03:王女の事情、少年の事情

 教会の孤児といったら、どう考えても下層の平民だ。それをシュラール魔術学院に推薦するとなると、手続きは結構煩雑だった。
「身元がはっきりしていないしなぁ」
 ポプリの叔父はうーむと呻いて頭を掻く。
「下級学校での成績は申し分ないがな。魔力は飛び抜けているようだけれどな。こりゃぁ天才レベルだ」
「彼の詮索をしていないで、早く手続きなさって」
 ポプリが言うと、公爵は苦笑した。
「芳し姫は、香りに似合わず、ちっとも甘くないな。しかし、ポプリが来ると、本物のポプリを置く必要がなくなって助かる」
「口より手です、叔父さま」
「……ポプリ」
「はい?」
「お前はこの子と勝負をする気なのかい?」
「何か問題でも?」
 叔父は小さく首を振った。
「無茶しないでおくれよ。わたしが義兄上に叱られる」
「大丈夫。いざとなったら私がお父様に進言しますから。お父様が私に甘いの、ご存知でしょう?」
 叔父は苦笑しただけだった。

 推薦にあたって、ポプリはロゼットの事をいろいろと調べることになった。十年前に神殿に転がり込み、そのまま居ついたらしい。ある意味「押しかけ」だったようだ。
 資料を読んでいると、パルファンが覗き込み、面白そうに言った。
『王女に直訴するほどの度胸は当時からあったみたいだね。神殿に押しかけるなんて』
「……予想はつくわよ。どう見たってあの子、難民じゃなかったもの。王室付属の神殿に、一般の孤児は入れないの、パルファンも知ってるでしょ。司祭様に泣きついたか、あいつのことだからどこかに拉致して脅しでもかけたんじゃないの」
『……7、8歳の子がそんなことやらないでしょ』
「あいつならやりそうよ」
 普通の孤児でも難民でもないなら、亡国の重臣の子孫とか王子なのではないかとか疑えたのだが、残念ながら彼にはそういう高貴な雰囲気は感じない。伊達に王族をやっているわけではないので、ポプリも相手が貴族かどうかぐらいはすぐに見分けられる目を持っている。只者ではないし、なんとなくカリスマ性はありそうな少年ではあったが、貴族ではないとポプリには確信があった。
 それにしても少ない資料だ。ここに書かれていない、たくさんの秘密を、彼は抱えているらしい。
「でも、やっぱり気になるのは、王家にあった羅針盤がどうして消えて、どう巡り巡ってあの子の手に渡ったか、よ。本当に盗んだわけじゃないなら、もらったと考えてよさそうね。拾ったんじゃあれが羅針盤だってわかるわけがないし。羅針盤を盗んだ家の関係者かしら」
『もともと王家のものでもなかったでしょうが。王家だって、当時の所持者から取り上げたも同然なんでしょう?』
「まあ、そうかもね。この際、誰のものなのかなんてどうでもいいわ。肝心なのは、どうやってあれを盗み出すかってことよ」
『ポプリに泥棒の才能があるとは思えないんだけど……』
「お黙り、パルファン」
 パルファンは一瞬黙ったが、すぐに言いつけを破った。
『ポプリはなぜそんなに羅針盤が欲しいの?』
「自由のためよ。父より強くなりたいの」
 ポプリは即答した。
『国王か。あの過保護な父親か』
「そのくせ、私の意見は全然尊重してくれない、ね」
『ポプリの幸せを願っているから、押し付けるんじゃないの?』
「だったら、父は私の何も見ていないわ」
 パルファンはやれやれ、という風に尻尾を垂れ、ぴょんと机から飛び降りた。
『まあ、気持ちはわからなくもないけどさ。ぼくだってずっとポプリと一緒だったもんね。ぼくはポプリについていくだけだよ。……来たよ、ポプリ』

 見ると、さすがに公爵に会いに来たからだろう、薄汚い装いを改めたロゼットが歩いてくるところだった。へえ、とポプリは思った。馬子にも衣装とはよく言ったもの。こうしてみてみると、結構見栄えがする。
 彼は晴れやかな表情をしていた。先日の鋭い視線ではなく、きらきらとうれしそうな瞳をしていた。
「司祭を丸め込んで、書類にサインしてもらったよ。公爵印を見て相当驚いてたぜ。何で俺なんかが公爵と知り合いなんだって思ったんだろうな」
 普通思うだろう。しかし、前回ポプリに働いた暴挙のことはすっからかんに忘れているようだ。妙に人懐っこい態度だ。だが、まあ、元の性格はこっちなのだろう。
 ロゼットは書類を差し出した。
「はい、後は君の叔父さんのサインだけだ」
「その前に、聞きたいことがあるわ。私が今日ここに来たのはそのためよ」
 ロゼットは笑顔を引っ込め、初めて出会った時のきつい目つきに戻った。こっちの方が、青い目がますます宝石のようで綺麗だ、とポプリは思う。

「あなたの、目的」
 ポプリは言った。
「なぜ、学院に入りたがるの? 何が目的?」
 ロゼットの肩にとまっている白いワシが威嚇するようにもぞもぞと動いた。
「俺の個人的な事情だ」
 ロゼットはそれだけ答えた。しかしその程度で引き下がるポプリではない。
「どんな?」
 たたみかけて、自分のほうが上であることを示すように書類を目の前でひらひらと振って見せた。
「答えによっては、この書類を破るわよ」
 ロゼットはものすごく渋い顔をして唸った。
「……君って、激しい人だな」
「答えは?」
 ロゼットは観念したように言った。
「偉くなって、会いたい人がいるんだ」
「それだけ? そんなに回りくどいことをする必要ないじゃない。羅針盤をちらつかせれば、どんなに偉い人でも飛びついてくると思うけど」
「そうだ」
 ロゼットはポプリを睨んだ。
「皆飛びついてくる。そしたらあちこちで羅針盤を巡って争いが起きるだろうね」
「……あら、それが嫌なの?」
「余計な争いを起こす趣味はないし、羅針盤を馬鹿どものおもちゃにする気もない」
 ポプリは少し考え、聞いた。
「その会いたい人って、誰?」
「言わない」
「でしょうね……。じゃあ、その人に会って何をするつもり?」
「聞いてどうする」
「つまり、不穏な事を考えているのね」
 ポプリが言うと、ロゼットは軽蔑したような顔をした。
「他人のことをあれこれ詮索するのはやめろ。君には関係のないことだ。取引をしただろう。俺には俺の事情があるんだよ。君が俺の申し出を快諾した事情があるのと同じように」
 ポプリは目を瞬いた。

(この人、バカじゃないわ……)
 ポプリが羅針盤に手を出したくて要求を呑んだことなど、百も承知なのだ。
(でも、だとしたら、私に羅針盤を狙われても構わないと思われるくらい、私はなめられてるってことなのよね)
 ポプリはため息をつき、書類を受け取った。どうってことない。その考えを改めさせてやればいいのだ。もっと言えば、なめられている分だけやりやすいというものだろう。
「いいわ。叔父様に頼んであげる。サインが終わったら、あなたは晴れてシュラールの学生よ」