19:二度目の侵入

『これ、神々の標徴物のリストでしょ』
 パルファンの言葉にポプリは頷く。
「ただのリストじゃないわ。レプリカじゃなくてきちんと本物が置いてある所が書かれてる」
『それ、確かなの?』
「全部覚えてるもの。ケリュケイオンは行方不明だけど、例えば、エロスの恋の矢ならお母様が嫁いできた時の嫁入り道具の中の一つにあったはずだわ。今は地下倉庫にあるの。……ほら」
 ポプリは指さした。矢じりが金の矢は人を恋に落とし、鉛の矢は人を恋から閉ざすというエロスの矢についての解説の隣りに、誰かのなぐり書きがしてある。ロゼットの文字より丸っこかった。「王宮北塔地下倉庫」。
「隣りの数字はレプリカの数。アポロンの琴は人気だから100個以上あるわ。エロスの矢は73本。恋にとち狂った奴らがこの矢を狙って騒ぎを起こすから、どのレプリカにもすごい警備がついてるのよ」
『レプリカなのに?』
「本物には及ばないながら、1日限定で作用するそうよ。鉛の矢は人気がないから7本しかないみたい」
『へえ……』
「パルファン、もう少し勉強なさいよ。あまり頼れない守護獣だと困るわ」
『……はいはい』
 パルファンのしっぽがポプリの腕を軽く打った。
『ロゼットは標徴物なんか調べてどうするんだろう』
 ポプリも考え込んだ。本物の場所を知っているということは――本物の場所を調べているということは、本物に用があるということだ。
「もう羅針盤を持っているのに、この上他の標徴物を集めるつもりかしら」
『なにそれ。世界征服でも企んでるって事?』
「さあ。……でも世界征服でも羅針盤だけで十分だと思うわ」
『……確かに』
 天空の設計図という、羅針盤の正式名称がその表れだ。
「星の羅針盤。……アステリアの指。道標。頭が痛くなるわね」
『ねえポプリ』
 パルファンは不安そうだった。
『なんかやな感じだよ。進めば進むほど嵌まっていってる気がする。逃げたがってるくせになんで自分から飛び込むの』
「奥深くまで入って根元から切らないと、この因縁が切れないからよ」
 ポプリは言い、もう一つ、古いパピルスの切れ端のようなものを机の上で見つけた。流麗な古代ギリシャ語で短い文が綴られていた。

 [星は全ての道標 旅人導く羅針盤]

「何これ」
 触ると今にも崩れそうなほど古かったので、近づいて眺めるだけにしておいた。かがむと髪の毛が肩から滑り落ちるので、手で一掴みにしておく。
『暗号?』
「暗号になるには短いわ」
『じゃあ先人の知恵』
「……随分抽象的ね」
『しょうがないじゃん。古代ギリシャって言ったらそれくらいしか思いつかないよ』
 ポプリはとりあえずその文句を頭に入れた。

 それから折り曲げていた体をのばし、机の上の他の紙もざっと見てみた。
「これ以上有用な情報は見つかりそうにないわね」
『あれ、もう引き下がるの? ポプリのくせに珍しいね。床板の継ぎ目の中までじっくり調べると思ったのに』
「まあ、それは次回の機会があったらね。気になることがあるから」
 ポプリはきびすを返し、部屋を出た。パルファンが続いて走り出て来たのを確認し、呪文を施し直す。
「ルソワ・ラ・ファキュルテ・デゼトワール」
 ポプリは術式を覚えるのが得意だった。一度見た魔方陣は大体覚えている。今回は特に念入りに覚えていたので、すらすらと鍵かけの魔方陣を再現して扉に施した。あまりに真新しい魔方陣なのが分かるので結局ロゼットにはまた部屋に侵入したことがバレるだろうが、まあ時間稼ぎになればいい。

