23:司祭の呼び出し

 それからポプリはしばらくロゼットを避けていた。妙に鋭いので本当に油断がならないやつだと思ったのだ。自分のことはちっとも明かさないくせに。まあ知りたくもないけど、と思いつつ、実際は少し気になるのを無視した。
 ロゼットも無理に絡んでくることはなかった。興味がその程度なのか、はたまた柄にもなく気を遣っているのか。少し考えて、ポプリは結局どうしてそんなこと気にしてるんだろう自分、と腕を組んで悩んだ。どうも気にすればいいのは相手の弱みを探ることだけなのに、弱みを探ろうとすると他のところまで気にしてしまうようだ。

 アステリア祭が近付き、ポプリは正式にアステリアの役で聖劇に参加することになった。アステリアのことでもやもやしていた直後でタイミングが悪かったせいで、ちょっと「やっぱやりたくないかも」と思ったが、出番が一番多いのはユルバンのゼウスで、アステリアはあまり出番が多くないのでまあいいか、と思うことにした。
 そのことでユルバンからは文句を言われた。
「ポプリがアステリア、でポプリがゼウスはロゼットじゃいやだっていうから僕になったって聞いたよ。僕は委員会で忙しいのに、酷いよ」
「だって、例え劇の中でもロゼットに言い寄られる役なんて真っ平ごめんなんだもの」
「僕なら平気なわけ?」
「まあね」
「……なんか複雑だなぁ」
 ポプリは落とされたユルバンの肩をポンポンとたたく。
「これだけはどうしても、ね。それに、私が聖劇に出るのは、ロゼットに対抗したいとか、恋愛免疫ゼロだからとか、そういう理由だけじゃないのよ」
「……だけじゃないの?」
 疑わしそうに言われてポプリはちょっと落ち込んだ。
「ユルバン……私はそんなに単純に見えるの?」
「いや、その……沸点が低めだとは思うから」
 ちょっと落ち込む。
「でも、違うなら今度は何をしようとしているの?」
「大したことじゃないわ。練習場所は神殿に近いし、あいつの近くにいれば、隙も見つかるんじゃないかなって。近いけれど同じ空間じゃないってのが最高の条件だし。それに、学院の神殿の司祭と仲良くなれるならそれはそれでいい人脈だわ。損はないのよ」
「なるほど……司祭って、よくポプリに説教してた人?」
「そう」
「ポプリ、あの人苦手じゃなかったっけ」
「……これから近づいていけばいいのよ。協力してくれるでしょ、ユルバン?」
 ユルバンは溜め息をつきつつ、しょうがないなというように苦笑した。
「いいよ。ポプリがこんなに荒っぽく扱えるのは、僕とパルファンぐらいなんだろう」
「何よそれ」
「信用されてるならそれに応えましょうってことだよ」
 ユルバンに言われてポプリはちょっと目を瞬いた。そうか、いつの間にか自分は、誰に会っても警戒心全開で壁を作ってしまう性格になっていたのだろう。迷惑な頼みごとを言っても許してくれて、かつ頼み事ができるくらい信用している気の置けない相手など、確かにユルバンか守護獣であるパルファンぐらいかもしれない。コレットやオリヴィエ先生には絶対迷惑をかけたくないので候補からは除外だが。
「……ありがとうね、ユルバン。いつも手伝ってくれて」
「いいよ。僕はポプリの事情を知っている、数少ない人間なんだから」
 ポプリは、感謝の気持ちをこめてユルバンに微笑みかけた。

