Madam Irene's Suspicion
奥様の疑念

 

「その告白、信じる証拠は?」
 しかし、思いもよらないことにヴァンサンはそう切り替えしてきた。カマをかけられたのか、とセイリアは一瞬ヒヤッとしたが、なんとか表情に出さずに済んだ、と思う。
「ないよ」
 あっけらかんと言った。嘘はついていない。セイリアのような、本音が顔に出てしまう人間にとって、嘘に真実味をもたせるには本当のことを根拠にするしかないのだ。
「ただ、そうだって教えられてきたからそうなんだと思ってるだけ」
 言い訳としては上手く言った方だと思う。ヴァンサンは探るような目でセイリアを見つめたが、結局肩をすくめた。
「まあ、お前達はなかなか面白そうだから、困った時に助けてあげることぐらいはできるかもしれないが」
「というかヴァンサンはヌーヴェルバーグで何してるの? 単純に職探し?」
「そんなようなものだ」
「民族の暮らし方じゃ足りないの? わざわざ差別されそうな場所に飛び込もうと思えるくらい、貴族社会って魅力的?」
「興味深くはあるだろう。そういうお前達はどうなんだ」
「……えーと、だって生粋の少数民族じゃないし」
 事実そうは見えないだろうからそう言ってみた。
「なんだ」
 ヴァンサンは面白く無さそうに言った。
「それじゃあ手助けはあんまり期待するなよ」
「何それ、ケチ。そんなに民族のつながりが重要なんだ?」
「そこらへんは貴族と似てるからな」
 この話題は打ち切り、というようにヴァンサンは煩そうに片手を払い、言った。
「お前はやたら私に絡んでくるね。仕事放棄してて良いのか?」
「邪魔だとか思ったでしょ」
「分かってるならさっさと消えろ」
「うっわ、ひどーい。同族の誼はどこいったの!」
 するとヴァンサンはにやりと笑ってセイリアの頭をくしゃっとなでた。
「本当に同業者か、お前。なんだか煩い弟ができたみたいな気分だよ」
「……でしたらもうちょっと優しくしてくださーい」
「仕事中だろ、もう私にひっつくな」
 今度はなげやりで乱暴な言い方ではなく、少し優しかった。あ、あたし少し打ち解けてもらえたかも、とセイリアは思い、それ以上の詮索はやめておいた。すぐに人と打ち解けるのがあたしの一番の才能なのかな、とちょっと得意げな気分になる。
 奥様のところに戻って、あまり情報はつかめなかったけどどうやら生粋の少数民族出身らしいこと、それから、若干仲良くなった気がするからこれから多少情報収集できそうな気がするということを伝えた。
 イレーヌ奥様はまあまあね、期待どおりだわ、と言った。
「正確に言えば少し高めの期待をしていたかしらと思っていたのだけれど。よくやったわ」
 褒められるのは純粋に嬉しい。イレーヌ奥様はそこでふと、少し難しい顔をした。
「ねえ、あなたはとても普通の子に見えるのよ。有能なんだけど、まだ普通の子に。でもシリルは一体何者なの?」
「はい? あの子だってそこそこ普通ですけど? 拗ねるし素直じゃないしすぐ不機嫌になるし」
「そういうことじゃなくてね……さっきあの子、宰相と今度修道院での礼拝が終わった後、少し話をする約束を取り付けたんですって。民間起用の、素性の分からない、貴族でもなんでもないあの子がよ? どんな手を使ったのかしら……おまけに聞き出したいことがありましたらお申し付けください、ですって。自分に自信がなければあんな言い方はできないわ」
 セイリアはひやりとした。ちょっとシェーン、王子顔覗かせ過ぎたんじゃないの。自信満々は確かにいつものシェーンだが、それは人の上に立つ者としてやっていくための顔だろう。今は人の下で働く身だというのに。
(ちょっと飛ばし過ぎ……)
 さてなんなんでしょうね、そんなに彼の能力を意識したことなかったので、と乾いた笑顔で舌を噛みそうになりながら言い、セイリアは一息休憩して飲み物を飲んでいたシェーンの首根っこを捕まえた。
「ちょっと、あんた手の内見せ過ぎなんじゃないの。奥様がおののいてたわよ。あんた何者なの、って」
 シェーンは意外だ、という顔をした。
「それですぐに素性を怪しまれる、ということにはならないだろう。自信満々なのは若さゆえの怖い物知らず、能力は単にもともとあったもの、って思わせれば良いんだから」
「シェーンがそれを思わせるように仕向けられるんなら良いけど……あんた王子顔あんまり覗かせないでよ?」

 その後、セイリアはヴァンサンに関することを報告した。
「ふうん……ヴェルニ王子じゃないって? あんなに似てるのにな……」
「シェーンのこと知らないのは本当みたいよ? 嘘ついてるようには見えなかったし。ちなみに記憶喪失でもないって」
 シェーンは考えるように黙り込んだ。それからため息を付いて、セイリアを見やると少し責めるような目をした。
「……でもまあ、君は僕らが少数民族だなんて嘘をついちゃった訳だ。勝手に」
「そうした方が良いって思ったんだもの。臨機応変に動くにはいちいちあんたの判断聞いてる暇は無いでしょ」
 セイリアが膨れると、シェーンは軽くため息をついた。
「まあいいけどね。僕らの目的は父上の行方の情報、伯父上が故意に父上を葬ろうとした証拠、それに加担していたと思われる少数民族の情報だ。あいつが間違いなく少数民族だっていうなら、伯父上と繋がっていた少数民族の情報も手に入るかも」
「でしょでしょっ」
「そこまで考えてなかっただろうが」
 シェーンはそういうと、セイリアの頭を軽くコツンと叩いた。