『気になることってなに?』
 パルファンがポプリを見上げて聞いた。ポプリは答えた。
「どうしてわざわざ私を部屋に入れてくれたか、よ。まあ、不法侵入じゃなくて招かれたんだから、言い訳し易くて助かるけど」
『じゃあなんでポプリは今証拠隠滅を図ったの』
「えーと、なんとなく」
『……はぁ』
 そういえば隠蔽する必要なかったなと思い当たりながら、ポプリは自分の部屋に戻った。
「ロゼットは私にヒントを与えてどうするつもりなのかしら」
『ヒントと見せかけて実はポプリの目を、自分の本当の目的から逸らそうとしているのかも』
「ううん」
 ポプリは首を横に振って言った。気が付いて自己嫌悪になった。
「ヒントですらないかもしれないわ。だってあいつは羅針盤の持ち主よ。羅針盤を利用して何か企むくらいなのよ。羅針盤のことなんて色々知ってるはずだわ。自分の知識の広さを誇示してるんじゃないかしら」
『……そんなことしてどうするの』
「私を怒らせるの。やりそうなことじゃない?」
『そんな意味のないことにこんな労力を割くかなぁ』
「じゃああんたはどう思うのよ」
 反対ばかりする守護獣を睨むと、パルファンは首をすくめた。
『わかんない』
「それならお黙り」
『ポプリってお黙りが口癖だよね』
「お黙り」
 パルファンは黙った。

 昼食は一人で食べた。ダイニングに降り、適当にピザの出前を注文した。届けられたホールのピザを前に、一人座る。
 その時になって、突然ポプリは酷く寂しくなった。誰もいない。誰も。叫んでも喚いても誰もいない。学校に行けば良かったと後悔した。今からでも午後の授業に間に合うだろうか。
(出られない……)
 出てはいけないのだという恐怖観念のようなものに押し潰されて、ポプリはピザを取る手を止めた。
『ポプリ?』
 パルファンが気付き、餌のニワトリを放り出して駆け寄って来た。
『ポプリ! 大丈夫? ここはあの塔じゃないよ。目を覚まして』
「……分かってるわ」
 ポプリは歯を食いしばり、ピザに手を伸ばした。
「一人だから、ちょっと怖くなっただけよ」
『一人じゃないよ』
 パルファンがポプリに擦り寄った。
『一人じゃないよ』
「ええ……そうね、パルファン」
 昔のようだと思いながら、ポプリはパルファンを抱き寄せ、温かい毛並みをなでていた。高い天窓、家庭教師、窓から見えた星空。届かない空を見上げて過ごした子供時代。
「先生は、どうしてるかしら……」
 シュラールに入る前に勉強を見てくれていた家庭教師が、ポプリにとって唯一、外界を知るための架け橋だった。そしてポプリの初恋の人でもある。口が裂けても、コレット以外には言えないけれど。
「ねえ、パルファン」
 ポプリは呟いた。
「私、自由になりたい……」
 たとえ代わりにすべてを自分で選び取る責任背負わなければならなくなったとしても。
『うん、分かってる』
 パルファンが言ってくれた。
『頑張ろ、ポプリ』
 ポプリはやっと安心した。


 最初に帰って来たのはコレットだった。ポプリが心配で急いで帰って来たようだ。それが嬉しかった上に、最初に帰って来たのがロゼットじゃなかったことも嬉しくて、ポプリは思いきりコレットを抱き締めた。案の定コレットは苦しそうにきゃあと可愛らしく悲鳴を上げていた。
「これ、ポーちゃんとわたしが一緒にとってる授業の分のノートね。ユルバンとポーちゃんが一緒のクラスはユルバンが担当なの。他はロゼに借りてもらうしかないけど」
 ポプリがコレットを解放すると、コレットは早速ノートを数冊貸してくれた。
「印刷の方が良かったらコピーしてくるよ。でもポーちゃんは手書きで写したがるかなって」
 ポプリは笑った。良く理解してくれている友人がいるというのは嬉しい。もうあのころとは違う、そばにいる人がいるという事実が嬉しかった。
「ええ、そうした方が内容が頭に入るから。ありがとう」

