」
 セイリアは呟いた。そんな簡単にいくのだろうか。しかしどうやら疑いの気持ちは完全に表情に出ていたようで、シェーンが説明してくれた。
「スパイたちを送り込むのにも使ってる経路だよ。絶対大丈夫」
「そ、そうなの?」
 思いっきりスパイそのものになるわけだ。シェーンは頷いた。
「何回か利用させてもらった商家が、あの船に乗るんだ」
 ……利用って。先方は御存じない訳ですね。そんなにほいほい簡単に人を貴族に推薦する商家なのだろうか。まあ、考えて見れば、セイリアつきの侍女のメアリーも実は商家の娘なのだが。たぶん、よくあることなのだろう。

「じゃ、ヌーヴェルバーグで近付きたい人とかはもう決まってるの?」
 聞いてみたら、シェーンは頷いた。既に計画はあるようだ。
「ド・リール宰相とサリヴェール将軍。この二人が国内二大勢力者だね」
 話を聞いていたルウェリンがぽんと手を打った。
「宰相と将軍……そっか、確かヌーヴェルバーグって、王様がまだとても小さいんですよね」
「そう。だから実質、王権は宰相が握ってる。でも将軍がどうやら宰相と対立してるらしくて」
 シェーンの説明を聞いていたセイリアは首を傾げた。
「……内に争いがあるくせに、外で戦争なんかしてるの?」
「内の争いをまとめるために、してるのかもしれないよ」
 シェーンは言い、その後に「まあ、それだけの理由で戦争をする馬鹿はいないけど」と付け加えた。
「というか、戦争に関しては二人とも賛成なんだ。だから協力し合ってるだけ。戦争以外のこととなるとよく対立してるけど」
「ふうん……」
 そういえば、シェーンのところへ情報整理のお手伝いに行ってきたアースが、ネーヴェルバーグの宰相と将軍は仲が悪いというようなことを言っていた、とセイリアは思い出した。しまった。シェーンを手伝うとか息巻いておきながら、情報量がそもそも足りてない。もうちょっと真剣にアースの政治話を聞いてれば良かったと、いまさらながら後悔した。まあ、後悔先に立たず。これから頑張って追いつくしかかない。


 出発までまだ随分と時間が有ったけれど、検問はあっさり通った。主人に使いを頼まれた侍従たち、という身分になっているらしい。
「緊張して損しちゃった」
 船室に着いて吐露したらシェーンは不機嫌に答えた。
「そうだね。下心丸出しで別の意味での緊張の方が勝ってたからね」
 シェーンが不機嫌な理由、それは検問の目をごまかすために女装していることにあった。当然、見た目美少女なわけで。検問の叔父さんがにやにやしていたので、まあ変装成功だったのだが、それは逆にシェーンを不機嫌にさせる結果となった。そりゃ、女のセイリアでもあんな視線を受けたら嫌なのでシェーンはもっと嫌だろうけど。
「機嫌直しなさいよ。どうせ検問の人って船には乗らないんでしょ。もう安泰じゃないの」
「…………」
 それでもむっつりしたシェーンは、溜め息をつきつつぼやいた。
「なんで、仮にも王子が……」
 むしろ王子じゃなかったらこんな羽目にならなかったような気もするが。
「今度から僕が女って事で通す時は、男装少女って事にしない?」
 シェーンが言ったが、セイリアは却下した。
「それ、あたしの立場が無い」
 ちなみにセイリアが普通に女言葉でしゃべっているのは、ルウェリンは船全体の様子を下見してくると言って出て行ったのでいなかったからである。よく気が付く子だ。
 シェーンはちらりとセイリアを見ると、確かめるように言った。
「セイリアは女の子だよ」
「え、うん、なに、知ってるよ?」
 なんだかとんちんかんな答えをしたらしく、シェーンは呆れたような目でセイリアを見た。
「……まあ、セイリアが気にしてないならいいけど」
「え?」
「……相変わらず鈍いね」
 こっち来て、とシェーンが手招きしたので、怒られるのかと思って身構えつつ近づいたら、手を取られて、頬にキスをされた。
「ひゃっ」
「……毎回驚くのはそろそろ治らない?」
「毎回突然だからいけないのよ!」
 抗議したが、シェーンは笑うばかりだ。
「時間ないんだから、ルウェリンが戻ってくる前に、思う存分君を女の子扱いしておかないと」
「ず、随分と恥ずかしいこと言えるようになったのね」
 言いながら、セイリアはシェーンの顔がまた近づくのを見ていた。なんか変な図だ。セイリアは男装、シェーンは女装。こんな状態でいちゃついてる自分たちって。
 また頬にシェーンの唇が触れそうになった瞬間、戸が開いた。
「ただ今戻りまし……」
 急いで離れたけど、たぶん、ぎりぎり目撃された。ルウェリンが硬直する。沈黙。
「何も見てませんっ、見てませんよっ!」
 あわあわと、必死にルウェリンが叫び、シェーンも何食わぬ顔で頷いた。
「見てないんだな? だったら慌てる必要はない」
 いえ、もうちょっと慌ててください。セイリアは心の中でツッコんだ。見た目的には確かに少年少女(少年がセイリアで少女がシェーン)だがルウェリンの解釈としては両方少年なのである。いくらなんでもアレだ。セイリアはどうしていいかわからずに視線をさまよわせ、船室の窓から見える海を眺めて見ることにした。
 つくづく自分たちの、一般世間の認識する性別と現実のギャップって面倒だ。


