28:アステリア祭


 ポプリは凍りついた。混乱していた。何をしに来たのだろう。どうして劇に出ると知っているのだろう。ロッシュ司祭だろうか。劇だけ見て帰るなんて甘いことはしない人だ、きっと劇が終わった後でポプリに用があるのだろう。
 それで思い当たった。メールも手紙も無視したからだ。国王御自ら、王女の迎えに来たというわけだ。何が何でも、星女神讃の休みにポプリを連れ帰る気なのだろう。ポプリは呻き、額に手を当てた。やられた。どう逃げよう。
「ポプリ、出番よ」
 舞台装置係の少女が声をかけてくる。はっとしたポプリは、慌てて舞台に出た。
 ライトで照らされた舞台は眩しい。客席はほとんど闇で見えなかったが、ポプリはそれでも父の視線を感じている気がしてならなかった。
「アステリアお姉さま、ゼウス様が夜の空の飾りについてのご相談があるそうよ」
 アステリアの妹であるレト役の少女がそう台詞を言った。ポプリはそう、と言う。頭が空っぽになっているような気がして焦った。
「ありがとう、レト。すぐに行くわ」
 そしてうっかり、退場すべき袖を間違えた。下がってみたら、そこにいないはずのロゼットがいたのでポプリはギョッとした。動揺している時に一番会いたくない人だ。
 ロゼットは無言で、逆の方の舞台袖を指差した。
「わ、分かってるわよ!」
 小声で言い返して、ポプリは急いで走って行く。ロゼットの声が追いかけて来た。
「どうかしたのか」
 ポプリは無視した。

 その後はなんとか、ポプリは舞台袖にいる間に動揺を鎮めることに成功した。問題は言い寄られるシーンだ。今までも理性を総動員して乗り切っていたのだから大丈夫、とポプリは自分に言い聞かせた。相手がロゼットだということを忘れれば良いのだ。
 ポプリは舞台に出た。照明がポプリを追いかける。父のいた場所は絶対に見ない。ロゼットと向き合った。
 初めてアステリアとゼウスガ対面する場面だ。ロゼットがポプリの手を取って、手の甲にキスするのだ。よし、ここで理性。理性……。しかし、まだロゼットに手を握られないうちから背筋にぞわぞわしたものが走って、手先から熱が走って全身を飲み込んだ。
 きゃーっと叫びたい気分を必死に押さえ付ける。
 ところが、ポプリの緊張をよそに、ロゼットはアドリブで、観客から見える角度を考慮した上で、なるべくポプリに触れないように計らいながら演技をした。
 ポプリは意外だった。ロゼットはポプリの恋愛免疫皆無症を知っている。弱みをつついてくると思ったのに。
 キスのふりから顔を上げ、ロゼットがポプリに向かってニヤリと笑った。どうだ、と自慢げな、褒めてもらいたそうにも見える笑みを見て、ポプリは少しギクリとした。
(仲間面しないでよ……気持ち悪い)
 しかし、ロゼットのお陰で劇は滞りなく進んだ。舞台挨拶で観客たちの拍手を浴びながら、ポプリはほっと息をついた。終わった。

