07:攻防

「それでね、ロゼもエルヴェ教授の古典神話学を取るんだって。ロゼって中等学校では本当に頭が良かったみたいだよ。ブリュンティエール国立魔術学校からも推薦が来てたのに断っちゃったんだって」
 コレットが喋るのを聞きながら、なんでこの二人はこんなに仲良くなっているんだろうとポプリはイライラとロゼットを睨んでいた。

「あのねロゼ、わたしは古典神話学が専攻なの。あなたは?」
「実践魔術式学だよ」
「あ、ポプリと同じ!」
 嬉しそうに手を合わせたコレットの隣りで、ポプリは「……マジ?」とげっそりとしていた。
「君も同じなのか?」
 ロゼットは興味を持ったように聞く。コレットが喜々として答えた。
「そう! ポーちゃんは実践に強いの。術式を組み合わせるのがとても上手なんだよ」
「へぇ、じゃあライバルになるわけだ」
「お断り」
 ポプリが言うとロゼットは笑った。
「負かされるのが怖いんだ」
「どっちが。言っておくけど私は首席なのよ。かかってくるならそれなりの覚悟をなさい」
「へぇ、君が首席だったんだ」
 特に驚く様子も恐れる様子もみせず、ロゼットは言った。
「じゃ、やっぱりライバルだな。俺も首席で卒業するつもりだから」
「なっ……」
 にやりと笑った笑みが挑戦的で、ポプリはロゼットを睨みつけた。
「いいわ。戦宣布告ね」
「どうぞご勝手に。俺は俺で俺なりに頑張るだけさ」
 むかつくっ!

 ポプリはむっつりしながら、少し乱暴にカプチーノのおかわりを頼んだ。
「あ、わたしもおかわりで」
 コレットも言い、ポプリに向き直る。
「ねぇポーちゃん、研究旅行の行き先はもう決めた?」
「えっと……」
 できればロゼットの前で話したくないような。
「まだなの。今度、観測がてらに話さない?」
「あっ、そうだね。一緒に観測するって言ってたもんね」
 よし、成功。
「じゃあ俺も参加して良い?」
「ちょっと待った」
 ポプリは慌てた。
「なんであんたが来るの」
「同じ寮じゃないか。専攻も同じとくれば一緒にできることはたくさんあるだろう?」
 食えない笑みを浮かべて彼は言う。何も知らないコレットは「そうだよポーちゃん」と快く賛成していた。ポプリは唸り、唇だけ動かして言った。
「ストーカー」
「監視だよ」
 ロゼットも唇だけ動かして答えた。
「羅針盤を盗まれたくないからな」
 本当に憎たらしい。

「ところでコレット、君は古典神話学をやってるって言ったね。俺はいくつか珍しい本があるんだけど、俺は使わないから後で見に来ない?」
「え、くれるの?」
「欲しかったらね」
「うわぁ! もちろん行くよ! ありがとう、ロゼって優しいね」
 にっこりと嬉しそうに笑うコレットを見て、ポプリは甚だ不愉快だった。絶対ロゼットはわざとやっているに違いない。せっかくのコレットとのティータイムが台無しだ。
「ところで、コレット、君はどの神様を信仰してる?」
「わたし? 普通にアステリア女神だよ。お母さんはヘリオスだけれど。マイナーだよねぇ」
「そんなことないよ。太陽神なんだから。太陽は立派な恒星の一つだ」
「そうだけど。むしろアポロンの方が太陽神扱いされているのに、お母さんったらヘリオスが元祖だって言い張るの。それに、アステリア女神は星全ての女神様だもん、星座の女神だもん。魔術を使う人なら普通はアステリア女神でしょ?」
「そうだけど。これだけたくさんの神々がいるのに、アステリアばかりって面白いなぁ、って」
「ロゼって神話に興味あるんだねぇ。古典神話学をやればいいのに」
「まぁ、でも実践魔術の方が好きだから」
「ロゼは誰を信仰してるの?」
「俺もアステリアだけど」
「あまり女神様を信じてないの?」
「信じてるよ。これでも信心深いと思うよ」
「ほんとうにー?」
 コレットは笑いながら聞いた。端から見ると仲の良いカップルに見えなくもない。ますますポプリは苛立つ。
 ロゼットはまるでふと気が付いた、というようにポプリの方を向いた。
「君は誰を信仰してるんだ?」
「誰も。神様なんて信じてないわ。奇跡や救いなんて起きないもの」
 ポプリは腹立たしげに言って席を立った。

