The Landing on Neuvellebargue
ヌーヴェルバーク上陸

 

「嵐がまだ収まらないうちに襲ってくるのが怪しい、か」
 シェーンの解説を改めて吟味した、ヌーヴェルバークの戦艦の指揮官はそう言った。
「だが、よくあることだろう。軍艦や海賊船は嵐に強い。比較的嵐に弱い商船を、嵐の直後に襲うのは良くあることじゃないか。いくらまだ風の強すぎるときに襲ってきたからといって、われわれが近くにいるのではないかという憶測を立てるのは無理がないかね?」
「襲ってきたタイミングだけじゃなくて、船に無数の傷があるのが見えたので」
 シェーンが言った。
「大砲でやりあった後のような傷があり、しかも傷はできたばかりのようだったので、つい最近一戦交えたのだろう、と思ったのです」
「ほう。あの連絡花火は?」
「護衛として船に乗っていた海賊たちが持っていました」
「ああ、だから最初の花火は海賊のものだったのか。てっきりうちの軍艦が海賊に襲われているのかと思ったぞ」
「……それを、狙わせていただいたので」
 指揮官は黙ってシェーンの言葉を吟味していた。傍で聞いているセイリアはものすごく居心地が悪かった。指揮官が聞きたがっていたのはシェーンの話なのだからセイリアはついてこなくても良かったと思うのだが、まあ、念のための護衛である。というか、シェーン、船についていた傷に気付いていたのはあたしです。手柄横取りしない。
「逃げる船を見たのだが、明かりがついていたぞ。あれはお前が?」
「はい。あなたたちにこちらを見つけやすくするために、数人送り込みました」
「よく潜り込めたな」
「最初の花火で、向こうは動揺していましたから」
 指揮官はふーむ、と唸った。
「……お前は何者だ?」
 シェーンは苦笑する。
「そんなに只者には見えないのですか」
「見かけと中身が随分違う。それに、随分と堂々としているな」
「よく言われます。……生意気だと」
 ははは、と指揮官は笑った。
「生意気、か。悪く言えばそうなるかもしれないな」
 それから、ちらりとシェーンを見る。
「しかし、商品を実戦に使ってしまったと言うのは……」
「ちょっと、頼もうと思っていたので」
 シェーンは言った。
「あなたのお力で軍に売り込んでもらえませんか? 一般の商船に乗っていた人たちですら、この武器を使えばクロイツェルの海軍を打ち破れるのだ、と」
「それが目的で?」
「……どうしても乗客の協力も必要な作戦だったので、説得するために、あとで売り込んでおくから、と言ってしまったのです」
「そこまで頭が回っていたのか」
「あと、海賊たちも、今回は非常に活躍してくれたので、彼らの所業にはこれから少々目を瞑っていただければ……」
「随分要求が多いな」
「見返りが不足しているとおっしゃるなら、どうでしょう、要求の対価に」
 シェーンが言った。
「僕はどうです?」
 指揮官は虚を突かれたような顔をした。セイリアはやっとシェーンの目的に気付いた。要は自分の売り込みに来たのか。……一石で何羽鳥を落とす気だ、この王子様は。
「お前?」
「多少はお役に立てると思いますよ。ちょうど行くところが無くなって、ヌーヴェルバークに職を探しに行くところだったんです。軍に拾っていただければ、僕も嬉しいのですけれど」
 いつもに比べて随分謙虚だな、とセイリアは溜息をついた。顔の使い分けが上手い。
「わたしの一存では決めかねるが」
 指揮官は少し考えた後でそう言った。
「よかろう。軍に話をつけてみよう。しかし、お前の連れたちだが……彼らは少し難しいかも知れん」
「彼らにはできるだけ近くにいてもらいたいのですが……努力してみていただけませんか」
「ほう。お前が認めるほどの者たちなのか」
「ええ」
 指揮官はシェーンの後ろに立つセイリアとルウェリンに目を向けた。
「面白い一行だな」
 はは、とセイリアは苦笑した。偶然の嵐と偶然の奇襲だったはずなのに、何なんだろう、この事態の進展は。チャンスを逃さないシェーンの食らいつきぶりはすごいと言わざるを得ない。
 指揮官は今度は、セイリアとルウェリンに聞いた。
「お前達は、謀略ではなく武術のほうか」
「はい」
 セイリアとルウェリンは同時に返事をした。ヌーヴェルバーグ語が変でないことを祈る。
「では、しばらくはまとめてうちで預かってやろう。軍部に推薦するとなれば実力を見せてもらわねばならんからな、品定めさせてもらう」
「はい」
 なんともあっさり話が通ってしまった。
「知っての通り、ヌーヴェルバーグは今、クロイツェルと戦争中だ」
 指揮官はセイリアとルウェリンに言う。
「なるべく有能な人材を確保したいからな、お前達もうまくすれば軍が拾ってくれるかも知れぬぞ」
「はい。助言、ありがとうございます」
 こんな感じで、シェーンはまんまとヌーヴェルバーグでの足掛かりを手にしたのだった。

