04:寮にて

 シュラール王立魔術学院。千年以上昔、まだこのサンクテート連合王国ができる前から、魔術の最高の教育そして研究機関として名をはせてきた学校である。官僚になる者には魔術の心得が不可欠であるため、貴族の子女が生徒の過半数を占めることでも有名な所だった。
 初等科から高等科まであり、それぞれが四年制で、飛び級も留年もしなければ18歳で卒業になる。生徒の自立心と責任感を養うため、寮制でもあった。
 ポプリは父をなだめすかし、頼み込み、押しつけ、かなり強引な形でこの学院に入学することを許してもらった。中等科から入学し、優秀な成績を修めて飛び級をした。そして今、16歳で最終学年の高等科4年に上がる。

「帰ってきた……」
 ポプリは寮の部屋の前に立って感嘆の溜め息をついた。
『まだ誰も着いていないね』
「明日から始業なんだから、今日中にみんな着くわよ」
 同じ学年の四人一組で割り当てられる建物は、二階が女子用と男子用に別れ、ポラリス寮と名がついていた。寮は学院の近くに点在していて、寮というよりアパートのルームシェアである。キッチンもあり、冷蔵庫なども完備してある。高等科なんだから自炊もしろというわけだ。
 今のところ、この寮にはポプリの他に女の子と男の子が一人ずつ在籍している。そして今年は……。

『よりによってうちか』
 ポプリが盛大に眉を寄せて名簿を睨んでいる隣りでパルファンが言った。ロゼット、と男子寮の欄に名前が載っていた。
『四年生ってことはポプリより年上だったんだね』
「飛び級してなければね。でもそれは関係ないわ」
 ポプリはリストをテーブルに戻し、荷物を広げ始めた。中身のほとんどが本。星図鑑や神話辞典、魔法幾何学の本に月の満ち欠けカレンダー。それから星図、星座早見表、望遠鏡、太陽系模型など普段の研究に必要なもの。これらはバルコニー行きだ。
「まあ、むしろ好都合だわ。近くで星の羅針盤もあいつも監視できるんだもの」
『ここに持って来るという保証はないと思うけど。それに、素性の分からない人だよ。監視されているのはむしろポプリかもしれないよ』
「なんで私を見張る必要があるのよ」
『そりゃあポプリが羅針盤のことを知ってる唯一の人間だから』
 パルファンの言葉が的を射ていたのでポプリはむっとし、言い返した。
「私は首席を七年間守ってきたのよ。そうやすやすと出し抜かれてたまるものですか」
『どうだかなぁ……』
 その時、下の階でドアが開く音がした。ポプリより耳の良いパルファンが報告する。
『やつのお出ましだよ、ポプリ』
 ポプリは弾かれたように立上がり、部屋を出た。

 階段を駆け降りて踊り場に立つと、ロゼットが一人の少女と話ながら玄関を歩いているところだった。ポプリは内心舌打ちをした。よりによって。
「ありがとう、助かったよ。この辺の道は良く分からなくて」
「いいのよ。これから同じ屋根の下で暮らすのだもの、御互い助け合わなきゃ」
 ロゼットは彼女に道案内してきてもらったらしい。すっかり打ち解けているようだ。
「コレット」
 ポプリが呼び掛けると、栗色の巻き毛をした少女は髪と同じ色の瞳を上げた。ポプリの姿をみとめてぱっと笑みを浮かべる。
「ポーちゃん! 元気だった?」
 ポプリも満面の笑みを返した。
「元気よ。……少し焼けた?」
「そうなの、わたし、お母さんと一緒にブリュンティエールのヘリオス神殿まで行っていたんだ。さすが太陽の神様の聖地でね、日差しが強くて……うわぁ」
 ポプリは階段を降りきるとそのままコレットに駆け寄り、抱き締めたので、コレットが小さく悲鳴を上げた。
「ポ、ポプリ」
 コレットは恥ずかしがるがされるままになってくれた。

