12:夕食の席

 ゴンドラの上で、ユルバンは一瞬固まった。とんでもない単語をポプリの口から聞いたのだから当然だ。しかしそこはさすが国王が見込んだ臣下というか何というか、彼は多くを聞かずに分かった、と言っただけだった。ゴンドラを降りる際に足を踏み外して水路に落ちそうになっていた辺り、内心ポプリの発言に、悶々とポプリの人間性について悩むところがあったのだろうが。

 とりあえずその後数日はポプリは努めて普段どおりに生活し、何か企んでいることをロゼットに気取られないようにした。普段は感情が顔に出易い方だが、王女という立場上、意識して表情を取り繕うのは得意なのだ。それに、コレットとガーデニングの話に熱中しておいたので、ロゼットを意識の外に締め出すのは楽だった。

「うわあ、可愛い!」
 図鑑の「オフィーリア」の写真を見たコレットは、口の前で手を合わせて嬉しそうに言った。可愛いのはその仕草だ、とポプリはコレットを眺めて微笑んだ。
「いい花でしょ。今度の休み、早速花屋に買いに行かない?」
「うん、いいよ! わたし、この色すごく好き。でもこういうのって虫がつき易かったりしない?」
 あたかも心配しているような台詞を、瞳を輝かせて言ったコレットを見て、ポプリはすこし口元を引きつらせた。
「……コレット」
「新しい虫がついたら今度は散布剤を試してみようかな。駆除剤も花屋に行く時に買い足しておこうね」
 天使の微笑み。しかしこの天使はなぜか、害虫にものすごく詳しいのだった。虫好きでもないし、虫も殺さないような顔をしているくせに、なぜなんだろうとポプリは今まで数え切れないほど首をひねってきている。
「……う、うん」
 ポプリには頷くしか方法がなかった。一緒にお出掛けできるなら、理由は何でも構うまい。

 夕食はスパゲッティ・ペスカトーレだった。エビやイカ、ムール貝の海鮮がたっぷりとのっている。プロの味に、王宮で暮らしてきたポプリですら舌鼓を打った。食事は食堂で専門のシェフに作られ、魔法で各寮に送られてくるのだ。夜遅くまで学校に残る生徒は食堂で直接食べるのだが、ポプリは寮で食べる派だ。
 プロが作った料理を美味しくきれいに平らげた後で、デザートの時間だった。食事の席は大抵全員が揃うから、どうしてもロゼットと顔を合わせる。ポプリは細心の注意を払っていた。……自分のことというより、コレットに。
「バラが好きなんだ」
「うん。ポーちゃんの影響でね。今度はオフィーリアって品種を買おうと思っているの。……あ、こんな話しても興味ないか」
「いや、そんなことないよ。花は嫌いじゃないし」
 ロゼットはちらりとポプリを見て、肩の守護獣に何か言った。その守護獣の鷲はまっすぐパルファンを見た。
『……自分の香りの花が好きだなんて、自惚れてるんだな、って言ってるよ』
 パルファンに伝えられてポプリは頭に来た。
「それくらい面と向かって伝えたら、臆病者、って言っといて」
 パルファンはやれやれと首を振ると、言われた通りにロゼットの守護獣に伝言を返した。ロゼットはにっと笑っただけで、返事をよこさなかった。

 デザートはアップルパイだった。ユルバンが紅茶をいれてくれた。ポプリの好きなアールグレイだ。
 そういえば、とポプリはロゼットのフォーク使いを見て思った。庶民出のくせに、テーブルマナーは結構さまになっている。普段意識しないほどにテーブルマナーが身に染み付いている身としては、細かな部分に粗があるのが一目で分かったが、意識して探そうとしなければ見つけるのが難しいくらいの小さなミスだった。
「……なんかむかつく」
『……ポプリって嫌いな人はとことん嫌いになるんだね』
「ふんだ。見てなさい、今に効果が出るから」
 パルファンはギョッとした顔でポプリを見上げた。
『紅茶か』
 ポプリはにっと笑っただけだった。ロゼットは何の疑いもなく紅茶を飲む。ユルバンはついでに守護獣たちの水も用意し、ロゼットの鷲もあっさり嘴を水に浸けた。
『……これも毒入りじゃないよね?』
 自分の前に出された水皿を見つめて、パルファンが小声で呟いた。
「毒じゃないわ。ただの睡眠薬よ」
『……いや、とにかく何か盛られているのかどうかを聞いてるのであって』
「あんたのは平気よ」
『ならいいんだ』
「ユルバンに全部任せてあるから、断言はできないけど」
『…………』
 パルファンは水を飲むことをやめることにしたらしい。