 出発までは港を歩いたり必要な物を買い足したり、それとなく商人たちに話を聞いて情報収集をしたりした。隣国の二国が戦争中ということもあって、物資の商いは武器や保存食が多い。噂も、最近の王家の混乱と戦争が大半を占めた。
 シェーンは船の外を歩く時は少女姿のままで出て行ったので(シェーンは検問のおじさんの目を見ないようにしていた)ちやほやされた。本人は心底嫌そうだったが。
「男っぽい顔に生まれたかった……」
 しみじみと呟かれると、さすがにちょっと哀れだった。

 そして翌朝、船は出港した。ヌーヴェルバーグまでは三日間の旅だ。出港前にはシェーンは既に動いていて、話をしたいと目をつけた商家と、なんと既に顔見知りにはなっていた。手際のいいことだ。
 セイリアは甲板によく屈強そうな、いかにも荒っぽそうな男たちがいることに気が付いたが、彼らは船の護衛らしい。一度話しかけてみたのだが、ガキだと思われててんで相手にされなかった。結構悔しかった。
 船自体は、大きいこともあり、商船にしては豪華だった。高級そうな食堂まであって、商人たちはたいていそこで食事をしていた。船に乗っている退屈な時間を有効活用しようと、商人たちが商売の話もするので、実は商談が生じ易かったりするらしい。
 セイリアたちも敢えてレストランで食事をした。聞き耳を立てていると、船内の人間関係図が見えてきたりして結構面白い。シェーンは船内ではきちんと男の格好をしていたので、はたから見ると若い男の子が三人、ということでご婦人方にはセイリアもちやほやされた。