 ノートを受け取り、部屋においてくると、ポプリはコレットとお茶にすることにした。コレットは帰りにカフェ・ボルデでケーキを買ってきてくれていたのだ。
「今日は来なくて正解だったよ、ポーちゃん。ティエリー先生、屋外実習をやったの。とっても大変だったんだよ。あ、でもロゼの実演は見ものだったかなぁ」
 またロゼットか。ポプリは高揚していた気分がしぼむのを感じた。コレットの口からその名前が出るのが特に気に入らない。一応相槌は打ったが。
「ふうん。今日はどんな実習だったの?」
「きょうはソレイユ呪文の練習。だから屋外だったの」
「ああ、なるほど」
「まあね、ロゼは普段から太陽の呪文を使ってるから。でも太陽ってすごく近いから、他の星の力を借りる時とは勝手が違うでしょ。なのにロゼは本当に正確に使いこなせるの。すごいよねぇ」
 ふん。心の中でポプリは鼻を鳴らした。本当に面白くない。
「アステリア祭で開会の実技演舞をやるの、ロゼに決まったんだよ」
 これにはさすがに表情を繕うことができず、ポプリは目を見開いて眉をひそめた。
「待って、決めるの今日だったの?」
「うん。わたしたちも知らなかったの。毎年志願者が殺到するからって先生達が選考方法を秘密にしてたみたい。今日のティエリー先生の授業の実習が選考だったんだって。放課後のホームルームに司祭様が来て、ロゼするって」
 ついに学園付属の神殿の司祭まで抱き込んだか。ロゼットの手際のよさに呆れながら、ポプリは腕を組んだ。どんどん注目を浴び、有名になっていくロゼット。学園を乗っ取る気なのだろうか。
「ロゼがやるなら、きっとすごい演舞になるんだろうな。今から楽しみ」
 にこにこと無邪気なコレットの笑顔をみていると、なんだかやるせない気分になった。この子はもう少し人を疑っていいんじゃないだろうか。
 王宮から逃れて見つけた唯一の安らぎの場である学院を、ロゼットに汚されていくような気がして、ポプリはケーキにフォークを刺しながら甚だ不機嫌になっていた。

 その次に帰って来たユルバンも同じことを報告して来た。
「ポプリに来てもらえばよかったよ」
 げっそりとそう言う。
「ポプリならあいつと互角にやり合えたかもしれないのに」
「魔力ならユルバンの方が強いでしょ。そのユルバンがだめだったなら私は言わずもがなよ」
「だけど、魔方陣の使い方はポプリの方が断然巧いじゃないか」
 そういわれてポプリはちょっと嬉しかった。認めてくれる友人もいて、やはりここにいるのは幸せだなと感じる。
「まあ、実技演舞をやるからってあいつが何かできる訳でもないでしょう? こっちに不利なことはないはずだわ」
「そんなこと言ったって、僕たちはあいつの目的すら知らないじゃないか。何かやろうとしてるから演舞を引き受けたんじゃないの?」
 そう言われるとポプリにも反論できない。
「……じゃあ何をやるのよ」
「それは分からないけど……羅針盤を使う、とか?」
「馬鹿言いなさい。うちの教師陣なら見ただけで羅針盤の魔法だって気付くわよ。そもそも、あいつに扱える力があるとは限らないわ」
「でも、実際あれを持っててなんともないみたいだし、羅針盤も暴走してないみたいだし」
「それと羅針盤を使う“資格”とは関係ないわ。使えるのはこの私。あるいはあなたよ」
 ユルバンは沈黙し、わずかに目をそらした。
「……ポプリのためなら、いずれ羅針盤が手に入った時には使えるかどうか試してもいい。けど、やっぱり使うのはやめた方がいいんじゃない?」
「分かってるわ。世界崩壊しかねないもの。脅しに使うだけよ」
 ユルバンは少し苦笑した。
「それじゃロゼットと同じことをしてるよ」
「私は自由になりたいだけよ。なにか悪い?」
 ユルバンは良いとも悪いとも言わなかったが、ぽつりと言った。

「アステリア女神はなんて言うだろうね」

 許してくれないかも知れないよ、という言葉が言外に感じられた。