 ポプリがちらりとユルバンを見ると、彼はわずかに意味ありげな視線を返してきた。成功した、のだろう、きっと。ロゼットは既にカップ半分ほど紅茶を飲んでいて、パイにフォークを突き刺していた。
「明日は最初のレポートを提出しなきゃいけないの」
 コレットが彼に向かって言った。
「ティエリー先生って知ってる?」
「ああ、魔術図形幾何学の」
「そう。あのね、あの先生はとにかくセオリー通りの、教科書そのままの正確な魔方陣が好きだから、きちんと教科書を読めば楽勝なんだよ」
「へえ。ありがとう、参考になるよ」
 コレットは嬉しそうに笑った。ポプリは恨めしげにロゼットをにらみ、ユルバンも不快そうに眉をひそめてロゼットを見る。ロゼットは全く気にせずに、コレットに聞いた。
「じゃあさ、コレット、エルヴェ教授はどんな先生? なんか良い成績を取るコツ、ある?」
「エルヴェ先生? うーん、変わった考え方をする生徒が好き、かな」
「へえ。変わった考え方って?」
「そんなこと聞かなくたって、あんた、どうせもうエルヴェ先生のお気に入りじゃないの」
 ポプリは思わず口を挟んだ。ロゼットがポプリを振り返る。
「なんでそんな風に思うんだ?」
『あーあ、墓穴』
 パルファンが呟き、ポプリはパルファンを睨んだ。
「お黙り」
『…………』

 ポプリはロゼットにフォークを突き付けた。
「この前、あんたとエルヴェ先生が話しているところを私がたまたま見ちゃったことがあったでしょ」
「ああ、あの盗み聞きの時のことか」
「だから、たまたまだって言ってるじゃないの」
「たまたま、ねぇ……」
「茶化さないで。あなたと教授、首を突っ込む云々の話をしていたじゃない。ああいう雑談を教授がするのは、気に入った生徒とだけなのよ」
「へえ……それを知っているって事は、君も彼のお気に入りなのか?」
「何で聞くの?」
「別に」
「嫌みなやつ」
「どうも」
「褒めてないわよ」
「知ってるさ」
 本当につかめない少年だ。

 するとユルバンも口を挟んできた。
「僕たちのことを調べてるのか?」
 この質問にもロゼットは首をすくめただけだった。
「なんでそうなるかな。あんたも俺を信用してないって事か」
「あなたの正体を唯一知っているポプリが、あなたをすごく警戒しているって事は、警戒すべき人だからだろう」
「……正体? 俺はただの生徒だぜ?」
「そんな言葉を信じられると思ったら間違いだ」
 ピシャリと言われて、ロゼットの瞳に鋭い明かりが灯った。
「それはひどい言いようだな。友好的に話しかけてくる人を敵視するのがお貴族さまなのか。偉いものだな」
 そして気分を害したのか、アップルパイを残したまま立ち上がった。
「俺は寝る。せいぜいお貴族さま同士で楽しめばいい」
「ロ、ロゼ……」
 コレットがとめかけたが、ロゼットはそのまま鷲を連れて階段を上がっていってしまった。眠気が回ったのか怒っただけなのか、判断はできなかったが。
 コレットはむっとしたようにポプリとユルバンに向き直った。
「ロゼ、怒っちゃったじゃない」
「あのねコレット、あんなやつを庇わなくていいの。本当にただ者じゃないんだから」
「それでも言い過ぎだよ。ユルバンもだよ。どうしたの、ユルバンまでロゼを嫌うなんて」
「分かってないな、コレット。あいつ、君からいろいろな情報を引き出そうとしているんだよ」
「授業の情報くらいいいじゃない。みんな知ってることなんだし、なんの害もないよ」
「……コレット」
 ポプリはいやな予感がしてコレットに聞いた。
「もしかして、あいつのこと好き?」
「なんでそうなるの? わたしはただ、そんな意地悪なポーちゃんとユルバンを見たくないの」
 次の瞬間には、コレットは小さく悲鳴を上げていた。
「ポーちゃん! 抱き着く場面じゃないでしょ!」
「だってコレットったら可愛いんだもの。分かったわ、可愛いコレットに免じて、あいつにきつく当たるのは控えるから」
「……ポプリ、相変わらず単純な……」
 ユルバンが溜め息をついた。ポプリはその耳に口元を寄せて囁いた。
「そういうわけだから、頼んだわよ、ユルバン」
 ポプリが動けないならユルバンが、というわけである。ユルバンはむすっとした表情で囁き返した。
「尋問くらいならやるけど、不法侵入まで肩代わりする気はないからね」
「わかってるわよ。私が今夜やるわよ」
 そしてポプリはアップルパイに手を伸ばして、コレットにあーんをしてあげた。コレットはまだ拗ねている顔で頬を膨らませていたが、ポプリのご機嫌取りに免じてくれたのか、口を開けてかじってくれた。