09:古典神話学

 結果、ポプリのロゼットに対する印象は限りなく最悪に近くなった。
 主席の座が一歩遠のいた上に先生たちの評判まで持っていかれてしまった。

 彼は、本当に人目を引くことに長けているようだった。魔力の強さはもちろんだが、彼はものすごく外面のいい人間だったのだ。
1.気さくで人当たりがいい。
2.余裕げかつ自信ありげな態度。
3.素性が分からない故の、どこか神秘的な雰囲気。
 これが揃っていた上、民間から最終学年に編入してきたという経歴のおかげで、すっかり人気者になっていた。

「世の中のみんなの目が節穴だったのね」
 全世界の人に失礼極まりない発言を聞いて、ポプリの目の前にいる編入生は笑った。
「みんなの目を節穴にできるだけの技量が俺に備わってたってことさ」
「……その仮面を剥ぎ取ってやりたいわ」
「別にこれは仮面なんかじゃないし。お前以外の人にいい顔をしてるんじゃない、 お前だけに悪い顔をしてるだけだ」
「……それはそれで逆にむかつくわ」
「そう? じゃあ勝手にむかついてれば。気分悪くして後悔するのはお前だからな」
「こいつっ……!」
 とことん嫌なやつだ。
 ポプリは精一杯嘲ったような表情でそっぽを向いた。
「勝手に言ってればいいわ。どうせこの前の授業で使った魔法だって、実は羅針盤の力を借りたんじゃないの?」
 ロゼットはにやりと笑った。
「どんな返事を期待してるんだ? そうだと答えれば俺はいつでも羅針盤を肌身離さず持ってる証拠になる。違うと答えれば寮に残してきた可能性がある。羅針盤に関する情報をあんたに与えるだけじゃないか」
 ポプリは唇を尖らせてロゼットを激しく睨んだ。なんて抜け目がないのだろう。
「……今すぐ学院から追い出してやりたいわ」
「できるわけないだろう。そしたらあんたから羅針盤は遠ざかる」
 余裕綽々で言われてポプリは本気でロゼットを殴りたくなった。しかし本人を殴るわけにもいかない。
『……ぼくに八つ当たりしないでね』
 パルファンを見たら、先回りされて言われてしまったので、握ったこぶしはそのままにするしかなかった。
「……まったく、あんたって怒ってばっかだな」
 ポプリの様子を見ていたロゼットがそういったので、ポプリはじろりとロゼットを睨んで言い返した。
「誰のせいだと思ってるのよ」
「あんたの性格のせいだろ。まったく血の気が多いったら。男にもてないぞ」
「別にもてたいなんて思ってないわよっ」
 顔を真っ赤にして言い放ち、ポプリはきびすを返した。

 はらわたが煮えくり返る思いだ。どうやったらあんなにむかつく性格になれるのか知りたいくらいだ。
 ポプリはそのまま古典神話学の授業に向かった。先に着いていたコレットがポプリの名を呼ぶ。彼女の顔を見たら元気が出て、ポプリはコレットのすぐ隣に座った。
「やっほ、コレット。エルヴェ教授はまだ?」
「まだだよ。また古文書の解読に夢中になってて授業を忘れてたりするんじゃない?」
 古典神話学の教授は癖があることで有名だった。学者としては非常に優れた人物で、多くの研究をなしえて、30にも届かないうちにシュラールの教師陣に名前を連ねることになったのだが、彼にはマッド・サイエンティストならぬマッド・ミソロジストの気があった。というのも、異端に触れるような研究をしては他人に教えていたせいで、名門貴族出身だというのに本家を追い出された経歴を持ち、シュラールの教師になったというのもある意味監視のためだったりするのである。そして研究に打ち込むと、彼はしばしば授業のことを忘れていた。
「またか。本当にエルヴェ教授って……変な人よね」
「あれ、でもポーちゃんエルヴェ教授は好きなんでしょ?」
「うん、まあ」
 彼の授業の型にはまらないところが、ポプリは気に入っていた。授業中の発言の端々からうかがい知れる、彼の神を信じない態度にも親近感を感じる。
「たぶん、一番お気に入りの教授」
「うん。わたしもエルヴェ教授は好き。結構生徒に近い先生だしね。ロゼもきっと気に入るだろうね」
 ポプリは機嫌を損ねて膨れ面をした。
「最近ロゼ、ロゼって、コレットったらロゼットの話が多いわよね」
「ええ? そうかなぁ。でも本当にいい人だよ。ポーちゃんも一度、ちゃんと話してみればいいのに」
「……やめておくわ」
 ポプリがつんと顔を背けたところで、ロゼットが教室に入ってきた。教授と一緒に、だ。
(あいつ、授業が始まる前から先生に取り入って……)
 ポプリはますます腹が立ってロゼットを睨んだ。
 ロゼットは二言三言、教授と言葉を交わし、晴れやかな笑みを教授に返して席に着いた。教授も少しだけ笑みを返し、2分遅れの授業を始めた。
「さて、今日から編入生も入ったことだし、休み明けで習ったことが頭から抜けてしまった人も多いだろうから、復習から始めようか。神話そのものについては皆、隅々まで良く知っているはずだ。最終学年になったからには、君たちには古典神話をいかに生活に役立て、いかに魔術に役立てるかを学んでもらおうと思う。もちろん、信仰の面でもね」
 エルヴェ教授の声にわずかに皮肉っぽさが混じった。ポプリはすかさずロゼットの表情を観察した。彼も振り向いてポプリの表情を読み取ろうとしたところだった。……引き分けだ。くそう。
「アステリア星女神のことを講義すると懲戒免職にされかねないから、後回しだ。アルテミスからにしようか。月と狩の女神にして処女神。この国では“星女神の青薔薇の守り手”とされている。我らがアステリア女神の姪にも当たる女神だ」
 アステリアはアルテミスとアポロンの母であるレトの姉なのだ。ポプリはこの国では常識とされている内容を頭の中で復習し、それから眉をしかめた。……女神の青薔薇の守り手。秘密の花園。薔薇の香り。
「さて」
 そこでエルヴェ教授は悪戯めいた瞳をして生徒たちを見つめた。あ、これは爆弾発言の兆候だな、と去年一年彼の授業を取ってきたポプリは気づいた。
「今年、俺のクラスを取っている君達に知っておいて欲しいのは、我々が絶対不可侵だと思っている神話が、事実ばかりを語っているのではないということ。つまり、有り体に言えば作り話だということだ」
 爆弾投下の瞬間だった。
 始めて彼の授業を取ったらしい生徒達が物の見事に固まった。それはそうだ、信仰を真っ向から否定されたのだから。
「うわあ、ねえポーちゃん、先生ってばいきなり言っちゃったよ」
 コレットも初授業でこうなるとは思わなかったらしく、驚いたようにポプリに囁いた。ポプリは短く返事をした。
「パワーアップしてるわね、先生」
 そしてちらりとやったポプリの視線の先で、ロゼットはたいそう興味をそそられたように、エルヴェ教授の方を見たこともない真剣なまなざしで見つめていた。
 さあ、星の羅針盤の持ち主よ、どう出る。
 ポプリはわずかに唇の端を吊り上げて笑みを浮かべた。