14:星の一族
「……その顔は失敗したって顔だね」
朝一番、ベランダに出て太陽の光に当たっていると、ユルバンが声をかけてきた。ポプリは溜め息をつき、寝不足の頭を振った。
「あいつの警戒心は並じゃないわ。それとも薬に強い体質なのかしら。あんなタイミングよく起きなくても良いのに」
「あいつ、途中で起きたの?」
ユルバンが驚いたように言った。
「そう」
「寝込みを襲われたって勘違いされなかった?」
「それは昨夜から禁句にしたの」
「……されたのか」
ユルバンが苦笑し、言った。
「大方逃げてきたんだろうね。顔を真っ赤にして。で、昨日は眠れなかった、と」
「…………」
その通りなので何も言えない。憮然としたポプリに、ユルバンは慰めるように声をかけた。
「まあ、こんなことだってあるよ。それで、羅針盤については何かつかめた?」
「大したことは掴めなかったわ。とりあえず、寮には持ち込んでないみたいだけど」
「そっか……」
ユルバンは口をつぐみ、それから何か気が付いたように言った。
「あいつ、星の一族の末裔か何かじゃないかな」
「星の一族? 何よ、同族の雰囲気でも感じたの?」
星の一族というのは、星の力に対する感受性が一際高い血をもった人々のことで、ユルバンの家は代々その血筋に当たっていた。
「いや、べつに同族を察知する能力は持ち合わせてないんだけど……ポプリだって星の一族の端くれじゃないか、それくらい分かるだろう?」
「端くれは端くれよ、血の濃さが違うわ」
「まあ、うん……とにかく、魔力が桁外れだって言うし、そんなにタイミングよく目が覚めるなら、あいつも星の一族ゆえの勘みたいなものをもってるのかなって。アステリア女神の寵愛を受ける者として」
「なるほどねぇ……」
ポプリは黙って考えていたが、ふと気が付いててすりから体を乗り出した。
「そうよ! もしそうなら、名簿を調べればあいつの出自が分かるかも!」
ユルバンはポプリの勢いに驚いて、ぎょっと肩を震わせた。
「ポ、ポプリ、危ないから……名簿って、星の一族の? いくらなんでも、ある程度大きな家しか載ってないだろう」
「そうだけど、魔力が強い家は大きい家が多いもの。確率は高いわ、調べる価値があるわよきっと」
「分かったから、こっちに来たいなら正規のルートから回って来てくれないかな。それ、見てるの心臓に悪いから」
ユルバンの説得で、ポプリはやっとてすりから身を乗り出すのをやめた。
やることが決まれば行動の速いポプリだった。その日も授業が終わると、ポプリはせっせと図書館に通った。社会科の棚に足を運び、名簿が並んでいる場所に立っていた。
『努力家だよね、ポプリって』
ポプリの図書館通いにはすっかり慣れているパルファンが、本棚の上からポプリを見下ろしながら言う。
「ふんだ、天性の才能が何だって言うのよ。私は天才に真似できないことをするの。かじりついて食らいついて、絶対負けたりしないわよ」
『ロゼットのことを言ってるの? ……よっぽど根にもってるんだね、お化けクジラ事件のこと』
「だって悔しいじゃない、あんなの見せつけられたら」
ポプリは目当ての本を見つけて、ぱらぱらとめくってみた。個人名を一つ一つ見ていたら限がないので、とりあえず家名の見出しだけをざっと読んでみる。
アルカデルト、カヴァルカンティ、エリュアール、ラルカンジュ、ロジェ、マンディアルグ、トラントゥール、ヴォーコルベイユ……
「ねえ」
ポプリはパルファンに聞いた。
「羅針盤の管理をしてたっていう一族、なんて名前だったか覚えてない?」
『へ? ぼくに聞かないでよ、いちいち噂とか言い伝えとか覚えてないよ』
「……パルファンの役立たず」
ポプリは母方の姓、トラントゥールを指でトントンとつっついた。
「私、覚えてると思うのよね。喉のここまで出かかってるのに」
『ロゼットとその家とが関係ある証拠なんて無いでしょうが』
「あるかもしれないじゃないの。だって羅針盤をもってるのよ」
「カヴァルカンティ」
突然背後から声がして、ポプリは飛び上がった。その拍子に本まで取り落とした。恐る恐る振り返れば、サファイアの青の瞳がにんまりと細められてこちらを見つめていた。
「羅針盤を守護していた一族の名前。ご満足かな?」
「そ、それはどうもありがとう」
「随分と上ずったありがとうだな」
「あんたが急に現れるからよ」
ロゼットがしっかり後ろに立っていた。気配もなく忍び寄られたのでは誰だって驚くというものだが、それに加えて昨夜のことがある。ポプリは脳内の警戒レベルをマックスに設定してロゼットと距離を取った。ロゼットは苦笑する。
