25:聖劇練習


 時間が空いた時に、ポプリはロゼットのことについて気付いたこと、疑問に思ったことを箇条書きにして書き出してみた。思ったよりも事情が複雑そうだったからだ。
 まず、彼は星の一族か。そうだった場合、どこの家の者か。有名でない家でも、星の一族ならなんらかの記録が残っている可能性が高い。身元が割れれば、彼の弱みや目的が分かるかもしれない。
 そして、標徴物を探しているのかどうか。探している場合は、彼の目的とやらが、相当規模の大きいものだということだ。場合によっては止めにかからなければならないかもしれない。
 それと、アステリア女神との関係。ポプリがアステリアのことを口にすると必ず彼は興味を持つ。青薔薇のことも知っていた上、それだけではなく押し花にして栞にしていた。その上、異端的な神話に首を突っ込みたがっている。単なる興味なのか、気にする理由があるのか、それが知りたい。
 それと、彼が羅針盤を脅しの道具に使ってまで会いたがっている人物は誰なのか。これが分かれば彼の首を取ったも同然だと思う。脅すのにも言うことを聞かせるのにも使える。

 鉛筆を置いて紙を眺めてみる。こう見てみると、ロゼットって謎だらけだ。眺めているうちに、彼が言っていたことを思い出した。
 星の羅針盤を守るために、たくさんの血が流された、と。貴族に対する蔑みと憎しみを感じる声で。やっぱり、本気かどうか分かりにくい態度で言っていた「目的は復讐」というのは本当なのかもしれない。
 結構辛い目に遭って来たのかな、と考え、そう考えた自分にポプリはぎょっとした。敵に共感してどうする。こっちだって辛いんだ、逃げ出したいんだ、必死なんだ。
『……なにかと葛藤中?』
 自分の頭をコンコン叩いていたら、パルファンにツッコまれてポプリは彼を見た。
「守護獣なんだから分かるでしょ」
『うん、だから葛藤中だってのが』
 子獅子はひょいと机に飛び乗ると、机の上に広げられた物を見て、あーっと声を上げた。
『よそみしてる! 台本の復習してたんじゃなかったの?』
「お黙り。気分転換よ」
『対ロゼット作戦を考えるのが気分転換になるの? 余計つかれるでしょ』
「別に」
 ポプリは散らばったメモをかき集め、整理して小箱の中に入れて、引き出しの奥にしまった。まったく、まるで姑のような守護獣だ。
 パルファンが煩いのもあるが、実際早く台本を覚えないといけないのでポプリは台本に向かい合う。しかし、頭は勝手に違うことを考えていた。
 ようは、奪えば良いのだ。この手に羅針盤があれば、ロゼットなどどうでもいいのだ。星の羅針盤を持たない彼と、取引する理由などないのだから。
「パルファン」
『うん?』
「あいつは本当に、私があいつの邪魔をしたら、羅針盤を壊すと思う?」
『……た、試さない方が良いんじゃないの?』
「答えになってないわよ」
 ポプリが睨むとパルファンは小さく首を傾げた。
『どっちもどっちなんじゃないかな。本当に壊しちゃったらポプリはもうあいつに協力しないけど、本当に壊すつもりでいないとポプリが言うことを聞いてくれない訳でしょ』
「でも、二度目の取引で私は、あいつが私の行動に目を瞑るように、と言ったのよ」
『ポプリが取引を破るならロゼットだって破るでしょ』
「…………」
 そう簡単に奪えるものでもないということだ。何か、ロゼットの弱点はないだろうか。そうすると、やはり彼の出自や目的を詳しく調べる方が良いのだろうか。
「……堂々巡りだわ」
 盛大に溜め息をつき、ポプリは机に突っ伏した。パルファンが呆れたように言う。
『せ・い・げ・き・の・せ・り・ふ!』
「うるさいわね。やるわよ。もうほとんど覚えてるんだから」
『ゼウスとのやりとりのところはあんまり覚えてないくせに』
「覚えてるわよ」
『じゃあ、“美しい薔薇の君よ、あなたの美しさの輝きは、あなたの司る星々以上だ”。どうぞ』
