An Unexpected Meating
意外な邂逅

 

 護衛とお供の者は壁際で立っているしきたりのようなので、セイリアはシェーンと並んで壁際に控えることになった。主人達はとりとめのない会話にいそしんでいる。会話内容を聞くのはシェーンに任せて、セイリアはちらりと宰相夫人の供の青年を盗み見た。顔までうかがい知ることは出来ない。彼は深くフードを被っていた。
 奇妙だ、と思う。室内でもフードを脱がないのは訳があるのだろうか。何はともあれ、怪しいことは確かだ。視線を主人たちに戻してみる。彼らはこのフード男を不審に思ってはいないようだった。宰相夫人が連れてきたのだから、疑う必要はないということなのだろうか。
 ふと、セイリアは彼がシェーンをちらちら見ていることに気づいた。セイリアはいやな予感がしてシェーンをつつく。
「シェーン」
「なに」
「あの人あんたを見てるわよ」
 シェーンもフード男をちらりと見た。
「……顔が見えないから、会ったことがあるかどうか、分からないよ」
「まあ、そうだけどさ。あんたを知ってる人だったらまずいなと思って」
「ヌーヴェルバーグの人には会ったことないっていっただろう。それに、王子が将軍の妹の使用人になってるとは思わないだろう」
「言い切れないでしょ」
 シェーンは少し、複雑そうな顔をした。
 ご婦人二人と将軍は笑顔を張り付けたまま、表面上は和やかな会話を楽しんでいる。
「そうなんですの、主人ったら戦争は非常事態なのだから、使える人材はどんどん登用した方が良いなんて言うんですの」
 おほほほ、と笑いながらイレーヌ奥様が言う。
「仕事柄、移動が多いせいでしょうね、時々面白い子を見つけてきては拾って来るんですのよ」
「まあ、面白そうだこと」
 ド・リール夫人もおほほと笑う。聞いているセイリアとしては、まあなんとも含みのある会話だ、と思った。
「うちの主人も時々そうなんですのよ」
「そうですね……今日の従者の方も、そうだとお伺いしていますわ」
 奥様の目がフード男に走った。セイリアとシェーンもちらりと彼を見る。彼は微動だにせずに沈黙を守っていた。
「ヴァンサンのこと?」
 宰相夫人はにこりと笑う。
「ええ、確かに主人が登用したわね」
「驚きましたわ。ド・リール宰相はよそ者が嫌いだと思っていましたのに」
「そのはずなのですけれどねぇ。でも、ヴァンサンはとても使える子ですのよ」
「そうなのですか。宰相はとてもお目が高くていらっしゃりますね」
 奥様はニコッと笑って、ヴァンサンと呼ばれたフード男に笑顔を投げかけた。ヴァンサンは軽く頭を下げた。
「そんなことをおっしゃって」
 宰相夫人も笑う。今度の笑顔にははっきりと含みがあった。
「デュルヴィル夫人も見慣れない顔の子を二人もお連れのようですけれど?」
 セイリアはにわかに緊張した。宰相夫人は明らかにセイリアとシェーンを指していた。
「あら、さすがですわね、すぐにお気づきだなんて」
 奥様はみじんも動揺せず、むしろ嬉しそうに言う。
「シリルとアシルですわ。もう一人、リュリュという子も本当はいるのですけれど、使いに出していますの」
「まあ、ご主人の拾いものですの?」
「ええ。世話は妻に任せきりだなんて、お互い夫の道楽のために苦労いたしますわね」
「まあ、本当」
 おっほっほっほ、と二人が高らかに笑った。
「ロジェに言いつけるぞ、イレーヌ」
 苦笑交じりに将軍がとがめると、あら嫌だ、お願いですから秘密になさって、と奥様は可愛らしく言った。
 見ていたセイリアは内心引きつった笑いを浮かべていた。なんだこの奥様方。強すぎる。
「サルヴェール殿は、使えると思った者をどんどん登用なさったりはしませんの?」
 宰相夫人に問われて将軍は笑った。
「ロジェに勧められた者を見極めるので精一杯ですよ。……とはいえ、おたくのヴァンサンにはわたしもちょくちょくお世話になっていますから、人材発掘も悪くないとは思いますね」
 それから三人は、他の貴族が登用した人達の噂をしたりした。侯爵が拾った情報屋が年端も行かぬ少女だったとか、か弱い老人に見えてとんでもなく敏腕の策略家がいるとか。
「オーカストからの人には注意しなければなりませんねぇ」
 宰相夫人が団扇をあおぎながら言う。
「スパイかも知れませんわ」
「しかし、今の我が国は探られて困るようなことはあまりありませんでしょう?」
 将軍が反論すると、宰相夫人は笑った。
「……まあ、オーカストは今、わたくしたちの戦争に対しては中立ですものね。むしろ物資を支援していただいているくらいですもの」
「そうですよ。あちらがこちらを探る動機もございませんし、こちらにやましいこともございません」
「それもそうですわね。わたくしったら、神経質になっているのかしら」
 おほほほほ。セイリアはそろそろこの会話に気持ち悪くなってきた。オーカストの貴族でももうちょっと本音交じりの会話だったと思うのだが。

