夜会と嘘
Party and a Lie

 

 ヴァンサンという青年に会ってからしばらくは、たいして大きな変化は無かった。イレーヌ奥様は相変わらずセイリアとシェーンを有効活用していたが、将軍とのコネはまだ定着せず、とんとん拍子にうまくいっていたつけのようなものが今になって回って来たかのように、進展は滞った。
 戦時中とあって、どこの国でも貴族の恒例行事であるらしいパーティーですら、どこか緊張感を孕んだものだったはずなのに、選局の情報をポツポツ手にいれた以上の収穫は無かった。
 順応性の高いセイリアは既にアシルと呼ばれる事に抵抗が無くなり、なんかもうこのままヌーヴェルバーグにいついてもいいかなーなどとすら思い始めていた。
「だめですよぅ」
 こぼしたセイリアに敏感に反応して、ルウェリンがあわあわと言った。
「戻らなきゃ、完全に逃亡者ですよぅ。アース殿が逃亡者になるなんてっ……」
「冗談だよ、冗談だってば。そう思っちゃうくらいに退屈なだけ」
「退屈って……毎日きりきり働かされてるじゃないですか」
「忙しいかどうかは退屈かどうかに関係ないの。面白くなかったら退屈なのー」
 セイリアは言ってのびをした。
「今夜また夜会があるそうですよ?」
 ルウェリンが慰めるように口にしたが、すぐため息をついて自分の発言を取り消した。
「夜会はお嫌いなんですよね……」
「好きじゃないねー」
 その時、部屋に戻ってきたシェーンが、セイリアを見て呟いた。
「何つぶれてんの」
「モチベーションに飢えてるの」
 セイリアは布団に顔を押し付けた、くぐもった声で答えた。
「ヴァンサンのことは?」
「神出鬼没過ぎてつかまんない。身元情報もなし。大体屋敷に缶詰でどう情報収集しろっていうの」
「退屈そうだね。この空気だっていうのに。オーカストにいたときよりも緊張感あると思ってたけど」
 シェーンは腰に手を当てて、呆れたような口調で言った。セイリアがむくりと体を起こして「そう?」と呟く。シェーンはふふんと鼻を鳴らした。
「まあ、君は鈍いからね」
「変わった褒め言葉をどうも」
「褒めてない」
「知ってるよ、ふんだ」
 セイリアがべっと舌を出すと、シェーンは肩をすくめた。
「今夜も夜会があるらしいけど?」
「ルーに聞いた。だってどうせ私はまた守衛になるんでしょ。門の前にずっと立ってるだけの。知ってた? 動かないのって一番疲れるんだよ。あーもう護衛がいいー転職したーいシェーン雇ってー」
「それはつまり護衛をつけられるくらい出世しろってこと?」
「そ」
「君ねぇ」
「だいじょーぶーシェーンならできるー」
「信じられないも甚だしい励ましをどうも」
 セイリアはぷう、と頬を膨らませた。
「シェーンが冷たい」
「割といつもの反応だと思うけど?」
「……」
 セイリアはじたばたと手足を動かした。気分がふさいでいる理由は自分でもわからない。本当にただ退屈なのか、家族と会えないことがストレスなのだろうか、慣れない異文化に戸惑っているのだろうか。ただ退屈、以外はどれも自分らしくない理由だ。
「退屈っていわれても、これだけ仕事仕事じゃあ剣の練習をする時間もないだろう。どうしようもないから、せめて夜会を楽しめるように自分の頭を切り替えるんだね」
 相変わらず容赦のないシェーンの言葉に、セイリアは再び顔を布団にうずめたのだった。

 そろそろセイリアも、夜会の常連の顔を覚えてきていた。あらまあ覚えが早いわね、なんて奥様は言っていたけれど、シェーンにはかなわないと思う。彼は夜会の席に出ると、入ってくる人達をいち早く見分けて、身分の高い人から順に、奥様に耳打ちをして挨拶に行くのだった。
「わたくし、こういうの覚えるの苦手なのよね」
 奥様は苦笑しつつ、そっとセイリアにそう言った。
「そうなんですか? 立ち回られるのがお上手なので、てっきり社交は得意なのだと思ってました」
 セイリアが言うとまあ、とイレーヌ奥様は笑う。
「あなた本当に正直ね。思ってた、ってことは、人の顔と地位を関連付けるのが苦手だってことでわたくしが社交下手だって判断したの?」
「え、あ、そういうことじゃなくて」
「アシル、口調」
 むぐ、とセイリアは口をつぐんだ。自分と同じような匂いがするというのに、奥様は割と礼儀にうるさい。
 小さく溜め息をつくと、奥様は少女のような、勉強嫌いの子供のような表情をちらっと浮かべた。
「どうしてもこれだけは苦手なの。シリルがいてくれて助かるわ」
「……私が役立たずみたいじゃないですか、それ」
 少しむくれてみせると奥様はこらえきれなくなったように軽く吹き出し、セイリアの頭をくしゃりと撫でた。
「少しは表裏ってものを勉強したら?」
 笑い含みに言われても説得力ないんですが。ていうか、どうせなら否定してください。
「あら」
 突然イレーヌ奥様がホールの入り口に目を向けて呟いた。
「いらっしゃったの。珍しいわね」