 そして、逃亡開始。
 さすがにそのままの格好で逃亡するわけにはいかないので控え室に戻って、超特急で着替える。そのまま控え室を飛び出した、のだが。
「ポプリ」
 ……遅かった。父は、国王は、しっかり扉の向こうに待機していた。
「早かったな」
「……はい」
 ポプリは諦めた。顔を合わせた上で逃亡するほど馬鹿ではない。相手は国王だ。後ろにしっかり控えているお供もいるのだ。
「お久しぶりです、お父様」
「ああ。……ロッシュ司祭から連絡はいかなかったのか?」
 いきなりきた。ここでいいえと答えればロッシュ司祭に咎が及ぶし、連絡を無視したと言えば怒られた上にそのまま王宮まで強制連行されかねない。
「返事を忘れていました」
 結局、見え透いた嘘ではあるが、一番誰への影響も少ない言い訳を使った。父、ラザールは眉を寄せてポプリに問う。
「手紙は読んだということだな。では、帰るぞ」
「いいえ」
 ポプリは掴まれそうになった手を引いて、後退った。
「帰りません。休みは寮で過ごします」
「ポプリ、我儘もいいかげんにしなさい。お前は王女なんだぞ」
 怒りが沸いた。……王女なんだぞ。理由がそれだということははなから知っていた。
「それをいうならお父様は国王です。どうしてこんなところに来てるんですか」
「お前が返事を忘れたりなんかするからだろう」
「使いの者で十分じゃないですか」
「お前は私をその程度の親だと思っているのか」
 怒鳴られてポプリは父を睨み返した。
「間違っているのですか」
 父が青くなった。怒っている顔を見て、ポプリはいい気味だと思ったが、どうしてか自分の怒りは治まるよりいっそ増大した。
「帰りたくありません」
 ポプリはもう一度言った。
「……お前が帰るという前提で組んだ予定がいくつもあるのだ」
「そんなのお父様の責任です」
「ポプリ」
 ラザールは少し焦りを見せた。
「私達は親子だろう。頼む、帰っておいで」
 下手に出た。いまさら何を、とポプリは言いかけた。ポプリが帰るという前提で組んだ予定と言ったが、何をされるか分かったものでは無さそうだ。いよいよ生け贄にされるのならば、地の果てまで逃げなければならない。
 その時、ポプリの背後のドアが開いた。
「ポプリ」
 振り返るといたのはロゼットで、彼はちょうどラザールの姿を見てぽかんと口を開けていた。
「知り合い?」
 聞かれてポプリは言葉に詰まった。ポプリが何か言う前に、ラザールが口を開く。
「ポプリの友達かね」
「……寮が一緒ですけれど」
「ほう? 例の編入生か。噂は聞いている」
 ロゼットは一瞬沈黙し、表情を堅くした。
「ポプリのお父さんですか」
 さすが、察しが早い。なんだかまずい、とポプリは思った。
「何か用?」
 ロゼットに聞くと彼は肩をすくめる。
「ものすごい勢いで消えたからどうかしたのかと思って。劇の間も様子が変だったし」
「あ、あんたには関係無いでしょう……」
「ポプリ、心配してくれた相手にそれはないだろう」
 ラザールが口を挟んだ。わざとらしい父親面なんてしなくていい、とポプリは内心毒づく。
「まあ、とりあえずなんでもないなら良いさ。……初めまして、ロゼットと申します。いつもポプリにはお世話になっています。お邪魔致しませんので、これで失礼致しますね」
 深い礼をして、ロゼットは控え室に戻る戸を開けた。ポプリは焦った。
「ロ……いっ……」
 ロゼット、行かないで。
 のばしかけた手に自分で気づいて、ぎょっとして手を引っ込めた。ロゼットが振り返る。どうかしたのか、とそのサファイア色の目が言っていた。正直に言える訳がない。
 口をぱくぱくさせていると、ラザールがポプリの手を捕まえた。
「みっともない真似をするんじゃない。さあ、行くぞ」
「嫌ですっ!」
「ポプリ!」
「学校に残りたいの!」
「お前の居場所はここじゃない!」
「王宮だとでも言うんですか!? それこそありえません!」
 ロゼットは二人の攻防を見ていたが、ぽつっと言った。
「あの」
 ポプリとラザールは一時口論を棚に上げて、ロゼットを振り返った。
「俺がポプリを説得しましょうか?」
「え?」
 さすがの国王もぽかんとした。当然だ、唐突すぎる。間を与えず、ロゼットはポプリの腕をつかんで再び控え室に通じる道に引きずり込んだ。
「ちょっと、娘さんをお借りします」
「ちょっ、ロゼッ……」
 ぱたん、とドアが閉まる。ポプリは背後を振り返った。天敵その一はもう見えない。正面に視線を戻すと天敵その二は済ました顔でこっちを見ていた。精一杯、ポプリは彼を睨みつけた。
「なんのつもり」
「舞台側から逃げたら?」
 ポプリは言葉を失い、ロゼットを凝視した。
「何を企んでいるの?」
「別に。手助けしてるだけだろ。別にお前の父親に自分を売り込もうなんて魂胆はないさ。娘を逃がしたとなればむしろ尋問されそうな感じだったしな。俺もこのままとんずらするさ。もうすぐ実技演舞だし」
 そういえばそうだった。ポプリが思案していると、ロゼットがニヤリと笑った。
「貸し、ひとつな」
「……!」
 それだったのか。これはすごく厄介なことになりそうだ。ポプリは勢いよく後じさってドアに張り付いた。
「もういいわ! あんたに借りなんかつくってたまるもんですか! 私は自分で正面から父様と勝負するわよ!」
「勝てるのか?」
「勝つわ! ばかにしないで!」
 ロゼットが呆れた顔をした。ポプリの天の邪鬼ぶりにも呆れたのだろうし、ばかにしたつもりではなかったのだろう。
「さいですか。まあ頑張れよ。王宮から必死に逃げてるくせに『正面から』ってことになるのかどうかは疑問だけどな」
 最後の一言にカチンと来た。挑発されるのは大嫌いなのだ。
 ポプリは扉の取っ手を握った。勢いよく開けると、扉の向こうで、突然開いた扉に驚いたようにラザールが肩を震わせた。ポプリはその父に向かって言った。
「条件があります」
「……なんだ」
「出席したくない行事に出席しない権利と、友人を連れて行く権利です」
 ラザールは眉を寄せる。
「……友人を連れて行くのはともかく、行事に出席しないというのは」
「お父様。私にも意思があるということを学んでいただきたいですわね。それとも、私はお父様の、バラの香りのする置物でしかないのですか?」
 言葉が刃になるようにわざわざ険しい言葉を選んで、投げかける。しっかり突き刺さったようで、ラザールは甚だ不満そうな顔をしながらも、しっかり頷いた。
「よかろう。ただし、こちらからも条件がある」
「……なんでしょう」
「行事の半分には必ず出席することだ。随分な妥協だぞ。これ以上口答えをするようなら魔法を行使する」
 ポプリは抗議しようと口を開きかけたが、やめておいた。とりあえずは、父から妥協をもぎ取ったのだから、勝ったと言えるだろう。……そう思うことにした。