 コレットが慌てる。
「え、ポーちゃんもう帰るの?」
 ポプリは自分ができる一番優しい顔をコレットに向けた。
「うん、私は勉強も神頼みはしないタチなのよ。明日から講義が始まるんだから、予習しなきゃ」
「ま、待って」
 コレットは慌てて紅茶を飲み干すとカバンを引っ付かんで立ち上がった。
「わたしも一緒に帰る! 置いてかないで、ポーちゃん」
 ああ、可愛いコレット。
「もちろんよ! でもいいの? まだロゼットと話したいことがあるんじゃないの?」
 コレットは迷うような表情をした。
「ロゼはまだ帰らないの?」
 よっしゃ。ポプリは内心、ガッツポーズをした。
 ロゼットのコーヒーはまだ全然手がつけられていないし、パイもまだ半分ほどしか食べていない。いくらポプリをストーカーしたくても、そしていくら奨学生とはいえ、この首都の高いカフェで半分以上の代金をパーにする行為なんて、地方の平民出身者にできるわけがない。
 読みは当たった。ロゼットとは焦ったようにコーヒーとパイを見やり、一瞬ポプリを睨んだ。
「……全部食べてから帰るよ。先に行って」
 甚だ不本意そうに言うのでポプリは得意になった。ありったけの優越感を込めて、ロゼットに向かって笑った。
「じゃ、先に行くわよ。行こう、コレット」
「うん。バイバイ、ロゼ。また後でね」


 ポプリは意気揚々と狭い路地を歩いた。
『ご機嫌だね、ポプリ。ロゼットを出し抜いたのがそんなに嬉しい?』
 パルファンが足下から声をかけてくる。
「あたりまえでしょ」
 ポプリが答えるとコレットが聞いてきた。
「何が?」
 人は自分の守護獣以外の声は聞こえないのだ。
「何も。気にしないで」
「ううん、気にする。ロゼのことでしょう。ポーちゃん、ロゼのこと嫌いでしょう」
 ポプリは言葉に詰まった。ぼーっとしているようで、コレットは時々鋭い。コレットはポプリの横を歩きながら、上目遣いにポプリを見上げた。
「どうして? ロゼをシュラールに推薦したのはポーちゃんの叔父さんなんでしょ?」
「……い、色々あってね。あいつを認めたとか、仲良くなったとか、そんなんじゃなくて。利害が一致したから推薦しただけっていうか」
 コレットは目を丸くした。
「わたしにも秘密なの? わたしにも言えないような利害なの?」
「だ、だからね」
 ポプリはますます慌てた。ああ、ユルバンがいてくれていたらよかったのに。
「そういうことじゃなくて……その、王家に関わりあることだから」
 まあ嘘じゃない。コレットに嘘をつくのは心苦しくてできないので、こう言うしかなかった。しかし今日のコレットは妙に鋭かった。
「ポーちゃん、自分の家が嫌いじゃなかった? 王家のことで動くようなポプリだったっけ」
「その……公務みたいなものよ」
「ふうん……」
 コレットは今一つ腑に落ちない、という表情をしたが、諦めたようだった。

「……危ないことしちゃダメだよ、ポーちゃん。ポーちゃんって時々、目的を果たすために何も考えずに突っ走るんだもん……心配だよ」
 本当に心配そうに、そして少し唇を尖らせて言うのでポプリはもう嬉しくてたまらなかった。
「コレット!」
「ひゃあっ、ポ、ポプリ、水路に落ちるよぅ!」
「絶対、絶対、コレットをロゼットなんかに渡さないからね!」
「な、なんのこと? あうっ、ポーちゃん苦しいよぉ」

『……抱きつき魔だよね、ポプリは』
 パルファンの呆れたような呟きは、運よく主人には届かなかった。