 使いの者数人と一緒に、セイリアたちは商船に戻った。戦艦自体は戦場を離れるわけにはいかないので、一緒にヌーヴェルバーグには帰ってくれないらしい。戻ると、セイリアは使者の一人と一緒に海賊たちのところを訪れた。
 使者は預かっている書類を渡して出て行ったが、セイリアは残った。書類を受け取っていた時はおとなしかった海賊たちは、途端に賑やかになってセイリアを手荒に歓迎した。
「本当に成功しやがった。やるなぁ」
 ゴーチェがそう言い、海賊の頭もぐしゃぐしゃとセイリアの髪をなで回した。
「しかも特赦状だってよ。これで少しの間は暴れても平気だな」
「調子に乗ると捕まるよー?」
 セイリアが言うと海賊たちは笑った。
「海賊をなめんなよ。捕まったら縛り首だからな、引き際は心得てるさ」
「どうだか」
「なんだと」
 一人が本気交じりにセイリアの頭をグリグリとやった。痛い。
「いやしかし、恐れ入った。よく口の回る坊主だと思ったが、軍にも通用するほどだとはな」
「あ、そのことで彼から伝言なんだけど」
 セイリアは首に巻かれた腕をばしばしと叩きながら言った。
「これで取引してくれる気になりましたか、って」
「ああ」
 思い出した、というように数人が呟き、頭を振り返った。頭はニヤリと笑う。
「お前ら、本当は何なんだ? その若さで随分こういうことに手慣れているな。訓練を受けたとしか思えんが」
「それはあなたたちの判断に影響する?」
「せんな。ただの興味だ。……まあ、どこの誰の手先だろうと、俺達は海の者だ、誰につこうが構わん。坊主が俺達に忠誠を求めるなら、顔を洗って出直せと言うところだが、あいつはそれも承知なんだろう」
「じゃないかな。じゃなかったら海賊じゃなくて船員と交渉するはずだもの」
「変わった奴だ」
 頭は呟く。
「いいだろう。あの坊主に賭けてやろう」
「ありがとう」
「で、結局何者なのか教えてはもらえないのか」
「……そうだね、とりあえず」
 セイリアは苦笑した。
「あんたたちが思ってるより、随分と大きい物事をちまちま動かしてる人間、かな」


 本当にちまちまだが、組んである策が細かいからか、随分ととんとん拍子に事が進む。新年からのトラブルに次ぐトラブルが嘘のようだ。シェーンが仕組んだ作戦は全部なんとか成功して、海賊の情報網、商家とのつながり、そして海軍のお偉いさんに拾ってもらう約束まで取り付けた。
「ついに喜劇の女神様降臨、ってとこかなー」
 自分自身の名をもらった女神のことを考えながらセイリアが呟くと、シェーンは笑った。
「調子に乗るとつまずくよ」
「乗ってません」
「うかれてるじゃないか」
「あんたもでしょ。機嫌良くて気持ち悪い」
「なにそれ。じゃあ不機嫌になろうか?」
「……遠慮する」
 随分色々あってようやく着いたヌーヴェルバーグの港には、人がごった返していた。軍艦が何艘も停まっていて、兵糧を補給している。見覚えのあるヌーヴェルバーグ海軍の軍服があちこちでうろちょろしていた。
 セイリアたちは馬車を拾って、例の軍艦の艦長の家へと向かった。
「結局あの人誰だったの? 結構お偉いさん?」
 セイリアが聞くと、シェーンは笑って頷いた。
「サルヴェール将軍の、妹婿殿だ」
「偉いの、それって」
「まあまあだよ。大事なのは将軍と知り合う取っ掛かりができたって事さ」
「じゃあ、第一段階成功?」
「まあね。……そうだ、君達も偽名を考えておいた方がいい」
 唐突に言われてセイリアとルウェリンは目を瞬いた。
「偽名?」
「そう。ヌーヴェルバーグ名でね。僕はシリル・フォートリエって名乗っておいたよ」
「じゃあ僕はリュリュで。“ルー”と近いですからね。リュリュ・バルデュスにでもしておきます」
 ルウェリンが即決した。突然のことでセイリアは何も思い浮かばない。
「えーと……どうしよ」
「なんでもいいだろう」
「こういうの苦手なんだもん」
 セイリアは唇をとがらせた。
「クレオの名前だってシェーンにつけてもらったのに」
「ああ、あの猫……じゃあもうクレオでいいんじゃない?」
「猫と同じ!?」
「いいんじゃない、君猫っぽいし」
「どこが!!」
「まあ、猫か犬かと言ったら猫ですよね」
「ルーまで!?」
 シェーンが笑い出した。
「いいじゃないか、元は神話から取ってるんだし」
「そりゃそうだけど……って、あれ女神じゃないの?」
「まあ、女名の男の人もいるだろうし。何かの都合で女装する時にも都合がいいじゃないか」
「同じ名前で女装と男装両方してたら同一人物だってバレるでしょうがっ」
 そこでセイリアは気付いて、口の端が笑っているシェーンをじっとりと見つめた。
「からかって楽しんでる?」
「僕は真剣に考えてるけど?」
「嘘つけーっ」
 途端にシェーンはこらえ切れなくなったのか、ついにぷっと吹き出した。やっぱり楽しんでいたようだ。
「君っていちいち真に受けるよね」
 実直で悪かったなこのやろう。
「じゃあ、ふだんはアシルにしたら? アース、と発音が少し似ているし。女の名前を名乗る必要がある時はクレオにすればいい」
「もういいよそれで」
 セイリアは口をとがらせて投げやりに言った。シェーンは手をのばして、セイリアのおでこをつつく。
「すねるなよ」
 セイリアは少し驚いて、つつかれた場所に触れた。ちらっとルウェリンを振り返る。ルウェリンはたまたま外を向いていて、こちらに気付いていなかった。それで安心して思いっきり赤くなることにした。今日のシェーンは本当にやけに上機嫌だ。