「グレゴワール・ド・リール、ティベリア公爵とシモーヌ・ド・リール夫人!」

 宰相のおでましですか。セイリアは振り返った。確かに宰相夫妻が入ってくるところで、宰相はヴァンサンを、夫人は侍女らしき女性を連れて入ってくるところだった。
「いらっしゃるの、珍しいんですか?」
 聞いてみるとイレーヌは苦笑した。
「あら、お兄様と宰相の不仲は有名でしょう?」
「でも奥様は夫人と……」
「仲良くないわよ。見え透いた社交辞令に気付かなかったの?」
「……いえ、気持ち悪いほどに気付いてました」
「でしょう?」
 奥様正直すぎます。
 それでも来た以上は歓迎するのが当然らしく、奥様はするりと動くと宰相夫妻の前に挨拶に出た。
「ようこそいらっしゃいました、ティベリア公、夫人」
「お招きいただきありがとうございます」
 宰相と夫人も会釈を返す。
「夫がいないというのにお越しいただけるとは思っていませんでしたわ」
 奥様がにこりと笑うと宰相もにこりと笑った。夫人よりさらにお年を召した風貌の、40半ばから50といった厳めしい男性だった。
「何をおっしゃる。デュルヴィル夫人の手腕は聞き及んでおります。少将も留守を奥様に任せておけば安心でしょう」
「まあ」
 おほほほほ。うふふふふ。実際に奥様方がそう笑っていたわけではないのだが、もう幻聴まで聞こえてきそうだ。ヌーヴェルバーク怖い。
「どうぞ今日はごゆっくりなさいませ」
 イレーヌ奥様が会釈をすると、三人も会釈を返し、既に宰相夫妻への挨拶の行列が出来ていたため、セイリアと奥様は身を引いた。
「アシル」
 声が届かない場所まで来ると、奥様は言った。
「ヴァンサンに張り付いていてちょうだい。なんだか臭うわ」
「はい」
 願ったり叶ったりだ。セイリアはそっと奥様の傍を離れると、壁際に退いて人間観察につとめることにした。
 彼はごく控え目に立ち回っているかのように見えた。宰相夫妻のそばをつかず離れずついてまわり、夫妻の細かい指先の動きひとつや表情ひとつを読み取りながら、挨拶や雑談をこなしていく。時折彼は顔を上げてきょろきょろと見回していたが、セイリアはそんな時はさっと彼から視線をはずした。観察しているのがバレそうだ。彼は他人の視線に敏感のようである。
 そのうち彼は疲れたのか暇をもらったのか、夫妻を離れて一人で行動し始めた。イレーヌ奥様にも個人的に話しかけていたようだったし、特にこそこそ嗅ぎまわっている様子はない。行動ではなく、している会話が重要とみたセイリアだったが、残念ながら遠いところにいるので盗み聞きができるはずもなかった。