「……いけませんわゼウスさまわたくしはお答えできませんー」
『何その棒読み』
「パルファン相手にどうやって感情込めるのよ」
『じゃあユルバン相手なら感情込められるの?』
 沈黙。意識したことがなかったが、そういえば愛の囁きのやり取りをユルバンとやっているということになるのか。
「うわ……どうするのよ、意識しちゃったら演技できなくなっちゃうじゃないの! パルファンのせいよ」
『ええっ。八つ当たりでしょ!』
 パルファンが抗議するが、ポプリは無視した。軽く頭を抱える。ユルバン相手に恋愛拒否反応が起きたことはないが、本番中に反応が出たら良い笑い者だ。七年間主席を維持してきた秀才が、劇の中での愛のやり取りに恥ずかしくなって逃げ出す。10年は笑い話になるに違いない。
 まあ、相手がユルバンで、ロゼットではなかっただけ幸運だったのだろう。


 ところが翌日、ユルバンは学校を休んだ。ゼウス役がいなくてどう聖劇の練習をするのだろうと思ったのだが、先生が代わりにユルバンの台詞を読み上げることになった。やりにくいことこの上ない。
 幸いポプリがパルファンに言ったことは嘘ではなく、事実ポプリは台詞を全部覚えたので、後は演技指導にひっかからないようにするだけだった。
 途中までは上手くいっていたのだが、ポプリは途中から、劇の練習を見学にきている人達の中にロゼットの姿を見つけた。ぎょっとした。
 先日の「ごめん」からこの方、ポプリはロゼットを見る度にギョッとしている。脅える理由が自分でも分からないが、「ごめん」があまりに意外すぎて、ロゼットが一体何を考えているのか全然分からなくなってしまったせいだとポプリは思った。
 とにかく彼を視界の端から追い出して、演技を続ける。
「この星々の輝きを、人間たちにも分けてあげましょう」
 ポプリは自分自身の感情を無にして、アステリアになりきる。
「彼らの歩く道が、輝きに満ちあふれるように」
「それは良い」
 先生がユルバンの台詞を棒読みで読み上げる。これでよく生徒の演技にあれこれと文句をつけられるものだ。
「アステリアは星座の女神、それぞれ星座の元となった者の力を人々に分け与えてやってくれ」
「わかりましたわ、ゼウスさま」
 ポプリは優雅に、気品よくお辞儀をした。宮廷作法はたたき込まれているから、文句のつけようのないお辞儀だっただろう。順調だ。
 その時だった。ふわりと、香りが鼻をくすぐった。自分の持つ香りだ。女神の青バラの香りが、この場面にふさわしく、祝福を授けるように強くなった。
(あ……まずい)
 急いで顔を上げ、先生に声をかけようか、と思ったが、ここで衆目を集めたら騒ぎになってしまう。父にも連絡が行くかもしれない。それだけはごめんだ。
 ポプリは別の方法を使うことにした。
「せ、先生」
「はい? アステリア?」
 アステリアじゃないわよ、と内心で毒づきながらポプリは言った。
「お手洗いに行っても?」
「え? ああ、はいどうぞ」
「すみません」
 頭を下げ、ポプリは部屋を出て、カバンを取り上げると急激に気分が悪くなってきた胸元を押さえながら速足に外へ向かった。申し訳ないが、お手洗いと言いつつこのまま帰らせてもらおう。
 足音が一人分ではないことに気が付いて振り向くと、何とロゼットが追いかけてきていた。ポプリはギョッとした。
「な、な、なんでついてくるのよ!」
「お前、ちょっと待て」
「なんて私が待たないといけないの!」
 いいながらポプリは逃げる。ロゼットはやはり追いかけてきた。
「走っていいのかよ。具合悪いなら強がるな」
 これにはさらにぎょっとした。
「悪くないわ!」
「嘘つけ。じゃあこのバラの匂いはなんだ」
「今日はたまたま強い日なの!」
「んな言い訳、通じるか!」
 ぐい、と腕を引かれて、ふんばろうとしたのだが足に力が入らなかった。引かれるままに倒れて、ロゼットの腕の中に収まる。ポプリは固まった。