 ロゼットは時々帰りが遅くなっていた。祭りでの演舞の練習だろう。ポプリとユルバンも演劇の練習の参加で時々帰りが遅くなり、その時はコレットが舞台の練習を見学に来て帰りを待ってくれた。その健気な行動にポプリが喜んだことは言うまでもない。
「ポーちゃんのアステリア、本当に良く似合ってるねぇ」
 コレットはにこにこしながらポプリに駆け寄ってそう言う。その日は衣装合わせで、ポプリは髪を結い上げて古代ギリシャらしい服を着ていた。ポプリはコレットに笑って返した。
「演技はど素人丸出しだけどね」
「ううん、そんなことない。さすがだよ。それにユルバンがゼウスをやると、すっごく誠実そう」
「……女たらしにならなきゃいけないのに、それじゃ僕は役作りができてないって事じゃないか」
 ユルバンが苦笑してそう言うと、コレットが慌てた。
「そ、そういう意味じゃなくて。あのゼウスなら女の人たちに人気があっても不思議じゃないねっていうことだよ」
 目を瞬いたユルバンは頬を染めた。
「そ、そうかな」
 隣でやり取りを見ていたポプリは内心少し落ち着かなかった。二人のやり取りが恥ずかしかったのもあるが、なんとなく、ゼウスが女性に人気だったというよりほとんどが無理やり口説いただけでしょ、とツッコミをいれたくてたまらなくなる。

「こんにちは、みなさん」
 その時、司祭がやってきた。劇を見に来たのだろう。
「ロッシュ司祭!」
 残っていた生徒たちはわっと司祭の周りに集まった。彼は学院付属のアステリア神殿の司祭で、穏やかで高潔な人物なので生徒には大層慕われているのだ。
「劇の練習はどうですか」
 元から穏やかな目元をさらに和ませて、司祭はにこにこと生徒たちに問う。生徒たちは口々に練習の成果を報告しだした。ポプリはその司祭に近付こうか逃げようかで迷っていたが、コレットが司祭のほうへ駆けていってしまったのでついていくしかなかった。
 司祭はポプリを見つけると、さっそく近付いてきた。う、とポプリは顔を引きつらせ、身構えた。
「こ、こんにちは、ロッシュ司祭」
「こんにちは、ポプリ。本当に久しぶりですね」
「は、はい……」
 怒られるよりも何よりも、こういういい人にものすごく悲しそうな顔をされるほうが辛い。その上残念ながら、こんな顔をさせることを知っていて、ポプリはやめたくないのだ。
「全然神殿に来てくれないので、寂しいですよ」
 やっぱり言われた。
 神殿嫌いのポプリは滅多に神殿へ行かない。何かの儀式があってもしょっちゅう逃げている。司祭は信心深いので、そんなポプリの行動に心を痛め、熱心に神殿へ勧誘している、というわけだった。
「あなたのような、女神に愛された天賦の才をもつ方は少ないのですよ、ポプリ。それにその髪の色はまるで星のようではありませんか。そのような方が、神殿を避けていると思うと、非常に悲しいのですよ」
「す、すみません……でも、どうしても苦手で」
「苦手に思うことなどない、と何度も申しているではありませんか。正しく清廉である者には、神々は大変慈悲深い方々ですよ」
 そう言われても、どうだか、と皮肉たっぷりの笑みを内心で浮かべてツッコむような人間なのだ、ポプリは。

「ロッシュ司祭」
 その時、ロゼットが司祭を追いかけてきたのか、やってきた。げ、とポプリは余計にその場から逃げたしたくなった。というか、こちらが避けているのに気付いているくせに追いかけてくるのはやめて欲しい。
「いらしていたんですか」
「ああ、ロゼットくん。あなたも劇の練習を見に来たのですか」
「はい。同じ寮の子達が二人、参加していますので」
 ロゼットは言って、にこりと(ポプリには「にやり」に見えた)ポプリとユルバンに笑顔を向けた。嘘つけ、司祭に会う口実のくせに。
「同じ寮?」
「はい。俺、ポプリとユルバンと同じ寮です」
「ああ、そうなのですか! それはそれは」
 無駄に嬉しそうに司祭が言った。
「ポラリス寮には才のある方々が集っているのですね。コレットさんも同じ寮でしょう」
「あっ、はい!」
 コレットは嬉しそうに言った。ロッシュ司祭もその笑顔に顔をほころばせて、うんうんと頷く。
「いいですね。才能ある方々が集まると、お互いに切磋琢磨し合えて良いでしょう」
 どちらかというと、腹の探りあいか足の引っ張り合いに近い気がするのだが。
「どうぞがんばってくださいね」
 何を、と聞き返したくなる言葉をロッシュ司祭は言い、どうやら社交辞令的な会話はもう終えるつもりらしく、ところで、と続けてポプリに向き直った。説教は終わってなかったのか。ポプリはそう思って身構えたが、予想とは違う言葉を言われた。
「ポプリ、あなたのお父様から、あなた宛のお手紙を頂いています」
「お父様から?」
 ポプリは別の意味でぎくりとした。一体全体何の用だろう。元気かどうかを聞きたいだけならメールにすればいいのに、わざわざ手紙とは。

