06:カフェ・ボルデ

 水の都といわれるシュラールの学院都市圏だが、さすがにシュラール王立魔術学院の校内全てが水路だらけというわけではなくて、校舎の集まる区域は普通に地面だった。

 ゴンドラを降りた四人はホールに集まり、校長のありがたくてつまらない、長ったらしい話を聞いた。
 それからは科目登録だった。ほとんどの一般科目は中等部で終了し、高等部のしかも最終学年ともなると、魔術の専門的な科目ばかりだった。

「どうだった?」
 ポプリが聞くと、パルファンはすらすらと答えた。
『宇宙物理学、魔術数学、星座歴史学、古典神話学、応用天文学、天文数学、魔術術式研究学、魔術図形幾何学、実践魔術式学、プラス実技トレーニング。……あいつ、選んだ科目がポプリとまるっきり同じだね。スケジュールまで一緒だった。ポプリを見張っているつもりらしいよ』
「あら、そう。大バカね。キャリアを積み重ねてやっと取れるような科目ばかりなのよ、後悔させてやるわ」
『どうだかなぁ……』
 パルファンはポプリみたいに意地っ張りではない。早々にロゼットの能力の高さに気付いて、これは敗色濃厚だと思っているようだった。ポプリに言わせれば、ここで諦めたら、それこそ負けが決定すると言うものだ。
『授業は明日からか?』
「ええ。今日は早めに帰るのよ」
 パルファンは期待に満ちた顔をした。
『カフェ・ボルデに寄り道しないの?』
「……歩くのは嫌じゃないの?」
 パルファンは歩くのが嫌いな怠け者なのだ。
『寄り道するなら問題ない』
「あ、そう」
 まだ太陽が南中していない中、ぞろぞろと帰る生徒たちの背中を追いながら、ポプリは空を見上げた。
「コレットも誘おうかしら」
 寮に帰ってからというものの、慌ただしくて、いまだにゆっくり話をしていないのだ。パルファンが呆れたように言った。
『年がら年中コレット、コレットって、よく飽きないなぁ』
「あんたにコレットの可愛さなんか分からないわよ」
『ポプリ……危うい発言だよ、今の』
 パルファンの言うことは無視して、ポプリは紙を取り出すと、ペンで魔方陣をなぐり書きした。魔方陣の中央の五芒星の中にカラス座を書き込んで、呪文を唱える。
「ルソワ・ラ・ファキュルテ・デュ・ソレイユ、コーヴス。コレットへ」
 何となくロゼットを思い出し、ソレイユ呪文を使ってみた。魔力が上手く働かないのを感じた。
『無茶だろう』
 パルファンの一言にムッとする。
「これでも私、“女神の薔薇の守り人”よ」
『まあ、諦めてエトワール呪文を使うんだね』
 悔しいがそうするしかなかった。
「ルソワ・ラ・ファキュルテ・デゼトワール、コーヴス。コレットへ」
 今度は上手く働いた。書き込んだカラス座の星々がパッと光り、白いカラスが光りのように飛び出して空へ消える。そしてすぐに、コレットの返事があった。
「はい、もしもし」
「コレット、私」
「ポーちゃん?」
「うん。カフェ・ボルデに行こうと思ってるんだけど、一緒にどう?」
「いくいく!」
 コレットの嬉しそうな声に、ポプリも微笑みがこぼれた。
「じゃ、カフェで待ってるね」
「うん」
「フィニセ・ロードル」
 唱えると、白いカラスが空から帰ってきて、また魔方陣の中に飛び込んだ。これで通信は終わりだ。
 ポプリはかばんを持った腕を大きく揺らした。
「ああ、これぞ学校生活だわ!」
 嬉しくてたまらない。居心地の悪い王宮は遥か遠くだし、両親もいないし、素朴な味のコーヒーが飲めるし、大好きなコレットには会い放題だ。
『受かれ過ぎて水路に落ちないでね』
 パルファンの忠告も無視して、ポプリは受かれた足取りをやめなかった。
「だって、父様に顔を合わせなくて、身の上のことを考えなくても済むのよ。この開放感を味わわない手はないわ」


 まだ日が高い中、水路沿いの道を歩きながら、ポプリは最終年のことを思った。たくさん研究をして、卒業までに論文を二つか三つ書かなければならないだろう。研究旅行期間があるから、ポプリはコレットとユルバンを誘うつもりだった。ユルバンは誘わなくてもついてくるのだろうが。
 それから星の羅針盤だ。ロゼットの観察を怠ってはならない。そしてロゼットとはなるべく近づかないにままで事を進められれば理想だ。なにしろ顔を見るのも嫌だし、弱みを握られたら元も子もない。夜這いでも仕掛けて家捜しをしようかと考えた。彼がいたアステリア神殿の鐘撞き塔を調べてみる価値もありそうだ。タイムリミットは卒業までの一年だから、もたもたしていられない。
 だが、目下問題なのは明日から始まる授業だろう。最高学年の授業は厳しいのだ。カフェに着いたら研究課題についてコレットと話そうとポプリは思った。

 カフェ・ボルデは入り組んだ路地の出口にあり、小さな水路に面したテラスがある小綺麗な店だ。シュラール学院の生徒にもあまり知られていない穴場で、ポプリはここを散歩好きのユルバンに紹介してもらった。
 ポプリはコレットより早く着いてしまったので一足先にカプチーノを注文して一息入れていた。マスターとも顔なじみで、パルファンには肉片をくれた。もとからこれが目的だったパルファンは喜々として肉にかぶりついた。ポプリが初秋の空に浮かぶ上弦の月を眺め、天体観測をやるとしたら真夜中を過ぎてからの方が良さそうだなと考えていると、声がかかった。
「ポプリ!」
 コレットの声だ。ポプリはテラスから身を乗り出し、手を挙げて大きく振った。そしてすぐ固まった。
 息を切らして駆け寄ってきたコレットは、背後を指差して言った。
「帰り道で会ったの。おいしいカフェを知ってるって言ったら教えて欲しいって言うから連れて来ちゃった。いいよね、ポーちゃん?」
 コレットの背後では、食えない笑みをにこやかに浮かべたロゼットが立っていた。
 最悪、とポプリは心の中で叫んだ。


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