20:彼の目的

「星は全ての道標、旅人導く羅針盤」
 いつもより遅い帰り道、ロゼットは寮に入ろうとドアノブに手をかけた瞬間、そう囁く声を聞いた。ノブから手を離して、横に視線を移す。月明かりの下でも失わない真珠の色のきらめきが目に入った。ロゼットはふ、と笑った。
「やっぱり俺の部屋に入ったな」
「当たり前よ。入れるつもりだったんでしょ」
 ポプリ・シャルパンティエはその真珠色を手でさらりと払い、寄りかかっていた壁から体を起こした。
「実技演舞任命おめでとう、このタヌキ」
「なんだ、もう聞いたのか」
 ロゼットは肩をすくめた。ポプリはロゼットの態度にむっとしたような顔をする。
「知ってたんじゃないの? 今日が選考の日だって。それで私が家に残るように……」
「知らなかったさ。実技演舞なんてあまり興味なかったし」
 嘘付け、とポプリのすみれ色の瞳が言っていた。そして、再び口を開いた彼女はロゼットが驚くことを言った。
「狙いは標徴物? それとも……コネ、かしら?」
「なんのこと?」
「まんまとひっかかって寮に残った私も私だけど。いろんなものを見つけたけど、わざわざ見せてくれるほどのものなら重要じゃないと思ったの。なら、部屋にあったものはあんたの目的とは無関係。それなら私がいない間に得た実技演舞権利で何が得られるか……それを考えてみただけ」
 その結果が、コネというわけか。やはり感情的にじたばたしてるだけじゃなく、本当に賢いのだな、とロゼットは王女への評価を変えることにした。元から侮っていたつもりはなかったし、だからこそライバルになり得ると思ったのだが、やはり自分の能力を少し過信していたようだ。
 けれど、本心を明かすつもりはない。表情には微塵も出ていないことを確信しながら、にっこりと笑ってみせる。
「さて……ね。コネって言ってもいろいろあるし、一体どれのことを言っているのか」
「そうね、実技演舞で新しくつながりができる人たちの間で一番使えるのは……ロッシュ司祭と生徒会の人たち」
 これにはさすがにロゼットも内心唸らざるを得なかった。
「それはそれはお見事な推理で」
 けれど、余裕をもって、わざとらしく優雅にお辞儀をして見せる。
「さすが王女様、そのお目をごまかすことなどできぬようでございますね」
 ポプリは案の定、ものすごく嫌そうな顔をした。
「何の真似よ」
「お貴族様」
「馬鹿にしてるの?」
「めっそうもございません」
「あんたがやると気持ち悪さ倍増だわ」
 遠慮のない物言いでポプリは言った。
「それにね、お貴族様はもっと大袈裟に感情たっぷりでやるのよ」
 その言葉を言った時の、彼女の言葉の冷たさと刺にロゼットは思わず目を瞬いた。……この少女はいつもそうだ。中の人間なのに、中にいることを苦痛に感じているような。
 ポプリはロゼットを一瞥すると、彼の脇を通り抜け、先にドアを開けた。
「それから、警告よ。コレットに近付き過ぎないで」
 ロゼットは肩をすくめる。これもこの少女の妙なところだ。友人に対して、異常に過保護。
「そのうち怪しい噂でも流れそうだな、あんたたち」
 言ったら睨まれた。
「人を馬鹿にすることしかできないの? だからあんたは嫌いなのよ」
 随分とはっきり言ってくれる、とロゼットは苦笑した。世の中もこれくらいきっぱりしてればいっそ清々しかったのに。
「私はただ、あんたがあの子を……」
 ポプリは振り返りもせずに、正面の階段へ歩いて行きながら言った。
「……傷つける類の人間にしか思えないの。だから、近付かないで。私はあの子を守らなきゃいけないんだから」
 妙なところで鋭いよなぁ、と思いつつ、ロゼットは彼女の背中を見送った。