 夕食を終えて甲板に出て、曇り空と海を眺めていたら、船の護衛たちに絡まれた。若いってカモにされやすいらしい。
「よお、お前らいつも一緒にいるな」
 三人ほどの相手に、半分取り囲まれるような形になる。
「若いのに起業でもしたのか。言っとくが商いは楽じゃねぇぜ」
「ははっ、その顔だ、自分たちを商品にすりゃあ随分儲かるんじゃねぇかい?」
 そこでどっと笑いが起きた。シェーンが赤くなり、ものすごく不機嫌かつむっとした顔をしたところをみると、侮辱されたらしい、とセイリアは思った。人を商品にする?あー、そういえば大昔に大尉とそんなようなことを話した気がする。と小首を傾げながら考えていたら、怒ったらしいシェーンがセイリアとルウェリンに声をかけ、きびすを返した。
「行こう」
「え、あ、うん」
 言ってついていこうとしたら、セイリアは肩をがっちり掴まれて引き戻された。痛い。
「まあまあ、こんくらいで怒るなよ。お前、前に一度オレたちに話しかけてきただろ? 今日は気分がいいから、こっちから声をかけてみただけだ」
「いや、ちょっと離してくれませんか」
 というかあの日も割と気分良かったように見えたんですが。
「どうだ、ちょいと飲まねぇか」
 ばしり、と背中を叩かれ、ついでに羽交い絞め。あんまり手荒なスキンシップだ。痛い。というかいつ変な場所を触られるかと気が気じゃない。女だとばれたら、宮中とは別の意味で何かいろいろ大変なことになりそうなのだが。
「お酒はダメなんですー」
 軽く暴れながら訴えたけど、なんかそんな様子すら笑いを誘うらしくて、ダメだこりゃ、と軽く実力行使を考えた時、堪忍袋の紐がちょっと切れたらしいシェーンが割って入った。
「嫌がってるじゃないですか。離してやってください」
「ああ?」
「嫌がってる、って言ってるんだ」
 シェーン。生意気言う相手は選んで。と、思ったのだが、男たちはセイリアたちを本気で相手にはしていなかった。ただ単純に、からかって遊んでいるだけだ。シェーンにまで肩を組んで、ばしりと肩を叩く。
「別にお前たちを仲間はずれにしようってんじゃねぇよ。三人とも一緒に遊んでやるさ」
 またどっと笑い声。ルウェリンはあわあわとして、セイリアの指示を仰いでいるようだった。
「しっかしお前、前から思ってたけど、女みたいな顔だな。こっちの坊主もどっちかってーと女顔か?」
 セイリアを羽交い絞めにしていた相手がぐいとあごを持ち上げてセイリアの顔を覗き込んだ。やった本人に他意はなかったのだろうけれど、やられる本人としては相当気持ち悪い。というか、女なのだ。これでも。この格好はまずいだろう。
「おま……!」
 シェーンが叫びかけ、セイリアも反射的に相手の顎にパンチを入れていた。
「てっめぇ……!」
 当然、さすがに怒りを買う。もうやるなら最後までやってやろうと覚悟したセイリアは着地ざまにシェーンを羽交い絞めにしていた男に足払いを食らわせた。シェーンも引きずられて一緒に倒れそうになるけれど、上手く腕を掴んで引き立たせる。
 そのままルウェリンも連れて逃げようとしたら、残っていた一人に声をかけられた。
「おい、待て。ちょっと待て、坊主。俺たちが悪かったから」
 普通の「待て」なら待たないのだが、最後に「悪かった」がきたので、セイリアは思わず振り返った。苦笑いした男は、浮かれているように見えたほかの二人とは対照的に、落ち着き払って見えた。
「お前、手練だな。完全にナメてた。すまん」
「……なにがすまんだ、オレたち、このザマだぞ。坊主、いっぺん殴らせろ。そしたら見逃してやるから」
「い、嫌ですよ!」
 反射的にセイリアが叫ぶと、謝った一人が声を上げて笑った。
「そりゃそうだ。お前ら、行き過ぎたから返り討ちに遭ったんだ、ここはぐっと飲み込んどけ」
「あのなぁ」
「お頭が知ったら、同じ事を言うと思うぞ」
 すると、顎と足を痛そうに押さえている二人は渋々、といった様子で黙った。

 二人を黙らせた男はセイリアたちのほうを向く。よくよく見れば、強面だが目は人懐こそうだった。
「俺はゴーチェだ。名乗りたくないなら、そっちは名乗らんでもいい。若いやつら三人だけってのは危ないからな、本名はあまり人にばら撒くもんじゃねぇぞ」
 意外にもアドバイスまでくれた。そこで、シェーンが口を開く。
「あんたら、海賊か」
「お、よく分かったな」
 驚いたように、ゴーチェが目を見開いた。シェーンが彼の腕にある刺青を指差す。
「その刺青は海賊のものだろう。それに、海賊は本名を名乗らない。……商船に堂々と乗ってるって事は、雇われか?」
「ああ。安定した仕事はありがたい。お上に追われることもないしな。俺は雇われの仕事のほうが好きなんだ」
 にっこり、と相手は笑った。
「手練の坊主に勘の鋭い坊主、か。お前も只者じゃなかったりするのか?」
 目を向けられたルウェリンはぎょっとしたように肩をすくめる。
「僕はただのお付ですっ」
「へえ、お付ねぇ。こりゃ、面白い連中に出会った。どうだ、お頭に会っていかねぇか?」
「おい、ゴーチェ」
 仲間の一人が言ったが、ゴーチェはただ笑ってセイリアたちの言葉を待つ。セイリアもルウェリンも、シェーンを振り返った。何といっても彼がリーダーなのだ。
 シェーンは少し考えた後、久しぶりに王子スマイルを見せた。王者の覇気をこめた、相手より下にはつかない、という空気。
「いいよ。海賊の頭ね……面白そうだ」

 こうしてセイリアたちは出航早々、物騒な面々と知り合うことになってしまった。



最終改訂 2009.03.25