 おかげでポプリは一人だけ、司祭に連行されて神殿に向かうことになってしまった。司祭が劇の練習場まで手紙を持ってきてくれなかったのは、どうやらどんな形であれポプリを神殿に行かせる口実を作るためだったようだ。……タヌキな人だ。
 そして、なぜかロゼットもついてきた。練習の休憩をしに来ただけだったから、練習に戻る、という口実だ。ポプリは自分の背後からついてくるロゼットの足音に、必要以上に過敏になっていた。何を企んでいるのだろう。
「……なんで私の行く先々についてくるのよ。気持ち悪いわ」
 思わず振り返って、司祭に聞こえないように言うと、ロゼットはいつもの飄々とした笑みで言った。
「あんたのことが知りたいからさ」
 ポプリは顔を真っ赤にした。上手く話をはぐらかし、ついでにポプリの思考回路も止めるとは、なかなかやる。とりあえずロゼットの言ったことを考えるな、他意はない、そう自分に言い聞かせて前を向いて司祭の背中を睨むのだが、効果は薄かった。とりあえず黙らせられてしまった。

 そのまま神殿に着き、司祭は二人を招き入れた。自分の職務室の前でポプリとロゼットを待たせ、手紙を取りに行ってまいりますと言うと部屋に引っ込んだ。その頃には正常な思考回路を取り戻していたポプリは後ろを振り返った。
「練習に戻ったら?」
「いや、ここにいる」
「なんでよ」
「そりゃあ、国王からのお手紙の内容に興味があるからさ」
 ポプリの頭に血が上った。
「出てって!!」
「これはまあなんと。王女とあろうお方がものすごい顔だな」
「出てって。あんたの顔は最悪に私の気分を悪くするわ。気持ち悪いのよ、ついてこないで!!」
 ロゼットは人をイライラさせる笑みを引っ込め、ふとキラリとサファイアのような瞳を細めた。
「……あんたと父親、一体どういう関係なんだ?」
「何よいきなり」
「嫌ってるんだろう。父親のこと。あるいは警戒してる。何をされてるんだ? ……あんたが、手紙が来たってだけでそんなに取り乱す相手なのか」
 ポプリははっとした。そうだ。手紙が来ただけでこんなに動揺している自分がいる。怯えている。それがロゼットにバレバレなのが余計に悔しい。
「あんた、辛いのか。王女でいるのが。もしかして。それが羅針盤を欲しがる理由? 王女でいるのと、銀の時代がどうとやらとかアステリア女神と関係があるのか」
「……あんたに言えば、どうにかしてくれるの?」
 ポプリの声は、もう怒りを帯びていなかった。か細い、投げやりで、儚い声色だった。聞いたロゼットが少し面食らった顔をしたほどだ。
「してくれないでしょう。私自身がどうにかするしかないのよ。探るのはあんたの勝手よ。でも私に絡んで来てどうする気? 邪魔するというなら、あんたは敵よ。味方してくれるわけじゃないのに興味本位で嗅ぎ回るなら、やめて。邪魔なだけだわ」
「……そうか」
 ロゼットがポプリの前に歩み出た。その顔を見上げる気はなかったが、彼の手が所在無げに泳いでいるのが見えた。触れて来ようとしたら拳をお見舞いしようと思っていたのだが、その気配はない。代わりに、彼の手はゆるい拳の形に収まり、頭上からはポプリが思ってもみなかった言葉が降って来た。

「ごめん」