11:図書館

 しかしロゼットには隙がなかった。みんなが寝静まった頃、ポプリはこっそり起き出して、男子寮に潜入してロゼットの部屋の前に立った。
 魔方陣を描いてこっそり呪文を唱えたのだが、鍵開けの呪文はなぜか効かなかった。訝って鍵に術式表示の呪文をかけたら、鍵には本来かかっていないはずの複雑な術式が二重にも三重にもかけられていた。小細工してやがる。くそう。
 ドアの前で考え込んでいたら、隣りのドアが開いたのでポプリは飛び上がった。
「……ポプリ?」
 ユルバンが眠たげな目を見開いて驚きの表情をする。
「どうして男子寮にいるの?」
「あ、いや、その、ロゼットを起こしてやろうかなーと思って……」
「こんな真夜中に? どうかしたの?」
「た、ただの嫌がらせよ」
 言ってポプリはあたふたと階段を駆け降り、女子寮に逃げ帰った。
 ドアを閉め、鍵をかけ、息を吐いてベッドに座り込む。
「……一筋縄じゃいかないわね」
 ため息をつき、そう呟いた。
『当たり前だろう。相手は星の羅針盤を自在に操れる魔力の持ち主なんだよ? ポプリみたいに正面から突っ込んだって、砕けるのが関の山』
「……パルファンに言われるとむかつくわ」
『……酷いなぁ、相棒に向かって』
 小さな獅子もベッドに飛び乗って、ポプリの前でちょこんと座った。
『とにかく、今日はもう諦めようよ』
「……そうね」
 ポプリも仕方なく失敗を認めることにした。電気を消してベッドにもぐりこむ。
 しかし、本当に悔しい。どうにかしてロゼットのいない間に部屋を物色できれば良いのに、と思った。まるきり泥棒だが、気にしないことにした。羅針盤を手に入れるためだ、仕方がないのだ。
 ロゼットは大抵、学校が終わるとすぐに帰る。授業がまるきりポプリと一緒なので、帰ってくる前に物色、というのは無理だった。では、やはり寝込みを襲うしかない。とはいっても、あの鍵にかかった術式をどうにかしなければいけないし、寝ている間に気づかれないようにせねば。それは睡眠薬でも飲ませておけば大丈夫だろうから、やはり問題はあの魔法だ。
「ねぇパルファン、ロゼットの魔力の強さって、具体的にどれくらいだと思う?」
『ん? まだ寝てなかったの? ……そうだなぁ、七千マギくらいはあるんじゃないの』
 それくらいか。それでは、あれだけ複雑な術式なら、ロゼットが毎日かけなおしているのでなければ5日で解けるだろう。ポプリはよし、と思った。解けかけている時なら、ポプリの魔力で破れるかもしれない。明後日の夜に仕切り直しだ。

 その翌朝、ポプリは少し緊張していた。ロゼットが昨日部屋に入ろうとしたことに気付いていないだろうかとひやひやしていたのだ。幸い、そんな様子はなかったし、物陰に連れていかれて脅されるなんてこともなかった。いつも通りに授業を受けていた。
 そしてポプリはその学期で初めて、図書館に顔を出した。司書の先生は図書館に入り浸るポプリの顔を覚えていて、声をかけてくれた。
「あら、ポプリ、こんにちは。お久しぶり」
「お久しぶりです」
 ポプリは笑顔で返した。
「休暇はどうでした?」
「子供達と過ごせて楽しかったわ。家族でデロス島に巡礼に行ってきたの」
 ポプリは少し顔が引きつるのを感じたが、笑った。デロスはここから海に出て少しのところにある、アステリア女神の一番の聖地だ。彼女が言い寄るゼウスから身を守るために変じた島だと言われているのだから当然だ。女神に反感をい抱くポプリにとっては聞いて気分の良い地名ではない。
「それは楽しそうですね」
「ええ、とても良い体験だったわ。バラ園も素敵だったの。あなたも行ってみると良いわ。バラが好きなんでしょう?」
 ポプリの全身から漂うバラの香りは、香水ということにしてある。バラの香りの香水を使っているのだからバラが好きなのだろうというわけだ。実際、バラ自体は大好きなので頷いた。
「そうですね、機会があったら」
「じゃあ、またね」
「はい」