 馬車はひたすら川沿いを進んだ。シェーンによるとヌーヴェルバーグは島の中心がほとんど山なので、大きな都市は海沿いにしかないのだという。特に大きな川が流れ、河口付近が巨大な港町となっているのが首都マーブルーだった。セイリアたちが向かっているのはその首都から二日ほどの場所にある街らしい。これも海沿いの、それなりに大きな街だそうだった。
「島国って言うから島みたいなちっちゃい場所を想像してたけど、そうでもないんだね」
 セイリアが言うとシェーンはまたセイリアの無知を笑ったので口喧嘩になった。

 ついに着いた城は大きかった。将軍の妹婿殿は本当に結構な家柄らしい。そのせいもあり、入るのに少しだけ苦労した。紹介状を見せたのだが門番が用心深く、ひどく怪しまれたのだ。紹介状のサインが本物であるという確認をとってもらうのに時間がかかってセイリアたちは門の前で随分待たされることになった。
 そしていきなりセイリアたちは、城の主の妻であるところの奥様の前に出されることになった。身元確認のために女主人自ら鑑定に出ることにしたらしい。
「まあ、あの人ったら海の上で拾い物をして来たのね」
 美しい、訛りのないヌーヴェルバーグ語で夫人は言った。華やかな印象のする夫人だったが、油断のできない聡明さが瞳に見て取れた。この人が将軍の妹さんか、とセイリアは思った。なるほど、確かに覇気がある。
「紹介状は見せてもらったわ。確かにあの人のサインだけど、一体どうしてあの人はあなたたちを拾おうと思ったのかしら?」
 シェーンは事の顛末を説明した。クロイツェル軍の襲撃、自分の立てた作戦、そしてヌーヴェルバーグ軍が助けに来たこと。
 シェーンの話を聞き終えた女主人は興味深そうな顔をしていた。
「今の作戦、本当にあなたが一人で考えたの?」
「はい」
 シェーンは答える。
「実行はこの二人が助けてくれました」
「ふうん」
 女主人はにこりと笑った。
「じゃあ後ろの二人はあなたの部下?」
「ええ。護衛も兼ねて」
「で、実践にも参加して二人とも無傷?」
「ええ」
「確かに面白いわね。ロジェが気に入るのも分からないでもないわ」
 ロジェというのは、彼女の夫の名だろう。
「あなた、この紹介状を読んだ?」
 女主人は紙切れをふらりと振った。シェーンもセイリアとルウェリンも首を振る。彼女は言った。
「身元不詳が玉に瑕、と書いてあるわ。ああ、私ね、この国の将軍、テオフィル・サルヴェールの妹なの。兄様は私のことを信頼してくださっているのね。だから」
 彼女は立ち上がる。にこやかに、鋭く、彼女は告げた。
「身分不詳の欠点を補うために、ロジェは、兄様に紹介する前に私の目を通せと書いているわ。つまり、私に認められないと兄様に話をつけてあげられないってこと」
 セイリアはぽかん、と口を開けた。あれ、紹介状を持っていれば、とんとん拍子に進むのではなかったのか。
「私はイレーヌ・デュルヴィル。これからしばらくあなたたちを使ってあげます。期待に添ってくれたら、兄様に会わせてあげるわ。どう?」
 ヌーヴェルバーグでは男女の地位の差がそんなにないのだろうか、とセイリアは思った。いくら信頼しているからと言って、妻に、妹に、判断を任せるものなのだろうか。
 あまりに予想外の事態に、さすがのシェーンもしばらく呆気に取られていたようだったが、彼ははっきりと答えた。
「はい、ご指導よろしくお願いします」



最終改訂 2009.08.14