Introducing
お披露目

 

 セイリアとシェーン、ルウェリンの三人は、城内の召使の部屋を与えられた。貴族王族である彼らにとって、普段は足を踏み入れる事がない場所なだけに、戸惑うことも多かった。慣れているほうの生活スタイルを貫こうとするとうっかり素性がバレかねないので、神経も使う。
「スパイって実は精神勝負よね」
 セイリアがベッドにうつ伏せに倒れこんで呟くと、シェーンも疲れた顔で頷いた。
「……これは、もう少し彼らの報酬を上げるべきだな」
「そうしなさいな」
 奥様から与えられる仕事と言えば、今のところ雑用ばかりだった。セイリアやルウェリンは手紙の使いから体力労働まで駆り出されたし、頭脳派のシェーンはなぜか奥様のチェスの相手をさせられたり、収穫物の情報や税の報告書の整理などを手伝わされたりしていた。セイリアとルウェリンにいたっては、子供の子守まで任される事があった。奥様は若く見えて三児の母だったのだ。
「あんたの弟と言い、ニコルとマチルダと言い、あたし、なんか子供と縁があるみたい」
「なんだ、じゃあ今日もベビーシッターしてたの?」
「午後はね。髪は引っ張られるわ、いつの間にか剣を取られて振り回されるわで大変だったわよ」
「……お疲れ様」
「あんたは?」
「手紙の代筆をさせられてた。僕の字が気に入ったみたい」
 そりゃ、筆達者だからなぁ。
「こっちはひやひやものだよ。文法とかつづりとかを間違えてないか」
 うん、とセイリアも頷いた。言語の壁は実は大きい。セイリアも、ヌーヴェルバーグ語の赤ちゃん言葉の解読に相当苦労したのだ。
「ルウェリンは?」
「なんか馬小屋のほうに駆り出されてたわよ。蹄鉄を変えるのでも手伝わされてるんじゃない?」
「……そう」
 とりあえず、情報収集もままならないまま、全員働きづめだということだ。


「なんか掴めた?」
 セイリアがシェーンに尋ねると、シェーンは答えた。
「国内勢力図の変化がリアルタイムで分かることぐらいかな、収穫は。あと、戦争の状況は割と詳しく知ることができたな。さすが軍人の家だ」
「陛下の消息に関しては?」
「……何も」
 シェーンは答えた。
「その情報収集は将軍のところにもぐりこんでからやるしかなさそうだね。宰相でも良いけど」
「ああ」
 セイリアは思い出して言った。
「馬丁さんと仲良くなったからいろいろ話を聞くんだけどね、宰相って毎週修道院に行くみたいよ」
「ほんと?」
 いすでぐったりしていたシェーンが顔を上げた。
「その馬丁さん、御者と仲が良いらしくて、その御者が宰相の御者と仲が良いらしいのよ」
「へえ。それは使える情報だな」
「あ、そう? よかった」
 セイリアはうつ伏せのままで言った。
「考えて見れば、あたしの性格ってスパイに向いていないようで向いてたりするわね」
「……まあ、まず誰もスパイだと思わないような性格してるしね」
「それけなしてるの、褒めてるの」
「けなしてるように聞こえてるって事は、君は曲がった物の見方しかできないってことだね」
「あんたがいつもそうやって皮肉を言うからでしょーが」
 いつもの言い合いにも覇気が無い。
 二人で沈黙していると、戸を叩く人がいた。
「アシル、シリル、いる?」
 顔を覗かせたのは、よく手紙の使いをしている少年だった。セイリアは、アースと入れ替わっている時以上に頭の中での名前変換に苦労した。そういえばアシル、シリルって似ている。ええと、とアースを元にした名前だから自分がアシルのはずだ。
「いるよ」
 もう覗き込んで来ているので分かっているだろうが、一応返事しておくと、彼は笑った。
「うん。奥様がね、お供して欲しいから二人ともいらっしゃいって」
 セイリアとシェーンは顔を見合わせた。今まで二人は、能力ごとに仕事を分けられていることが多かった。二人とも呼ばれるというのはどういうことだろう。

