05:学期初日

 リボンをしめると、パルファンがうむ、と言った。
『すっきり、って顔だね、ポプリ』
「すっきりよ。少なくとも、囚われの姫ではないんだから」
『学院の方がずっと危険だと思うのだけどなぁ』
「父の鎖でがんじ絡めにされるよりはましだわ」

 カーテンを開くと、最近低くなってきた太陽の光が燦々と室内に降り注ぐ。バルコニーへ続くドアを開けて外に出て、ポプリは大きく伸びをした。
「ポプリ」
 声がしたので、隣を覗いて見ると、少年が一人顔を出していた。
「久しぶり」
 窓から覗く顔を見て、ポプリは笑んだ。
「おはよう、ユルバン。いつ着いたの?」
「昨夜の夜中だよ。おはようございます、姫さ……いや、ポプリ」
 窓越しの会話。ユルバンは王の側近の息子なので、昔から顔なじみだった。父は彼をポプリの見張り役として、学長に彼をポプリと同じ寮に入れるように頼んだらしいが、彼はむしろ王よりもポプリ自身の味方だった。
「今学期もよろしくね」
 ポプリが言うと、ユルバンは笑って「こちらこそ」と返した。

 ポプリは身支度をして、パルファンと一緒に下に下りた。昨日寮に入ったばかりの編入生は、既に船着き場で守護獣のワシと一緒に舟を待っていた。だいぶ早くからいたらしく、疲れた様子で扉に寄り掛かって目を閉じている。ポプリは少し呆れ、橋を渡って、手に持ったかばんの角で軽くロゼットの頭を叩いた。
「いって」
 ロゼットは呻いて目を開ける。明るい朝日の下、彼の青い目は宝石のような深い色でキラリと光った。
 澄みきった、その色。他人に言えない事情あって、王女を脅して学院に入った経歴の持ち主の目には見えなかった。ポプリは少しの間その色を見つめ、何か言わなくてはと思って口を開いた。
「おはよう」
「……はよ」
 ロゼットは言って、あくびをかみ殺した。
「眠そうね?」
「昨日はあんまり眠れなかった」
 子供じみたことを言うので、ポプリは思わず噴出しそうになった。
「今日は事務手続きだけだから、そんなに辛抱は必要ないわ。始業式さえ寝なければ大丈夫よ」
「そっか。そりゃ助かる」
 ロゼットはポプリの足下のライオンに気付き、聞いた。
「ヤマネコ……じゃなくて獅子座か……ってことは君の守護獣だね。名前は?」
「パルファン」
「パルファン? “香り”? 芯の芯まで芳し姫だな。まるっきりそのまんまじゃないか。うちのヴァンの方がまだましだね。“風”って意味だし」
 ポプリは少しむっとした。
「悪かったわね。私じゃなくて、父が名付けたのよ」
 父と聞いて、ロゼットの表情にわずかなかげりがさした。それでも彼は笑顔を浮かべた。
「そりゃ、守護獣くんにしてみれば災難だったね」

 その時、コレットとユルバンも寮から出てきた。
「あら、ユルバン、おはよう。着いていたのね。おはよう、みんな」
 コレットはニコニコしながら言った。ユルバンはコレットに向かって笑って挨拶し、ロゼットを見て眉をひそめた。
「……編入生か? 最終学年に?」
 ロゼットは立上がり、平然と言った。
「それなりのツテと、それなりの頭があったもので、特別に許可をいただいたんだよ。俺はロゼット、ロゼでいいよ。こっちはヴァンです。よろしく」
 ユルバンは尚も怪しみながら、一応ロゼットの差し出した手を握り返した。
「ユルバンです。こっちはアルジャン。よろしく」
 ユルバンの守護獣の狼に目を向けて、ロゼットは軽く狼にも笑いかけた。本心の見えない笑みだった。

 やっとゴンドラがやってきて、4人はそれに乗り込んだ。ロゼットが後ろの方に座って、船に刻まれた魔法陣に手を置く。
「ルソワ・ラ・ファキュルテ・デュ・ソレイユ、デルフィヌス。船の運び手の力を、シュラール王立魔術学院まで。フィニセ・ロードル」
 一言一句間違っていない、完璧な呪文だった。魔法陣の中央にイルカ座が浮かび、そこから光が散って水面に落ちる。それらはイルカの形を作って、ゴンドラを押し始めた。ゴンドラの使い方は知ってるんだ、とポプリは思った。まあ、さすが民間から編入できるだけの能力はあると言うところだろうか。
「ソレイユ呪文を使うんだね」
 ユルバンがロゼットに注目する。
「昼間だから? でも、狂いが大きいだろうに」
「それはソレイユ呪文を使いこなせない者の言い方だよ」
 ロゼットは悠然と、癪に障る言い方をした。
「エトワール(星)は昼間、ソレイユ(太陽)の光に隠れる。ならソレイユを使うのは当然じゃないか」
 ユルバンはその物言いにむっとしたようで、もうロゼットに話しかけなかった。一方のコレットは感心したように言った。
「でも、使いこなせない人の方が多いでしょう。すごいわ、ロゼ」
 ロゼットはちょっと興味を持ったようにコレットを見て、にっこり笑って見せた。
「ありがとう」
 ポプリはコレットの腕を掴んでロゼットから引き離した。
「ダメよ、コレット。あんな男に捕まっちゃダメ」
「え? あの、ポーちゃん。わたしそういうつもりじゃ」
「とにかく、危ないからダメ!」
 必死に囁いて、ポプリはロゼットの方を伺った。彼はポプリとコレットの様子を観察していたが、ポプリと目が合うとにやりと笑った。なんて隙のないやつ。しかも、ポプリすら扱いに戸惑うソレイユ呪文をあんなに狂いもなく使った。桁外れの魔力の証拠だ。
 ひとつ負けたような気がしてしょうがなくて、とにかく悔しかった。