13:不法侵入決行

 その夜、ポプリは再びロゼットの部屋の前にいた。借りた本をわきに抱え、壁に明りの魔方陣を描く。
「ルソワ・ラ・ファキュルテ・デゼトワール、ラ・ルミエール・ドゥ・エトワール。星の明りをここに」
 そして本を開いて、ページを探した。
「パルファン、ドアを開けたらあんたが先に入って様子を見てね」
『ぼくが?』
「斥候よ。ちゃんとあいつと守護獣が寝てるかどうか見てくるの。あんたなら、万が一あいつらが起きてて見つかったとしても、まだ言い訳立つでしょ」
『……やれやれ』
 守護獣使いの粗い主人に溜め息をつきつつ、パルファンは承諾した。
 ポプリはドアノブの前に手をかざした。
「ルソワ・ラ・ファキュルテ・デゼトワール」
 ぼんやりと薄く、ガラスのような半透明のシールドが現れる。ポプリはその上に、本を見ながら魔法解除のための魔方陣を書き込んでいった。
『あれ、なんか魔方陣がおかしくない?』
「今回使うのは星座じゃないの。これは惑星。水星のマークを書くの」
『メルクリウス……ヘルメスか』
「そう。泥棒の神」
『……ポプリ、完璧に泥棒だな』
「それはヘルメスへの侮辱だわ」
『信仰心のかけらもないポプリがそんなことを言う資格はないでしょ』
「お黙り。あんたはいつも一言多い」
 ポプリは書き終わると、中央に手を置いて唱えた。
「メルクリウス、ヘルメスの名において、盗人の守護を。この鍵を解除せよ」
 魔方陣から光が飛び散り、ちいさくガチャ、と音がした。解除成功だ。ドアに耳を当てて、中で物音がしないのを確認すると、ほんの少しだけドアを開けて、ポプリはパルファンのお尻を押し出した。
「パルファン、お願い」
『……はいはい』
 パルファンは渋々といった様子で、ドアの隙間から部屋の中へと滑り込んだ。少し間があって、パルファンが囁くのが聞こえた。
『ユルバンは魔法薬師になれるな』
 意味を理解したポプリは、そっとドアを開けた。

 ロゼットはよく寝ていたし、守護獣の方も止まり木の上で目を閉じていた。ポプリは抜き足差し足で、なるべくロゼットから離れて壁伝いに歩いた。
 何ともシンプルな部屋だった。ポプリの部屋も、飾らず機能的な方なのだが、ロゼットの部屋にはほとんど本以外の物が無いと言っていい。
 大きな本棚がひとつ、そしてその本棚の上にずらりと並んだ本。どれも宗教本や魔術、魔方陣関連の本で、娯楽要素は全く見いだせなかった。それから学校の教科書もある。プリントや、自分で何か研究しているのだろう、使い込まれたノートや、千切られたメモ、それに何かの図がたくさんか着込まれた紙が大量に重ねられていた。きっと片付けは、ものを何かに押し込んで終わらせる性格なのだろう。
 そしてベッドに並べられるようにして、机が一つ。こちらには見事に、今日の授業の復習をしたのだろう、ノートが2冊と筆箱しかのっていなかった。他にある物と言ったら、部屋についているウォークイン・クローゼットくらいだろう。

『みごとにすっからかんの部屋だな。本しかないや』
「ほんと。これだけすっきりしてれば、すぐに見つけられそうだけど……」
 ポプリはまず、本棚の紙の山に手を伸ばした。紙の中に羅針盤が埋もれていないかどうか調べる。パルファンが少し心配そうに言った。
『がさごそ音が大きいよ』
「猫には音が大きく聞こえるんでしょうよ」
『ライオンだってば!』
「静かにして。あの鷲にはあんたの声が聞こえるのよ」
 紙の山の中にはないようだ。今度は箱の中身。こちらにもなかった。では、クローゼットの中は?
 ポプリは慎重に把手に手を伸ばし、音を立てないよう、たっぷり時間をかけながら戸を開けた。中は制服と私服が数着と、ロゼットがいつも通学に使っているカバン、そして帽子が2つ。本当に持っている物が少ない。
「……貧乏って大変ね」
『大丈夫、ポプリとは縁がないよ』
 残る場所はベッドの下か。ポプリはパルファンに言った。
「ベッドの下、よろしく」
『……本当に守護獣使いが粗いなあ』
 ぶつぶつ文句を言いながらも、パルファンはゴロンと横になった。
『床がちべたい』
「星の羅針盤は?」
『ない』
「そう」
 パルファンは起き上がってポプリを恨めしそうに見つめた。
『ポプリも寝っ転がってごらんよ。ぼくの気持ちが分かる』
「分かりたくないから遠慮しておくわ」
『……鬼』
「お黙り」
 ポプリは腕を組み、唸った。
「これで部屋中探し尽くしちゃったわ」
『……枕の下、とか?』
 ポプリはパルファンを見つめた。パルファンは一歩下がって先回りして言った。
『ぼくはやらないよ。人間の手の方が平べったくて、枕の下に差し込むのに適してるじゃないか』
「…………」
 ポプリは認めるしかなかった。