「はっ、離しなさい!」
「今放したら、お前、倒れるぞ」
「いいからはなっ……」
 言いかけ、突然襲ってきた吐き気にポプリは口を押さえた。いくらなんでも吐いたものをかけてやろうと思うほどロゼットを敵視してはいない。ここで吐くのは困る。
 ポプリが吐きそうになっているのが一目で分かったのだろう、ロゼットは顔色を変え、ジャケットを脱いだ。
「こんなかに」
 ロゼットがそう言ってジャケットを広げたが、ポプリは必死に首を横に振った。せりあがってきたものを必死に飲み込む。なんとか吐かずに済んだが、ものすごく気持ちが悪くて、ずるずるとロゼットに寄りかかるように力が抜けた。
「おい、ポプリ!」
 慌てたロゼットが叫ぶ。まともに名前を呼ばれるのは珍しい、とぼんやり思いながらも、ポプリはそのことに気を取られている余裕がなかった。ただ一言、どうしても言わなければならないことを伝える。
「医者を、呼んだら、殺す」
「お前、その顔でよくそんなことが言えるな」
 ロゼットは吐き捨てるように言ったが、その場を立ち去って医者を呼びにいくような行動はしなかった。
「コレットは」
 ポプリは首を振る。心配かけたくないし、今日の発作はそんなに重くなさそうだ。たぶん、一時間ほど休んでいれば治る。コレットは優しいから、大げさに心配してしまうだろう。
「ユルバン……は確か風邪引いて休みだったか」
 舌打ちが聞こえてきそうな調子だ。
「ポプリ、非常時なんだから、お前、暴れるなよ」
 一言断ると、ロゼットはポプリの腕を自分の首に回して、ポプリを担ぎ上げた。そのままロゼットは、ポプリと、二人分の鞄を持って廊下を走る。てっきり担がれたまま家に連れて帰られるのかと思いきや、ロゼットは人気の少ない廊下を走り抜け、どういう抜け道なのか、狭い回廊を抜け、神殿らしき建物の近くまで来た。ポプリは重い頭を上げて自分の居場所を確認した。
 鐘撞き塔だ。ロゼットは迷わずに塔の中に入る。中はがらんとしていた。ロゼットはそこでポプリをおろすと、一度どこかへ消えた。そしてすぐに戻ってくる。
 その手にあったのは――星の羅針盤だった。ポプリは内心驚いていたが、奪う気力も、どうして、と聞く気力もなかった。ロゼットは羅針盤を握ったまま、一心不乱に小声で呪文を唱えながら魔法陣を描いている。魔法陣ができると、ロゼットは羅針盤を陣の中央にかざした。
「アステリア女神、へびつかい座の力を、アスクレピオスの力をお貸しください。ルソワ・ラ・ファキュルテ・デ・ラ・ブッソール・デゼトワール!」
 アスクレピオスといえば、神話で死者のよみがえりさえ成し遂げた名医の名だ。医者は呼ぶなと言ったのに、と反論したいという理由だけで心の中で反論してみる。けれど、同時にポプリは、彼が星の羅針盤を使った魔法を行使してしまったのだと知った。
 行使するだけの力を彼は持っているという決定的な証拠で。それよりも、間近で羅針盤の魔法を見れるというのに、こんなにへたっている自分が情けない。ああ、それよりも。
 羅針盤を使う危険を冒してまで、治してくれようとしているのが、意外だった。いや、意外ではないのかもしれない。ずっと彼を敵扱いしてきたけれど、敵だと思い込んでいたから、かってに悪者に仕立て上げていたのはポプリなのかもしれない。

 急激に気分が良くなっていくのとは裏腹に、ポプリは眠気に襲われていた。なんのことはない、発作が治るときにはいつもこうなのだ。夢うつつに、ロゼットの問いを聞いた気がした。
「なんでそんなに強がるんだ」
「いつも、たった一人で頑張るんだな」
「なんで他の人に頼らないんだ」
 質問が多すぎる。けれど、ポプリは答えた。
「頼れるほど信用できる人には、迷惑かけたくないわ……」
 温かいものが頭をなでた気配がした。
「頑張ってるんだな」
 ポプリはひどく心地よかった。