 ついでに荷造りする時間として翌朝までの自由時間をもぎ取ったポプリは、ラザールがその場から立ち去って一息ついた。結局帰ることになってしまった。よくよく考えてみれば、ラザールに「ポプリが帰るように説得する」といったロゼットはある意味その約束をしっかり守っていることになる。後から気付いてちょっとむかついた。まあ、彼の様子からして、意図したわけではなさそうだったが。
 そのロゼットは一部始終を黙って見ていたが、ラザールが去ると少々戸惑ったような顔でポプリを見つめていた。
「あんたは人の好意に甘えるってことを知らないのか」
「……あんたの好意は真っ平ゴメンよ。それに、腹が立つことを言ったのはロゼットの方でしょ」
「だからってあんな天邪鬼な行動に出るなんて思うか? ……ユルバンが言ってたことは本当だな。喧嘩を売られたと思ったら買わずにはいられないのか」
「だったらどうなの」
「面倒くさいやつだと思う」
「あら、そう」
 ぷいっ、と顔を背けてポプリは控え室に置いてあった鞄を手に取った。ロゼットがそれに気付いて言う。
「帰るのか」
「荷造りがあるもの」
「演舞、見て行かないのか」
「なんであんたの演舞なんか見て行かなきゃいけないのよ。あんたのせいで帰ることになっちゃったのに」
「……随分な濡れ衣だな」
 言って肩をすくめたロゼットは、ぽつりと呟いた。
「本当に心底、王宮嫌いなんだな。休みにも帰りたがらないなんて」
「……休みだからこそ帰りたくないのよ」
「けど、こういう休みは家族で過ごすもんだろ。俺はむしろうらやましいけどな」
 そういえば、彼は孤児だ。帰る場所もない。……だからといって、寄り付きたくない場所に強制連行される不幸と比べられても困るのだが。
「……過ごしたいのは、家族とじゃないわ。簡単にうらやましいなんて言わないで」
「うらやましいよ」
 ロゼットは繰り返した。
「あんたの気持ちは分からないけど、あんたも俺のこの気持ち、絶対分からないだろうね」
  言うだけ言って、彼は控え室を出て行った。ふと時計を見てみると、もう演舞の時間が差し迫っている。こんなぎりぎりの時間まで留まっていなくてもよかったのに、とポプリは首を傾げた。
 もしかして、心配してくれていたのだろうか。以前ならまさかね、と一笑に付すところなのだが、近頃のロゼットの言動を考えると有り得る、と思った。
「…………」

 ポプリは鞄を持ったまま少しの間思案していた。控室を出て、一度は校門に向かおうとしたが、やはり神殿に向かうことにした。着くのが遅かったせいで、ものすごい人だかりだ。とてもじゃないが席はもう空いていなくて、仕方なく立ち見になる。スポットライトを浴びたロゼットが、舞いながら魔方陣を描いているのが見えた。星女神讃祭の実技演舞。星を讃え、魔法の力に感謝する演舞。
「……似合ってない」
 劇の時も思ったが、古代ギリシャの衣装が全然似合ってない。まあ、ゼウスの雰囲気があったことは認めるのだが。けれど、不思議と目をひきつける舞だった。正確。整然。それでいて大胆。完成した魔方陣からきらきらと星座の動物達や道具や、人々が飛び出す。綺麗だった。悔しいが、さすがとしか言いようがない。
「ポーちゃん!」
 舞の音楽の合間に聞こえた声に、ポプリはコレットの姿に気付いた。こちらへ駆け上がってくる。
「どうしたの? 遅かったね」
「……私がここに見に来ると思ってたの?」
 だって舞うのはロゼットなのに、と言うと、コレットは微笑んだ。
「五分五分だって思ってたよ。だからポーちゃんを見つけて嬉しかった」
「……別にロゼットが気になったわけじゃ……借りを返そうと思っただけよ」
「借り?」
 首を傾げたコレットの目に見透かされそうな気がして、ポプリは急いで話題を変えた。
「あ、あのね、コレット。劇の後で私、お父様に会っちゃって」
「ええっ!? ……あ、あれってやっぱり陛下だったんだ」
 客席で見かけたらしい。
「帰ることになっちゃった」
「……そうなんだ」
 心底心配そうに、気の毒そうにコレットはポプリを見上げる。
「大丈夫なの?」
「た、たぶん……それでなんだけど、コレット、一緒に来ない?」
「え?」
「お父様に交換条件を出したの。友達を連れて行くっていう」
 コレットは目を瞬いたが、意味を飲み込むとこくこくと頷いた。
「行く! 行く。ポーちゃんを一人にはしないよ」
 ああ、なんて温かい言葉。ポプリは笑った。ちょっと泣き笑いになった気がしたけれど、今は構うまい。
 ロゼットが舞の締めに放った魔法の花火が、ちょうど打ち上がるところだった。