 気持ちの悪い会話は、しかし、間もなく終わった。食事の時間になったのだ。食事の間、セイリアたちは食堂を出された。ヌーヴェルバーグでは護衛は食堂に立ち入らないし、主人と同時に別室で食事を取るらしい。
 この人と一緒に食べるのか、気まずいな、とセイリアはヴァンサンとやらに目を走らせた。食事の時でもフードを被ったままでいる気らしい。すんごく怪しいんですが。
「……あのー」
 セイリアは話しかけてみることにした。
「あなたも拾われ者なんですねぇ」
 とりあえず、仲良くなれそうな話題その一、共通点アピール。しかしヴァンサンはこちらを一瞥して「ええ」と言っただけで話題にはのってくれなかった。とりあえず声は聞けた。思いの外甲高い声だった。
「大変でした? 信用されるまで」
「別に」
 なんともそっけない。セイリアはひとまず諦めて、食事に集中することにした。しかし静かだ。シェーンも何もしゃべらないし。
「……あのー、ちょっとそこの塩取ってもらえます?」
 セイリアが言えば無言で、ヴァンサンはずいっと塩を差し出した。むむむ。
「フード被ったままだと食べ辛くない?」
 親切心で言ったのに睨まれた。
「言葉の多い人だ。静かに食べさせてもらえませんか」
「……そんなカリカリしてたら誰も何も教えてくれないんじゃないの」
 呟いたらヴァンサンが初めてこちらをまともに見た。
「何も教えてくれない、というのはどういう意味です?」
「あれ、情報収集が仕事じゃないの?」
 そう思ったから言ったのだが。
「夫人は私の仕事のことなど何も言わなかったはずです。なぜそう思った?」
「なぜって、……なんとなく?」
「君は同業者か」
「いえ、私は護衛ですけど」
 まあつまり情報収集が仕事ということで間違いはないようだ。ヴァンサンはどうやらセイリアに興味をもったらしい。食事の手を止めた。
「……君、名前はシリルだったか」
「アシルです」
 すぐに反応できる程度にはセイリアも偽名を覚えたようだ。
「アシルね。デュルヴィル夫人の供だったね」
「ええ」
「ふうん。将軍のところに移る予定?」
「さあ。知りません」
 セイリアは肩をすくめて言った。
「護衛があんまり主人をコロコロ変えるのってアレじゃない?」
「……君、わけのわかんない人だな」
「え、何ですかそれ」
 なんでもない、と言うようにヴァンサンは首を振った。
「君達はオーカストの出身か?」
 かれは出し抜けにそう聞いて来た。口の中の食べ物を吹きそうになったセイリアだったが、その素振りを出さないように努力した。横目でセイリアをちらりと見たシェーンが言う。
「そう聞くあなたも大陸出身ですね。しかも、クロイツェルでもオーカストでもなさそうだ。北方ではあるようですけど」
「へぇ」
 ヴァンサンは、今度はシェーンに顔を向ける。
「君も、わずかな訛りで出身地を特定できる人間か」
「まあ」
 シェーンは笑む。王子の時を思い起こさせる笑みだ。
「色んな人に会ってきましたからね。あなたもですか?」
「まあね。方々を渡り歩いてきたから」
 言ってヴァンサンはワインに手をつけた。
「オーカストね……」
 なんかまずくないだろうか。オーカスト、イコールスパイの図式がこの国では成り立っていることは、さっきの宰相夫人の会話ではっきりしている。セイリアははらはらとシェーンとヴァンサンを交互に見つめた。
「君のほうがシリルだね。君は、同業者?」
 婉曲に見えてとっても直球な質問だ。シェーンは首をすくめた。
「僕は情報を集めるほうではなくて、情報を分析するほうですよ」
「……なるほど」
「あなたは集めるほうですか」
「どちらかといえば、そうだね。分析もするけれど」
 ヴァンサンは言うと、フードに手をやった。
「ここまで話したのだから、顔を隠しておくのも失礼だろうね」
 そう言って、フードを取った。銀色の長髪をひとつにくくった、若い男だった。瞳の色は緑。自分とシェーンをあわせたようだと思ってセイリアは少しどきっとした。ちらりとシェーンに目をやると、彼は目を見開いていた。あれ。
「私はヴァンサン・エルネだ。よろしく」
「あ、アシル・ヴェルランです」
「……シリル・フォートリエです」
 名乗られたので名乗り返す。ヴァンサンは最初の徹底した無視っぷりから一転してかなり朗らかになったのだが、一方のシェーンは、若干態度が硬くなったように思えた。