「同じ科目を取ってて同じ寮にいて、これだけ生活の場が重なっているのに距離を取ろうとするのか?」
「……できるだけ関わらないようにしておいた方が身のためだもの。カヴァルカンティって言ったわね。サンクチュアールの名前じゃないわね」
「他の星の一族と違って、サンクチュアール系の名前に改名せずに、古い名前を守って来たんだろう。カヴァルカンティは南の方の名前だな。ちなみに俺と関わらないなんて、無理だと思うけど。取り引きした時点で、俺とあんたはどうあがいたって関係あるからな」
それからロゼットはニヤリと笑った。
「あんたは俺と関わりたくないみたいだけど、残念ながら俺はあんたと関わるつもりだよ。あんたの人脈は使えそうだ」
「何よそれ」
ポプリは腹が立ってきた。
「人を道具みたいに言うなんて。私は迷惑するのよ」
「あんたは俺に借りがあるだろう。昨夜の件、見逃すって言ったのを撤回してもいいんだぜ?」
ポプリは言葉に詰まった。とりあえず、反論を試みる。
「今になっては証拠不十分よ。あんたは私をどうにもできないわ」
「星の一族のこと。もっと知りたくないのか? 羅針盤のことは? 俺にくっつかれてた方がお得だと思うぜ?」
「そんな簡単に私に情報を漏らしてくれるとは思えないわね。あんたからなにか持ちかけてくるってことは、何かあるんでしょう」
ポプリが疑いの視線たっぷりにロゼットを見つめると、ロゼットは肩をすくめた。
「嫌いな相手はとことん嫌うんだな、君って」
「悪い?」
「いや。はっきりしてる方が好き」
ポプリはさらっと紡がれた言葉に目を瞬いた。あ、まずい。また固まるかも。
「そ、そう……」
「腹を探る必要がなくて楽だからな」
何だ、そういう意味か。ポプリはほっと息を吐いた。しかしロゼットはにんまり笑いながらポプリを見つめていた。
「なんか勘違いしなかったか?」
「だっ、誰が!」
「違うならいいんだけどさ。なんだよ、そんなに引っ付いてほしいなら言ってくれてもいいんだぜ?」
「それ以上言うと叫ぶわよ」
「叫べばいい。恥をかくのは俺じゃないし」
むかついたポプリは本気で叫ぼうと、すうっと息を吸い込んだ。
その時、誰かが背後から口をふさいできた。
「あんまり挑発しないでくれないかな、ロゼット。ポプリは負けず嫌いなんだ。そうな風に言われると本気でやりかねないんだよ」
ユルバンだ。ポプリはユルバンの手をはがして、言った。
「聞いてたならもうちょっと早く助けにきてよ」
「あ、いや、僕はたまたま通りがかっただけだよ。……ポプリもポプリだ、いちいち挑発に乗ってたらこいつの思う壷じゃないか」
「だって……」
ロゼットは二人の様子を見て、一言つぶやいた。
「君達、付き合ってるのか?」
「……は」
二人は固まった。
「だから、付き合ってるのか、って。ポプリもあんた相手だと触れられても平気みたいだしさ」
「ち、違うよ」
ユルバンが慌てて言った。
「僕はただ、ポプリが危なっかしいから」
「な、なによそれ」
「危なっかしいだろう。それだから親にも心配されて、僕を君につけたんじゃないか」
はっ、とポプリはロゼットを見た。今ので気付いたかもしれない。しかしロゼットの表情からは、何も読み取れなかった。
彼は腰をかがめてポプリの落とした本を拾っていた。ポプリに差し出しながら、含みたっぷりに言う。
「君、俺が星の一族だと思ってるのか」
ポプリは本を受け取りながら言い返した。
「なんでそんなことを気にするの? 私が星の一族を調べたら、何かあるの?」
「いや?」
真意のつかめない笑みを浮かべてロゼットは言った。
「卒論の材料にするのかと思っただけ」
当然嘘だろう。ユルバンはポプリにささやいた。
「やっぱり、星の一族と関係ありそうだね」
ポプリは頷いた。ユルバンはロゼットをちらりと見て、ポプリの腕を引いた。
「じゃあ、僕らはそろそろお昼を食べに行くんで」
「あ、ちょっと待った、ポプリに一言言いたいんだけど」
ポプリは胡散臭げにロゼットを見上げた。
「何よ」
ロゼットはポプリだけに聞こえるように、耳元で囁いた。
「ユルバン、王家の側近かどこかの家だろう」
ぎくり、とポプリはロゼットを見た。やっぱりユルバンの失言に気付かれた。ロゼットは満足そうに笑って手を振った。
「午後の授業でまた会おう」
まずった。ポプリは頭を抱えた。まあ、大した情報にはならないだろう。ユルバンの身元を特定したところでロゼットには何らメリットはないはずなのだ。
そう考えて、ポプリはユルバンと一緒にカフェテリアへ向かった。
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