 こんな危険を冒すくらいならやらない方が良いのかなぁと思いつつ、鷲が寝ている脇を抜き足差し足で通り抜けてロゼットの枕元に近づく。横向きに寝ているその背後から近づいた。
 いざ手を伸ばそうと思った瞬間、ロゼットが寝返りを打った。ポプリはびくっと肩を強ばらせ、恐る恐るロゼットの顔をのぞき込む。寝ている。うん、間違いなく寝ている。
 ほっとして、再度手を伸ばした。寝返りを打たれたので、せっかく背中から近づいた意味がないが、またベッドの周りを一周するのは面倒だ。このままやってしまおう。
 ポプリは緊張で内側から胸をたたく心臓の音に呑まれそうになりながら、手を伸ばす。枕に指が触れようとしたまさにその瞬間、ロゼットはパッチリと目を開けた。月明かりに浮かぶとその瞳の青さは際立って、本当に宝石のようだ、と呑気にも思った。
 しばし見つめ合い、ポプリが状況を理解して頭が真っ白になった次の瞬間、ものすごい素早さでロゼットに手を掴まれ、ベッドに引き倒された。同時に彼自身は跳び起き、ポプリのもう片方の腕もベッドに押さえ付ける。背中から押さえ込まれてはポプリは身動きのしようもなかった。
「家捜しか。俺を相手に大した度胸だな、王女様」
 ロゼットが皮肉げに呟く。
「痛い! 放してよ!」
「事情聴取がまだだ。……おい、ヴァン、起きろ。獣のおまえが俺より鈍くてどうする」
 ロゼットに声をかけられた鷲はぼんやりと目を開け、状況を見るとくわっと呑気な声で鳴いた。
「何が取り込み中だ。ふざけてないでそこの猫を見張ってろ」
『猫じゃなくてライオンだってば!』
 パルファンが無駄な抗議をした。ヴァンには聞こえているだろうが肝心のロゼットには聞こえていないのに。だが今はどうでもいい守護獣の願いより自分の身だ。
「……襲われたって言い付けるわよ」
「言えば? 証拠もないくせに。そもそもあんた、男経験ないだろう。それで襲われた、は説得力ないぜ」
「未遂だって立派な犯罪よ」
「勝手にすればいい。……俺がこれだけ正体なく寝てたって事は、何か盛っただろう? カップを証拠品にすればこっちの勝ちだぜ」
 そしてロゼットはすっと目を細める。
「あんたじゃないな、盛ったのは。俺が見落とすはずがない。コレットはこんなことしないだろう。ユルバンか」
 ポプリは答えなかった。精一杯ロゼットをにらみつけ、低く言う。
「羅針盤はどこ?」
「開き直りか」
「渡しなさいよ」
「渡すわけないだろ」
「絶対必要なの! どうしても欲しいの!」
 ポプリの叫びに、ロゼットはしばし黙った。軽蔑の色さえ浮かべた瞳で、ポプリを見つめる。
「お貴族様は、富と地位だけじゃ飽き足らないってわけか」
「分かったような口をきかないで。あんただって何も知らないくせに!」
 一瞬目を瞬いたロゼットは、何も言わずに手を放した。突然のことでポプリは戸惑ったが、とりあえず起き上がる。暗がりの中で、ロゼットはじっとポプリを見つめていた。ポプリは余計に戸惑って、視線をそらした。

「……今回は見逃してやる」
 ロゼットが言った。
「泥棒も未遂だったしな。言っておくけど、羅針盤はここにはない。お前がいくら探しても無駄だ」
 ポプリは顔を上げ、すぐに俯いた。がっかりした表情は思いっきり出ていたのだろうなと思う。
「……そう。骨折り損のくたびれ儲けだったのね」
「俺を甘く見るなよ。そう簡単に見つかるところに羅針盤を隠していたら、とっくに俺は羅針盤の持ち主じゃなくなってる」
 ロゼットはそこでふと首をかしげた。
「あんたもいろいろ訳有りみたいだしな。ついでに言っとくけど、襲われそうになったってのは俺の状況の方が当てはまると思うぞ」
 ポプリは一気に頬を赤くした。
「な、な、なんで私があんたを」
「寝込みを襲ったのはあんただろ。……なんでそんなに慌ててるんだ?」
「余計なお世話よ。冗談じゃないわ」
 ポプリの取り乱しぶりを見て何を思ったのか、ロゼットはいきなり顔を近づけて来た。あまりの顔の近さにポプリは完璧に硬直し、絶句した。あと1ミリでも近づいたら失神できる。
 ロゼットはにやり、と笑った。その笑みを見て初めて、ポプリは失態を犯したことを知った。
「へえぇ、そっかぁ」
「あ、あ、あのねロゼット……」
「王女だからな。なるほど、慣れてないわけか」
「そ、そんなことは」
「じゃあ、本当にしてみるか?」
 1ミリ以上近づいた。失神する代わりにポプリは枕をつかんでロゼットを殴りつけた。
「変態っ!!」
 隣のユルバンを起こしかね無い悲鳴を上げて、ポプリは一目散に部屋から逃走した。
『おいおい、ポプリ、守護獣をおいて行かないでよ!』
 パルファンも慌ててポプリを追った。

 その夜、ポプリは夜明けごろまで寝付けなかった。