16:対価

 研究旅行の申請書の提出が間近に迫り、最終学年の間ではそのことが専らの話題になった。
「私、星と星座の名前の関連性と、それぞれが与える魔術への影響について卒論を書きたいんだけど、どこに行くのがいいかなぁ」
「それならエスカリオテが良いんじゃないか? 神話と星についての文献なら、あそこの書庫が一番豊富だぜ。天体観測にも最適だし。俺は五芒星のそれぞれの角の大きさが与える術式への影響を研究したいんだけど、はっきり言って旅行必要ないよな」
「あら、王都に行けば良いじゃない。術式研究の最高峰よ」
「でもなぁ、国内ってなんかなぁ」
「ぜいたく言わないの」
 こんなような会話があちこちで聞かれるようになっていた。
 ポプリはというと、神話に関することより、生粋に天文学と魔術に関しての論文を書くつもりだった。だから、宗教的な場所よりは、天体観測が盛んな場所か、研究都市に行きたいと思っていた。
『でもコレットは古典神話学専攻だよ?』
 パルファンに言われてポプリは盛大に溜め息をついた。これが目下、ポプリにとって最大の問題。コレットは専攻の都合上、どうしても宗教的な土地に行くことになる。
「親友と研究とどっちを取るかって話よね」
 せっかくの旅行、コレットと一緒に行きたいのに。

 研究旅行の話はその日の夕食の席でも出た。
「課題、決めてないの?」
 ユルバンに聞いたら彼は頷いた。
「だって僕の専攻は魔術数学だよ。まさが自分で公式を生み出すなんてできないし。そんなのは本物の研究者の仕事だ。そしたら研究って何をすればいいんだよ、って感じで。せいぜいどこかの公式を引っ張り出してきて、同じ公式を使っていろんな解き方をしてみるしかないね」
 ユルバンは溜め息をつく。
「ま、それでも結局旅行は必要ないんだけどね」
「まあ、いいじゃないの、適当な場所をチョイスしておけば。あ、そしたらユルバンとは間違いなく一緒に行けるって事ね。どこでもいいんだもの」
「あ、そういうことになるね。じゃあポプリと一緒のところでいいや」
「コレット、今のところどこが候補?」
 コレットはフォークの先を唇にのせて首を傾げた。
「うーん、いくつか行きたいところはあるんだけど、わたしもまだ課題決めてないの。ヘリオスのことを書こうかと思ったんだけど、マイナーな神様だと書きにくいかなぁって。エルヴェ先生は好きそうだけど」
 ポプリは笑った。
「好きそう、好きそう。いいんじゃないの? コレットのお母さん、ヘリオス信仰でしょ。色々話が聞けて良いじゃないの」
「うーん、じゃあやっぱりそうしようかなぁ。そうするとどこがいいかな。ポーちゃんは何を書くの?」
「私? そうね、星の動きが及ぼす魔術への影響と、季節による星座の移動による角速度の変化と魔方陣の働きについてっていうのはどうかなって」
「む、難しいこと書くんだねえ」
 コレットは目を瞬かせた。
「わたしより年下だなんて信じられない」
 ポプリは笑った。
「実際は半年ぐらいでしょ」
「うーん、そうなんだけど」

 そこへロゼットが入って来た。コレットが顔を上げ、彼に笑いかける。
「あ、おかえり、ロゼ。遅かったね。わたしたち、先に食べてるよ」
「ああ、うん、構わないよ」
 ポプリは席につくロゼットを見つめて、小声で聞いた。
「どこへ行っていたの」
「なんだよ、旦那の浮気を心配する女房みたいだな」
「……しばくわよ」
 明らかにからかっている口調だったのでそう言ったら、ロゼットはにやっと笑った。楽しませてしまったらしい。ポプリは軽くこめかみを押さえた。
「それで、守護獣くんはどうしたのよ?」
「関係無いだろう」
「言えないようなことに使っているの?」
「そうだといったら満足か?」
 油断も隙もないやつ。
「……絶対いつかその良い子面の仮面を剥ぎ取ってやる」
「やれるものならやってみな」
「ふん」
 この頃ようやく、ポプリもロゼットのあしらい方を少し覚えた。最近はもういちいち挑発に乗るのに疲れてきたこともある。