 食事が終わると、お供たちは主人たちの食事が終わるまで雑談をして過ごした。お互い、これ以上の情報は明かさないよう、徹底してどうでもいいことしか話さなかったが。やがて将軍達が供たちを部屋に入れた。
「おや」
 宰相夫人が、三人を見て笑んだ。
「もう仲良くなったの、ヴァンサン」
「ええ、まあ、ほどほどでしょうか」
 ヴァンサンも礼儀正しい笑顔で返す。
「ほう。君達は打ち解ける才能があるようだね」
 将軍はそう言ってちらりとシェーンとセイリアを見た。
「ヴァンサンはガードが固いと思っていたのだが。わたしなどには特にね」
「……恐れ入ります、サルヴェール将軍。仮にも宰相家に仕える者ですので、主人以外には」
 礼をしたヴァンサンに、将軍は笑顔を向けた。
「いやいや、それくらい硬いほうが、主人としては安心だろう。ド・リール宰相もいい拾いものをするものだ」
「お褒めに預かり、光栄です」
 供を褒められた宰相夫人も、満足そうに笑っていた。どうやらヴァンサン青年は貴族方の間で評判がよろしいらしい。少なくとも、表面上では。


 客が帰った後、イレーヌ奥様はささっと余所行きの顔を脱ぎ捨てて、兄と腹を割った話し合いを始めた。
「ねえ、あのヴァンサンのことなんだけれど。お兄さま、あの子をもうちょっと警戒したほうがよくないかしら」
「警戒してないように見えるのか?」
「ええ」
 真正直に言われた将軍は苦笑をもらす。
「十分すぎるほど、警戒していると思うがな」
「それにしては、あの子を気に入っているように見えますわ」
「それくらいのほうが、あいつにも疑心を抱かせないだろう」
 なんだ、この会話は。目を白黒させていると、奥様が振り返った。
「ねえ、あなた達、あの子と話をしたんでしょう? 何を話していたの?」
「え、特には。シリルが、彼は北方出身だろうといってましたけど」
「そうなの?」
「……ええ」
 シェーンは答えた。
「もっと詳しく言えば、旧ヘルネイ領のあたりの出でしょうね」
「驚いたな。そんな詳しく分かるのか」
 将軍に言われたシェーンはどこか引きつったような笑みを浮かべた。
「……少数民族出身の知り合いがいるのですよ」
「ほう」
 将軍は呟いて、考えるような顔をした。
「それは気に留めておく必要がありそうだな。……君達は本当に使えるようだ。ロジェに感謝するといっておいてくれ。時々使わせてもらうかもしれない」
「あら。じゃあ、お気に召したのね」
「まあな」
 将軍は笑った。
「もう遅い。また今度話し合おう。その二人のどちらかに使者を務めさせてもいい。今日はもう帰りなさい」
「そうね。子供達が待っているでしょうから、わたくしもお暇するわ。今度は一緒に連れてくるわね」
「ああ、是非」