 ポプリの推理は割と単純だった。彼が「目的は復讐」と言った時から考えていた。あの告白が、真実だったとする。それなら、復讐の相手は学院に入らなければ接触できないような、位の高い人。ならば彼は接触の機会を作るため、そして相手を騙して信用させて復讐をしやすくするため、コネが必要になるだろう。
 だが、コネ作りは相手を選ぶことも大切だ。それなのにシュラールでは姓を名乗ることが禁じられていて、相手がどの家の人間か分からない。しかし神殿は、信者の登録をした戸籍張のようなものが存在する。姓を名乗らないシュラールにおいて、生徒の出自を確認できる貴重なアイテムだ。それを狙うには、司祭とのつながりが必要になる。実技演舞は良い機会になる。
「と、思ったわけ」
 ポプリが説明して見せると、ユルバンは唸った。
「……さすがポプリ」
 ポプリは得意になって胸を張った。
「努力ばかりが主席への鍵じゃないわよ。元から能力だってあるんだから」
「おみそれしました」
「よろしい。面をあげよ」
 ポプリは言った後で、偉そうな態度をやめて溜め息をついた。
「やめたわ、王宮みたいで気持ち悪い」
 ユルバンは苦笑する。
「ポプリは本当に王宮アレルギーだね」
「あんたも同じ身の上になってみなさい、アレルギーになるから」
 ユルバンは言葉を返さなかった。ポプリの写しかけのノートに目をやって、何かを考えている風だ。やがて彼は迷うように視線をポプリに戻した。
「推測で悪いんだけど」
「何よ」
「僕はあいつが本当に標徴物を狙ってると思うな」
 ポプリは目を瞬いた。
「羅針盤もそのうちのひとつだから?」
「うーん、そういうわけじゃないけど」
「じゃあ何」
「あいつ、いつも自分の手の内を少しだけ明かして、それを餌にして大きな獲物を釣り上げるだろう。しかも、ポプリは標徴物のリストのメモは本物の保管場所を示してた、って言ってたじゃないか」
 これは確かに説得力があった。となると、本気で標徴物を探してるのだろうか。
「でも、なんの為に……」
「羅針盤を盗られた時のための保険とか」
「あ、なるほど。あいつならそれくらい徹底しそうね」
 そしてポプリはなぜか、直観的に思った。
「もしくは、全然別の目的のため……」
「え?」
 ユルバンが目を瞬く。
「なんで?」
「本当に標徴物を探してはいるけれど、私にそれを明かすくらいは、学園で企んでることとは無関係なのかなって思っただけよ」
「そうか……それも考えられるね」
 ユルバンは腕を組んだ。
「本当に、さすがポプリ」
「ふふ」
 感心してもらえるのはやはり嬉しかった。