 ふたりで揃って顔を出すと、イレーヌ奥様は身支度の真っ最中だった。まだきちんと服を着ていない。侍女がドレスの後ろを閉めているところで、シェーンは慌ててそっぽを向いていた。
「あら、早いわね」
 奥様は二人を見るとそう言った。
「真面目で結構なことだわ。ごめんなさいね、ちょっと待ってて」
 それだったらもうちょっと後で呼んでくれれば良いのに、と思っていたが、すぐに呼ばれた。華やかな容姿とは裏腹に、そんなに派手に着飾らない奥様らしい。
「二人に私のお供をして欲しいの」
 にこり、とさっき着替えを見てしまったことには一言も触れずにイレーヌ奥様は言った。
「伺っております」
 シェーンも顔色ひとつ変えずに返事した。セイリアは女なので女の着替えを見たからと言って特に反応はしなかった。
「何か準備はございますか」
「そうね、身なりだけ整えてくれれば良いわ。服は支給するから。あと、シリルは紙とペンもね」
「わかりました。いつ出発でしょうか」
「あと二刻ぐらいで」
「わかりました」
 奥様はそこで、笑みを深めた。
「ふうん。聞かないのね」
「何をですか」
 シェーンが聞くと、奥様は言った。
「どこへ行くのか、よ」
「……仕事に重要なことなら教えてくださるはずですし」
 シェーンはほんの少し笑んで言った。なんだか不敵な笑みだった。
「お忍びでしたら、信用のおけない下人には知らせたくないこともありましょう」
「よく分かっているわね」
 イレーヌは満足そうに言った。
「アシルは? シリルが仕切ってしまっているけれど、わたくしに聞きたいことはなかったの?」
「特には。ただ、私は何をすれば良いんでしょう。何も持たなくて良いみたいですけれど」
「剣は持って行って欲しいわね。あなたの今回の仕事は護衛よ」
「分かりました」
「……あなたたちってできた子たちね」
 奥様はぽつっと呟いた。
「わたくしの着替えを見ても平静だったし」
 ……一人は平静でないといけない立ち位置にいたし、一人はそもそも女である。まあ、とにかく、有用だと思ってもらえたならそれほど嬉しいことはないのだった。

 準備はすぐに済んだ。
 従者は主人と同じ馬車に乗る訳にはいかないので、セイリアとシェーンには馬があてがわれた。シェーンは心なしか表情がこわばっている。当然だ、言わばいきなり一人で馬に乗れと言うのだから。だが、まさかここで馬に乗れないことをカミングアウトするわけにもいかない。どこの何様だ、という話になってしまう。
「あたしが指示するから」
 一応助け舟を出してみたが、シェーンに睨み返された。
「どうやって。馬一頭分の距離をとってたら、指示してくれる声は周りに丸聞こえだ」
 それもそうだ。
「じゃあオーカストの言葉でやりとりしたら?」
「奥様にはそれくらいの心得はあるだろう」
「奥様に聞こえなければ良いじゃない」
「随分な賭けだね」
 セイリアは少し考えたが、ぽつっと言った。
「それじゃ……シェーン、口止め料は持ってる?」
「は?」
 シェーンは目を瞬いた。
「だれを口止めするの?」
「馬丁さん」
「ああ」
 シェーンも意味が分かったようだ。
「いい考えだね。自分でやるよ」
 言ったシェーンは、物知り顔で馬を見聞するふりをして言った。
「この馬、走らせない方が良いんじゃない?」
「え」
 馬を連れて来た馬丁が目を瞬く。
「最高のコンディションですが」
 シェーンは屈んで彼に何か耳打ちし、何か握らせた。セイリアはやれやれと首を振った。確かに提案したのは自分だが、やはりあまり気分が良い物ではなかった。
 馬丁は少々後ろめたそうな顔をしながらも、シェーンが使った言い訳に納得したようで、頷いた。
 そういうわけで、シェーンは馬が足りなかった、といって、堂々とセイリアと相乗りをした。
「練習するほうが先だと思うわ……」
 セイリアが言うと、シェーンはかすかに頬を膨らませた。
「分かってるよ……毎回使える言い訳じゃないし」