 馬車に戻る道すがら、奥様が二人に打ち明け話をした。
「あのヴァンサンね、お兄さまが将軍のところに送り込んでいるスパイなの」
「えっ」
 セイリアはびっくりした。全然そうは見えなかった。奥様はセイリアの反応に、楽しそうに目を細める。
「あなたは反応が素直ね。シリルと足して二で割ってちょうどいい感じだわ」
「……はあ」
 褒められているんだろうか、これは。
「まあ、もちろん、さっきの会話から分かる通り、完全に信用しているわけではないの。多分、宰相の側からのスパイでもあるのよね」
「……二重スパイ」
「そういうこと」
 奥様は頷く。
「きっと全然別の誰かに仕えているか、あるいは彼本人の思惑で動いていると思うの。……わたくし、ヴァンサンのことが気に入らないのよ。お兄さまには悪いけど。何か企んでいる気がしてならないの。できれば、あなた達には彼を見ていて欲しいわ」
「……わかりました」
 セイリアは答え、横目でシェーンを見た。さっきから、シェーンの反応が気になる。何があったのだろう。

 馬に乗って初めて、セイリアはシェーンに聞く機会を得た。彼は口を開くと、驚くことを言った。
「……あれはヴェルニ王子だ」
「は? ヴェルニ? 王子?」
「旧ヘルネイの王子だよ」
「……は?」
 もう、「は?」以外の言葉が出てこない。
「姓をエルネって名乗っただろう。ヘルネイとかけてるんだ。……まあ、普通は気にとめないんだろうけど」
 シェーンはそう説明する。セイリアは混乱した結果、やっとのことで聞いた。
「え、何? 知り合い? 会った事あるのよね?」
「……どうなんだろう。向こうは僕のことを全然覚えていないみたいだった」
「でも、シェーンが向こうの顔を知っているなら、会った事あるんでしょう?」
「うん。……でも、処刑されたはずなんだ。リキニ事件で」
 リキニ事件。シェーンが初めて、政治に口出しをした事件。その才を発揮して、旧ヘルネイの反乱を鎮めた事件。セイリアは開いた口がふさがらなかった。
「死んだ人がひょっこり出てきたって事!?」
「……それが、分からないんだ」
 シェーンは深く眉を寄せて考え込んでいた。
「処刑されたのは影武者だったのかな。それだとしても、僕の顔は知っているんだと思っていたけど。それに、僕を知っていたら顔は見せなかったはずだ。向こうも僕が彼を知っているって知ってるはずだからね。でも、彼が僕を知らないとすれば」
 シェーンは真っ暗な道の続く先を見つめる。
「……あいつは、誰なんだ?」
 思いもよらない人物に、思いもよらない場所で遭遇したようだ。
 順調にいきかけていると思っていたヌーヴェルバークでの暗躍に、ひとつ暗雲が浮かんだようだった。



最終改訂 2010.01.28