 もし自分の推理が当たっていたら、とポプリはさらに考え、図書館で本を探していた。別の目的とは、何なのだろう。
 シュラールの図書館はドーム状の巨大な建物で、外からみれば古代イタリアのドゥオーモのドーム部分だけ切り取ったようなイメージを受ける。コロセウムぐらいはあるだろうなとポプリが思うくらいの広さで、蔵書量も半端ではない。研究者である教師すら、ここで調べ物を済ませるくらいの学術書もそろっている。絶対何かしらの手掛かりが、このドームの中に埋もれているに違いなかった。
 下級生が読めば知恵熱を出しそうな内容の本が並んだ棚を行き来しながら、ポプリは考えていた。標徴物、しかもひとつではなく集めることが必要なほどの目的。しかし、標徴物を揃えるということは宇宙すら掌握するほどのことだ。それに、標徴物は世界中に散らばっている。集めるのは不可能と言ってもいい。
 ポプリがうーんと唸っていると、声をかけられた。
「ポプリじゃないか?」
 振り返るとティエリー教授だった。こちらへ歩いて来る。
「もう体はいいのかね? 前回の授業、休んだだろう」
「はい、大丈夫です。心配をおかけしました」
 ポプリはそう言って笑っておいた。そうか、とティエリー教授は安心したような顔をする。ちょうどよかったので、ポプリは言い出してみた。
「ロゼットが実技演舞の舞人に決まったようですね」
「ああ。あの魔術の腕だ、驚くべきことではない」
 にこにこというのでポプリはおもしろくなかった。すっかりロゼは彼のお気に入りになってしまっている。
「ポプリもアステリア祭の聖劇でアステリア役をやらないか」
「えっ?」
 突然かつ思いがけない申し出にポプリは目を丸くする。
「私が、アステリアを?」
「ああ。君の魔術の腕なら最高の役者になれる。ゼウス役はまだ決まっていないのだが……たぶん、ユルバンかロゼットだろう」
 今のでポプリの心はぐらりとやりたくないほうに傾いた。
「……あ、相手がユルバンならいいんですけど、ロゼットはちょっと……」
 ポプリがいうとティエリー教授は目を瞬いた。
「なんだ、君たちは同じ寮で暮らしているんじゃなかったのかね」
「相性が悪いんです」
 ふーむ、とティエリー教授は腕を組んだ。お気に入りの生徒同士の仲が悪いというのは複雑らしい。しかし、やがて「分かった」と彼は言った。
「ロゼットは既に実技演舞に出るから、多分ゼウス役には採用されまい。ユルバンを推薦してみるから、ポプリ、アステリアをやらないか」
 ポプリは笑った。
「はい。是非」
 演技は経験ないが、なんとかなるだろう。できれば舞台裏で舞台装置係が良かった気もするが、なんとなくロゼットに対抗してスポットライトの当たる場所に出たかった。

 そしてティエリー教授が、ところで、と言い出した。
「ロゼットのことを、君はどれくらい知っているのかね?」
 ポプリは目を瞬いて教授を見上げた。どうしてそんな質問をするのだろう。当たり差しさわりのない返事を頭の中で組み立てた。
「民間人だということしか聞いていませんけれど」
「そうか……ならいいのだが」
「ロゼットがどうかしたんですか?」
 ティエリー教授はいや、と言いつつ頭を掻いた。
「実力があって好奇心が旺盛なのはいいのだが、聞いてくる質問にはこちらも返事に窮するようなものが多くてね。どうも只者じゃない気がするんだ」
 ポプリは敏感に反応した。
「返事に窮するようなもの? 政治的なことですか?」
「心当たりでもあるのかね?」
 逆に問い返されて、ポプリは一瞬、教授の瞳の中の鷹のように鋭い視線に気圧されて返事に詰まった。だめだ、もうこの空いてしまった間をなかったことにはできない。
「いいえ。でも、よく貴族名簿の本を見ているので、貴族に何か用事があるんじゃないかと思っただけです」
 嘘だが、彼が貴族に用事があるのは確かだろう。わざわざポプリを脅してまで学院に編入したがっていたのだから。しかしティエリー教授は意外そうな顔をした。
「貴族に? ……うーむ、質問には神学と天文学に関することが多かったのだがなぁ」
「そうなんですか?」
 それなら普通の知的好奇心の範囲ではないだろうか。それで、返事に窮する……?
「異端的なことを聞いてくる、ということですか?」
「まあな。本人はいたって信心深いようなのだが、内容が内容で、とても一生徒が抱く好奇心の対象とは思えないのだ」
「一体何を聞かれたんですか?」
 純粋な好奇心に見えるよう、ポプリは無邪気に聞いてみた。ティエリー教授は一瞬言うかどうか迷うような間を取ってから口を開く。
「魔術の根本について、だ」
 ポプリはその言葉をしっかり耳に刻んだ。……手がかりに、なる。
「星と神話と魔術がどのようにして結びついたのか。科学的な観点からどう思うかを聞いてきたのだ」
 科学と、神話と、魔術。その、根本を探ろうとしているということだろうか。

 命知らず、とポプリはかすかに笑みを浮かべた。自分ならいざ知らず、科学と神話の過剰研究は、神の領域に踏み込むものとして、星の女神の怒りに触れる。
 アステリアはあんたを許さないわよ、と女神のような笑みをポプリは心の中で浮かべた。