「あのー、勝手に盛り上がるのはやめてほしいんですけど。俺の部屋はどこ?」
 ロゼットが呆れたように声を掛けた。感動の再会を邪魔されたポプリはしぶしぶコレットを放してロゼットに向き直る。コレットは慌てて説明した。
「ゴンドラ乗り場で会ったの。今年からの編入生ですって。ロゼっていうのよ」
 ポプリは思わず眉を寄せた。
「ロゼ?」
「愛称だよ、ロゼットの」
 ロゼットは言って肩をすくめた。
「で、俺の部屋はどこ?」
「その階段を右に上った奥の部屋よ」
「どうも。鍵は?」
「学生証を取っ手にかざせば開くわ」
「そりゃ便利だな」
 ロゼットは言って階段を見上げ、首を傾げた。
「学生寮のくせにやけに豪華だな。さすがお貴族様の集まる学校だ」
「アステリア神殿で暮らしてた人が言うことかしら」
 コレットがきょとんとした。
「ポーちゃん……知り合い?」
「ええ。この人、私の叔父の推薦で入ってきたのよ」
 へぇ、とコレットは呟いた。
「ところで、アステリア神殿に住んでいたってことは、あなたは聖職者のご子息か何かなの?」
 コレットがほんのりした口調で問う。ロゼットは苦笑し、やんわりと咎めた。
「この学校では、自分の出身を明かしてはいけないんじゃなかったの? 政治関係の絡みを校内に持ち込むのは禁止だろう」
 だから皆、姓を名乗らず名前で呼び合うのだ。
「そうだけど……」
 コレットは困ったように俯き、黙り込んだ。ポプリは思わずコレットをそばに引き寄せる。
「あんまりいじめないでちょうだい。コレットが優しいのにつけこんだら許さないわ」
 ロゼットは呆れたような顔をした。
「どうやったら今のがいじめになるんだか。君はその子の何なんだ……」
「親友よ」
 ポプリはできるだけ目つきをきつくして言った。
「悪いけど、私、あなたを警戒しているの。変なまねをしたらすぐ学長に伝えますからね」
 ロゼットはにやりと笑い、ポプリだけに聞こえるように耳打ちをした。
「取引を忘れたのか?」
 ポプリは黙る。
 星の羅針盤。ポプリの自由への切符。のどから手が出るくらい欲しいもの。だが、脅しに屈してしまうのはプライドが許さなかった。歯を食いしばってロゼットを睨み、コレットに聞こえないように囁き返す。
「あなたこそ。あれを壊せば取引はチャラよ」
「じゃあ、利益は噛み合ってるって事だ。むやみに俺を挑発しないほうが自分のためだと思うけど?」
 にっ、と余裕そうな笑み。そのままの笑顔で、ロゼットはトランクを手に取った。
「ああ、忘れてたけど、このワシは俺の守護獣だよ。ヴァンっていうんだ。これからよろしく」
 ワシは人を馬鹿にしたような目つきでクワッと鳴いた。そして、ロゼットは「じゃ」と言って手を上げ、階段を上がっていってしまった。あの勝ち誇った態度、隙を見せない表情、皮肉ったような口調。主従そろってむかつくっ……!!
「嫌な奴っ! ふん、絶対に負けてたまるものですか」
 ポプリは思わず、既に消えた後姿に向かってほえた。
「ポプリ? ポーちゃん?」
 コレットが困惑したように言う。
「どうしたの? ロゼはいい人だよ。気さくで明るいし」
「うわべに騙されないで、コレット。あいつは要注意人物なんだから」
 ポプリは息を吸って心を落ち着け、コレットに向き直った。
「とにかく、荷物を運ぶの手伝うわ。ブランネージュは?」
 ポプリがコレットの守護獣のユニコーンの事を聞くと、コレットは微笑んだ。
「全然元気。先に厩に連れて行ったの。ねえポーちゃん、今日の夜は晴れそうだよ。一緒に天体観測しない?」
「いいわね」
 ポプリはコレットに笑いかけた。

 一緒に階段を上がりながら思う。大丈夫、ここは私のテリトリー。大事な親友もそばにいる。心細いことは何もない。

 絶対、負けない。
 自分の運命は自分で切り開いてみせる。