 かなりの遠出だった。これは夕飯までに戻ってこれそうにないから、先方でいただくのだろう。降りた先で建物を見上げてシェーンは驚いていた。
「これ……将軍の邸宅じゃないのか」
「えっ」
 セイリアも驚く。
「なんで分かるの」
「そこの旗の家紋がそうだよ」
「……相変わらず、そんなものよく覚えてるわね」
「これくらいの情報は覚えてて当然だよ」
 実際にそうだった。どうやら奥様は、兄君とお食事の予定らしい。
 サルヴェール将軍はまだ若かった。三十代半ばといったところだろう。自ら妹を出迎えていた。
「イレーヌ!」
「テオフィルお兄さま! お久しぶりね」
 二人は抱き合い、軽く挨拶のキスを交わした。将軍はついてきた妹の供たちにちらりと目を走らせると、目ざとくシェーンとセイリアを見つけた。
「見慣れない供がいるな」
「ふふ。お兄さまに見せに来たのよ。ロジェの拾い物」
「ほう、あいつの……」
 鷹のような目に射抜かれて、セイリアは内心パニックになりそうだった。いきなりお披露目ですか! 心の準備をする暇すら与えず、奥様はいきなり二人を将軍の前に連れてきたのだ。シェーンは旗を見た時点で既に心の準備をしてしまったらしく、相変わらず冷静だった。シェーンの顔を横目で見て、セイリアは自分に言い聞かせた。冷静冷静冷静……
「ロジェがこの二人に目をつけた顛末はゆっくり話すわ。あっちがシリルでそっちがアシル。偽名だと思うけどね」
 ぎくり。セイリアは少し肩を弾ませてしまった。気付いてたのか。ていうかすみません奥様、その偽名を使ってる本人の前で言わないでください。
「偽名?」
 案の定将軍は眉を吊り上げた。
「身元が怪しいのに手元においていたのか?」
「あら、仕事は真面目にこなしてたわよ? それに、身元不明を補えるくらい、使える子達だったわ。色々かまをかけてみたけれど、身元を隠すのは別にわたくし達にあだなすためではなさそうよ。とりあえずお兄さまが見てみてちょうだい」
「ほう……」
 将軍は笑んだ。というか奥様、かまもかけてたんですか。
「玄関で立っているのもあれだ、とりあえず歩こう。話は歩きながら聞く」
 将軍がそう言って妹の手を取る。二人が歩き出すと、シェーンと、緊張したまま、セイリアもついていった。

「それにしても、どうして今日連れてきたんだ? イレーヌ、何か企んでないだろうな?」
「あら、失礼ね、お兄さまは妹を信用していらっしゃらないの?」
「信用とお前の企みはまた別問題だろう」
 将軍は冷静にそう言う。
「あまりロジェを差し置いてでしゃばるなよ。お前はただでさえド・リールに目を付けられている」
「目立つ存在でないと動けないこともあるのよ? わたくしのことは重宝なさった方がよろしくてよ」
「してるさ、十分に」
「その割には毎回苦言が多いこと」
「そうか?」
「とにかく、わたくしはロジェ以上に動いているつもりはないわ。今回この二人を連れてきたのだってロジェの案なのよ?」
「そうなのか。まあいい、どうなるか見ていてやろう」
 なんだか、奥様がシェーンとセイリアを連れてきたのに少々問題があるようだが、どういうことだろう。セイリアはもう一度シェーンを盗み見たが、やはり涼しい顔をしていた。このやろう。つっついて絡んで、その済ました表情を崩してやりたくなってくる。

 ついた部屋の戸が開くと、その向こうには先客がいた。
「あら」
 女性だった。
「デュルヴィル夫人、ごきげんよう」
 立ち上がったのは中年の、女性。威厳を感じる風貌だった。少し離れたところに、供の者だろう、二十代の青年が一人ついている。というか、他にも客がいるなんて聞いてない。将軍は女性の傍に歩み寄る。奥様もその後から続き、頭を下げた。その口から相手の名前とともに挨拶が出る。

「ド・リール夫人もごきげんよう」

 ……宰相の夫人だった。
 なるほど、いきなりとんでもない相手に会わせるものだ、とセイリアは内心頭を抱えた。



最終改訂 2009.12.18