 結局そのすぐ後にお役目交替の時間がきて、セイリアはパーティーがお開きになるまで門前に詰める結果となり、セイリアの言うところの「面白いこと」はそれ以上起こらなかった。
 お開きになった後で、奥様はセイリアとシェーンを呼び付けた。どこかへ別の用で行っていたルウェリンもだ。
 奥様はまずルウェリンに尋ねた。
「結果は?」
「はい、仰せつかったお手紙は無事に届けて参りました。ただ――」
「ただ?」
「つけられていた気配が。無理に撒かずに様子を見ておりましたら、まっすぐサルヴェール邸に向かうのが確定した時点で気配は消えました。行き先を知りたかっただけで、手紙を奪う意図はなかったようです」
「そのようね」
 イレーヌ奥様はふむ、と考えこむように視線を落とした。
「考え過ぎだったのかしらね……まあいいわ、杞憂なら杞憂に越したことないわ」
「誰かに探られてるの? 将軍相手なら怪しまれてないってことは、他の誰かとの結びつきを警戒されてるって事ですか?」
 セイリアが口を挟むとイレーヌ奥様は苦笑した。
「あなたって今までの主人にもそうやって首突っ込んでいたの? もしかしてそれでクビになってヌーヴェルバークに職探しに来たの?」
「ひどい!」
「正直な子ねぇ」
 笑いながら彼女は言う。
「主人の事情や考え方には口を挟まないのが普通よ。それとも、無邪気を装って主人の事情を聞きだす目的でも有るのかしら?」
 イレーヌの口元の笑みは最後の言葉で深く弧を描く。それに対してセイリアは目をぱちくりした。
「挟まないの? じゃあどうやって助言したり、指示を仰ぐ暇がないときに自分の判断で動いたりするんですか? 判断材料がなかったら困るじゃないですか」
 今度はイレーヌが目をぱちくりする番だった。それから声を立てて笑い出す。
「まだ知り合って間もない人をそこまで信用して期待しろというほうがおかしいわ」
 なんであたし笑われてばかりなのかしら、とセイリアは頬を膨らませた。
「わかりました、私は非常識です。すみませんでしたねっ」
「あらあら、主人に向かって拗ねる子もそうそういないわよ」
 そう言ってイレーヌはセイリアの髪をくしゃくしゃとなでる。
「おかげで緊張感が取れてしまったわ。まったく、本当に変な子ね。……もういいわ、心配してたことも杞憂だったみたいだし、しばらくあなたたちに頼むことはなさそうだから、雑用でも手伝って頂戴ね」
 そう宣言なさって、奥様はそのまま部屋を出て行ってしまった。

 頬を膨らませたまま、セイリアはシェーンとルウェリンと一緒に部屋に戻った。
「なんでいつもいつも変っていわれなきゃいけないのーっ! 失礼な!」
「……呑気だね、君は」
 シェーンは溜息をつきつつ、机によりかかって腕を組んだ。
「イレーヌ奥様はやっぱり僕らを疑ってるよ」
「えっ」
 セイリアは目を丸くした。
「うそ? 全然そんな素振りなかったけど」
「しばらく僕らに頼むことがないって言ってただろう」
 シェーンは口元に手を当てていつもの考えるポーズをした。
「……今までは僕たちがどう動くかで僕たちを試していたみたいだけど、今度は何も動けない状況でどうボロを出すか見ようとしているみたいだね」
「ええー」
 セイリアはげっそりと肩を落とした。
「つまり退屈がやってくるってわけだね……」
「君が心配するのはそこなの?」
 シェーンが呆れたように言う。
「問題は下手に情報収集できなくなったことだよ。宰相とは約束を取り付けてあるからいいけど……」
「どうせ宰相と将軍ぐらいしか見張る相手いないんでしょ」
「そりゃそうだけど」
 不満らしいシェーンを見ながらセイリアは頬杖を付いた。
「怪しまれてるならとりあえず言う事聞いとくしかないでしょ。私演技するの苦手だから、とりあえず情報収集とか考えずに言う事聞いとくから……あっねえ、城下に遊びにいくのはありだと思う?」
 聞くとシェーンは訝しげにセイリアを見た。
「何しに行くの」
 セイリアは肩をすくめた。
「別に。美味しい定食屋さんでも見つけてこようかと」
「……君といると本当に神経がほぐれるよ」
「褒めてないでしょ」
 頬を膨らませるとシェーンは苦笑した。
「まあ、いいさ。実際君のそういうところが疑いを晴らしてくれるかもしれない」
「あんたそういう下心だらけなのやめたら? 息つまりそう」
「別に詰まったりしないよ」
「……王子様だねぇ」
「あんまり声に出して言うなよ。どこで誰が聞いてるかわからないんだから」
 ふう、とシェーンは溜息をついた。
「進展したと思ったらまた座礁か……なんか、思ったより時間かかりそう」
 セイリアはやっと、シェーンが少し焦っているという事実に気づいた。それはそうだ。時間が長引けば長引くほど、王兄の地位は確固たるものになってしまう。
 あたしももう少しは危機感持ったほうがいいかしら、とシェーンの横顔を見つめながら、セイリアは少し心配になった。



最終改訂 2011.02.27