 ポプリは司書と別れ、真っすぐ園芸の本棚に足を向けた。バラ好きが高じてポプリは寮の庭でコレットと一緒にバラを育てている。そろそろ新しい品種を買いたいので、バラ図鑑を借りに来たのだった。
『相変わらずバラだけは受け入れるんだね』
 パルファンが一番下の本棚を見つつ言った。
『芳し姫って呼ばれるの、あんなに嫌ってるのに』
「私に関係あるのは青バラだけだし。花ってやっぱり良いものよ」
 ポプリは言って、ぱらぱらと図鑑をめくった。
「赤いのはたくさんあるし、白いのは前回買ったし……混色かピンクのが良いわね」
『香りは? 何咲きのが欲しいの? あ、ツルバラなんかどう?』
「香りはあってもなくても、どっちでも。普段から嗅いでるからいまさら香り高いバラを育てても興味ないわ。私は剣弁高芯咲きが一番好き。ツルバラは鉢植えにするには難しいんじゃないかしら」
『……じゃあ気分を変えてオールドローズとか』
「剣弁咲きが少ないじゃない。おまけに一季咲きばっかり」
『それじゃあもうないでしょ』
「あ、待って」
 ポプリはページをめくる手を止めた。淡い、オレンジともピンクともつかない色の、可憐で可愛らしい花の写真が載っていた。大好きな剣弁高芯咲きで香りが少しあり、シーズンを通して返り咲き、ポットに植えることもできてしかも育て易いと書いてあった。
「オフィーリアって品種だわ。そういえば前回もこれに目をつけたのよ。これにしようかしら」
『どうぞご自由に。どうせぼくの話なんて聞かないんだから』
「じゃあこれにするわ。帰ったらコレットに相談しなきゃ」
 ポプリは図鑑を脇に抱えて、今度は術式辞典の棚に足を向けた。
『……ポプリ、本に頼るの?』
「何言ってるの、本以上に頼れるものは無いわよ。あいつが本以上に術式を知ってるとは思えないし」
『羅針盤を使った魔法なら本には絶対載ってないと思けど』
「こんな些細な事にまでいちいち羅針盤は使わないでしょ」
 鍵掛の魔法を見つけて、ポプリはその術式に関する記述を指でなぞった。昨夜見た術式を思い出しながらその記述と照らし合わせる。
「間違いないわ、あいつが使ったのはこれよ。解き方も書いてある。図書館万々歳ね!」
 その本も脇に抱えると、ポプリは神話学の棚へも足を向けた。アステリア関連の本がずらりと並んでいる棚の前で立ち止まり、再びざっと題名を見てみる。
『今度は何の本?』
「羅針盤について何か書いてる本がないかと思って。オリュンポス十二神の標徴物の本があれだけでてるんだから、羅針盤のもあるでしょ」
『……なんでも本なのか』
「他に情報源ないし」
 ポプリは一番詳しそうな本を見つけると、全部まとめて司書のところへ持っていった。
「今日は三冊だけなのね。あなたにしては少ないわ」
 言われてポプリは苦笑する。いつもは5、6冊一気に借りるのだ。

 その時、ポンと肩を叩かれた。
「ポプリ」
「あ、ユルバン」
「やっぱりここにいた。ポプリって見つからない時は必ず図書館にいるよね」
「そ、そう?」
 司書の先生が チェックアウト作業を終えたのを確認して、ユルバンは言った。
「もう帰る?」
「ええ」
「じゃあ、一緒に行こう」

 昨夜のことについて、何か聞かれるのだろうという予感があった。ユルバンには、何でも話せる。けれど、話したら彼にとって大きな負担になることが分かっていた。ポプリは緊張をはらんでピリピリとした空気の中、ただ黙ってユルバンについていった。
 ユルバンはポプリの手を引いてゴンドラに先に乗せ、後から自分も乗って、魔方陣に手をかざすと呪文を唱えてゴンドラを発進させた。ある程度ゴンドラが進み、細い水路に入ったところで彼は切り出した。
「ポプリ、あの編入生のことだけど……ロゼットっていう」
「……な、なに?」
「どこで会った? 編入を推薦したのは公爵なんだろう? 君が彼を推薦するように、公爵に頼んで」
 全部お見通しだ。ポプリは声をひそめて言った。
「……アステリア神殿」
「脅されてるとか、そういうのなら僕が協力するよ。一人で抱え込まないで」
「そういうんじゃないの」
 ポプリは慌てて言った。ユルバンは敵と判断した相手に容赦ない。今、ロゼットに手を出されては困る。
「本当よ。信じて」
「それじゃあ、どうして彼には敵を見るような視線を送るの?」
「それは……ライバル、だから」
 ユルバンは眉をひそめた。
「ライバル?」
「なんていうか……正確には違うんだけど、他に表現が見つからないっていうか。でも、お願い。あいつに手出しはしないで。私とあいつだけの取り引きなの。私の人生がかかってるの」
 ユルバンはおおげさとも言える表現に驚いたようだが、ポプリが本気なのは分かったようだった。それでもなお、眉をひそめて問う。
「手出しはするなと、そういう命令って事?」
「命令なんて言わないで。ここではあなたも私も、ただの一シュラール生よ。これは頼みよ」
「……わかった」
 ユルバンは頷いた。
「でも、手出しがいけなくても協力はしていいよね?」
「え、協力してくれるの?」
 思いがけない味方の登場に、ポプリは身を乗り出した。
「僕はポプリを守るためにシュラールに入ったんだし。なんでも言って」
「助かるわ! じゃあ、早速なんだけど」
 ポプリは笑顔で言った。
「眠り薬、あいつに盛ってくれない?」