 セイリアは彼に近づくことにした。
「こんばんは、ヴァンサン」
「ああ、こんにちは、アシル」
 艶を含んだ高めの声で彼が答える。
「デュルヴィル夫人についていなくていいのか」
「侍従は他にもごまんといるし」
 セイリアは言って、彼が差し出したワインのグラスを丁重に断った。
「飲まないのか。子供だな」
「子供で結構」
 セイリアは少しむっとして言い返した。
「すぐに酔っちゃうんだよね、私。お酒の味が嫌いなわけじゃないけど、へべれけになって仕事できなくなったらまずいでしょう」
「……他人にそうぺらぺらと弱点をしゃべるものじゃないよ」
「大丈夫、このこと教えるのあんたが初めてなの。もし私にお酒を盛ろうとしたらすぐにあなたが犯人だってことになるから」
 ヴァンサンは奇妙な顔をしてセイリアを見つめた。
「相変わらず変わった物言いをするな」
「そう?」
「隠し事をしないことで相手の逃げ場を奪うのが、君は得意なようだ」
「へえ。そう言われたの初めて。そういう見方もあるんだね」
 ワインの変わりに水を飲んでセイリアは言った。一瞬沈黙があったが、ヴァンサンが口を開く。
「……君の友人だが」
「シェ……シリル?」
「ああ。なかなかやり手のようだね」
「どうかなー。頭いいな、とは思うけど」
 セイリアはちらりとヴァンサンを盗み見た。
「アシルはヴァンサンのこと、知ってる人に似てるって言ってたよ。ヴァンサンはシリルに会ったことあるの?」
「いや?」
 奇妙なことを聞く、とでもいうように言われてセイリアはふむ、と考え込みそうになった。
「……ヴァンサン、歳は?」
「なぜ?」
「別に。ちなみに私は15でシリルは17」
「……24だ」
「どうも」
「なんなんだ、私に似た人間を探してでもいるのか」
「まあ、そんな感じ。……ヴァンサン、記憶喪失を抱えてたりはしないよね?」
「そんな馬鹿なことがあるか」
「ならいいんだ。きっと人違い」
 ヴァンサンはじっとセイリアを見つめた。
「つまりは、アシルは私をその知人だと確信しているわけか」
「……どうだろ。本人としか思えないくらいのそっくりさんなだけかも知れないし」
 セイリアとヴァンサンはしばらくお互いの表情を読もうとする視線を送りあっていたが、不毛に終わった。視線よりは言葉のほうが探りやすいと判断したようで、ヴァンサンが口を開く。
「君たちはオーカストの出身だったね」
「そんな風に確認を取られるほど肯定した覚えはないけど、まあ、うん」
「なぜヌーヴェルバークに?」
「なぜって、仕事探しに」
「わざわざこんな戦争中の国にか。海まで渡って」
「それを言ったらあんだもでしょ」
 情報引き出し失敗。ヴァンサンは苦々しそうな顔をした。
「私そういうのには耐性あるから、直球で来ていただいたほうがありがたいんだけど」
 セイリアがいうとヴァンサンは探るようにセイリアをみた。
「ますます怪しいな。オーカスト出身で諜報関係者と来たら、私は硬く口を閉ざして一言もしゃべらないほかない」
「探るほうじゃなくて探られるほうだったってだけだよ」
 セイリアは嘘をついた。まあシェーンの護衛としては嘘でもないのだが。
「あんたが直球で来ないなら私が直球で行くよ?」
 セイリアは小さく息を吸い、吐き出すと同時に言った。

「あんだ、ヘルネイの王族?」

 一瞬ヴァンサンが凍ったのがわかった。どんなわずかな反応も見逃すまいとセイリアは彼を見ていたから、はっきり見て取った。これは肯定の反応だろうか。少なくとも全くの的外れならこういう反応はするまい。
 セイリアが見守っていると彼は意外なことに、ふっと笑みを漏らした。
「驚いたな……この手の切り込まれ方は初めてだ」
「どうも。回りくどいのは得意じゃないもんで」
「褒めてない」
「……あ、そう」
「私は王族ではない」
 ヴァンサンははっきりといいきった。
「昔そうだったこともない。これは確かだ。シリルが私を見て知人に似ていると言ったそうだね。それはヴェルニ王子のことか」
 セイリアは少し驚いて、頷いた。
「う……ん。知ってるの?」
「ヘルネイ出身であることを否定するつもりはない」
 ふうん、としかセイリアは返すことができなかった。なんだか、何が何なのかよくわからない。
「ヴェルニ王子の顔を知っているということは、君たちも少数民族か?」
「そう見える?」
「見えなくもない。銀の髪や鮮やかな緑色の瞳はよくある色だ」
「そ、そうなんだ……」
 知らなかった。
 セイリアはめまぐるしく考えた。情報もたくさん手に入ったが、代わりにたくさん与えてしまった。ヴェルニ王子を知る人間となると相当限られるのである。そして、どうやらヴァンサンの推測は、セイリアとシェーンは少数民族である、ということらしい。
 そう思ってもらったほうが好都合のようだ、とセイリアは気付いた。シェーンは博識だから少数民族のふりもできるかもしれない。セイリアは……まあ今から猛勉強するとして。同族のほうがきっとヴァンサンは口を滑らせやすいだろう。何よりシェーンはここへ、父王の消息を探しに、そして伯父の不正を暴くために来たのだ。どちらにも少数民族は絡んでいる。ヴァンサンは貴重な情報源になるに違いなかった。
 ごめん、シェーン、独断で動くわよ。心の中でそう謝り、これが正しい対応だと願いながら、セイリアは言った。
「そうだよ。私とシリルも少数民族なんだ」



最終改訂 2010.08.01