 ポプリはロゼットを視線から締め出して食事を続けたが、コレットは親切にもロゼットにかまってやっていた。
「ねぇ、ロゼは研究旅行、どこに行くつもり?」
「俺? まだ決めてないよ。候補地はデロス島とブリュンティエールかな」
 デロス島か、とポプリは考えた。女神様は何とも愛されたものだ。ポプリは既に何人かデロス島に行く予定の生徒を知っている。監督者としてエルヴェ教授も行くと聞いていた。こっそりポプリの候補地のひとつでもあったが、宗教的過ぎるので迷っていたのだ。これで候補地からは完全に外れた。ロゼットが行くなら死んでも行くものか。
「デロス島とブリュンティエール? 並べて候補に挙げるには随分関連性の無さそうな場所だけど、一体何について論文を書く気なんだ?」
「教える義理はない」
 ユルバンの問いに対して、ロゼットは最高に冷たく応じた。仕返しなのつもりだろう、にやりと少し敵意の混じった目でユルバンを見やっていた。これにはさすがにユルバンもむっとしたらしい。表情がものすごく不機嫌そうになった。してやったロゼットは上機嫌に言う。
「こういうときは対価を差し出すものだよ、ユルバン。味方でない人間と取引するならそれくらいしないと」
「随分取引に物慣れているような態度ね」
 ポツリ、と言ったポプリの言葉にロゼットは鋭い視線をよこした。おや、何か意表のつくことでも言ったのだろうか、とポプリは首を傾げる。
「あんたもしかして、ずーっと目的とやらのために準備してきたの? その減らず口もそのために鍛えた?」
「鍛えるようなものじゃない」
 ロゼットは妙に癇に障る言い方で言った。
「これは天性の才能っていうやつだよ。残念だったね、自分にはなくて」
「能ある鷹は爪を隠すのよ」
「それじゃ所詮は鷹ってことだな。人間様レベルじゃない、と」
 何でここまでむかつくことを言えるんだか。
「……あんたに友達が少ないわけが分かったわ」
 皮肉を言ったらロゼットは鼻で笑った。
「友達は少ないかもね。崇拝者なら結構いるよ」
 それは嘘ではなかった。学園での彼は非常に外面がいい。それに以前のお化けクジラ事件のこともあって、ロゼットは構内では結構有名人だった。友人が少ないのはむしろ、ロゼットが自分から作らないからという理由に過ぎない。はっきり言って、こんな不遜で皮肉屋な態度を見せるのはポプリとユルバンくらいのものだ。それが余計に気に食わないのだが。
「実は羅針盤で影から皆を操ってるんじゃないの?」
 ポプリが言うと、ロゼットは肩をすくめ、もっともなことを言った。
「そんなことが羅針盤でできるなら、真っ先に君を洗脳してる」
「ち、ちょっと、物騒なことを言わないでよ」
 コレットには少しきつい話題だったのか、彼女は心配そうに皆を見つめていた。
「洗脳だなんて、絶対にいけないことだよ。神様への冒涜だよ」
「エロスの矢だって、当たった人をその人の意思に関係なく恋に落とすんだから、洗脳みたいなものじゃないの」
「だからだよ。神様の力を人間が使うなんて、思い上がりだよ」
 ロゼットがふと、サファイアのような瞳をきらめかせた。
「その通りだね」
 声色は真剣だ。そしてちらりとポプリを見る。何を言いたいのかは分かった。羅針盤のことを言っているのだ。――別名、星の女神アステリアの忘れ物。羅針盤は神のものなのだ。使うのは神への冒涜。
「そんなこと言って」
 ポプリはふんと鼻であしらった。
「人間ってのはそういうものよ。持ち得ない分不相応の力をうらやんで、使って、自分で破滅への道を進むの。いまさらだわ。洗脳に賛成なわけじゃないけどね」
 丁度食事を終えたので、ポプリは布巾を口元へ盛って好き、軽く口を拭いた。ロゼットは依然、ポプリを見つめている。酷く気に食わなそうな顔をしていた。
「私がもし神様の力を手に入れられるのなら、洗脳なんて意味のないことに使わないわ。人はそれぞれ違う意志を持ってこそ調和してるのよ。洗脳なんてしたら世界がめちゃくちゃになるじゃない。……私は、自分を自由にするためだけに使うの」
 ユルバンとコレットは、突然そんなことをいいだしたポプリを訝るように見つめていた。ロゼットは不意を突かれながらも興味深そうだ。
「じゃあ君は今、自由じゃないのか」
 世間話をするような軽い口調で聞いてくる。ポプリも軽く返事をした。内容は真剣そのものだったが。
「自由じゃないわ。運命も役割も人を縛る鎖よ。あの人が神様の力を手に入れるには犠牲が必要だって言うならなら、私はその力を自分の力で手にいれて、犠牲を出さないようにして見返してやるの。私を利用しようだなんて百年早いのよ」
「ポ、ポーちゃん」
 ポプリの言っている意味が分かったのか、コレットがあわてて遮った。もちろん、ポプリもこれ以上事情を明かす気はなかった。すっと視線をロゼットに定め、言う。
「さあ、対価は差し出したわ。ロゼット、あんたならどうする?」
 ロゼットはにっこり笑った。
「君が自由を欲しがっているなら、俺が手に入れようとしているのは、ただの自己満足の安息のようなものかな。俺は別に神の力が欲しいわけじゃない。ただ、許せないことがあっただけだ」
「濁さないではっきり言ってよ」
「つまり俺の目的か?」
 サファイアのように瞳がきらめく。冗談か本気かを曖昧にするような表情だった。

「……復讐、さ」